娘、登録する
「えっ!? 今の声、何!?」
「シッ! まだ続くわよぉ?」
『当施設を利用するには、ユーザー登録が必要です。登録がお済みでない場合は、画面の指示に従ってユーザー登録をしてください』
「画面の指示って言われても……」
聞こえてきた謎の言葉に、フレイは思いきり困り顔になる。壁に映し出された映像には細かい文字が幾つも表示されていたが、当然ながらフレイにはそれを読むことができない。
「ね、ねえムーナ? これどうすればいい?」
「これはちょっと……私にもすぐには無理ねぇ」
「ならばウイテルの時のように、適当に触ってみるのはどうでしょう? 運がよければまた反応があるのでは?」
「そうね。ムーナにもわからないなら、とりあえずやってみましょうか」
ロンの言葉に、フレイが適当に壁面に浮かぶ文字やら図形やらを触っていく。そのなかでも反応のあった場所を次々に指で押していくと、途中で突然「ブブーッ!」というけたたましい警告音が部屋の中に響いた。
「うわっ!? 何!? アタシ何かやっちゃった!?」
『入力された情報が不正です。正しい情報を入力してください』
「正しいも何も、アタシ自身何を入れてるのかわからないんだけど……」
「これは駄目ねぇ。フレイ、一旦触るのをやめなさぁい」
「はーい。あー、また足止めかぁ」
「こういうのは根気が大事なのよぉ」
目の前にあるちょうどいい出っ張りに手を置いてため息をつくフレイに、ムーナがたしなめるような言葉をかける。だが突然フレイが手を置いた出っ張りに青白い光が走り――
『生体認証を確認。ユーザー登録を完了しました。登録情報を修正したい場合は設定からユーザー情報の変更を選んでください』
「は? 何? なんかもうさっきからわけわかんないことばっかりなんだけど!?」
「フレイが手を置いていた場所が光ってたし、そこに手を当てればいいのかしらぁ?」
手をどけて不本意そうな声を上げるフレイをそのままに、ムーナもフレイと同じ場所に手を置いてみる。だがどれほど待っても台座が光り出すこともなければ、謎の声が聞こえてくることもない。
「どうやらこの仕掛けもフレイ殿にしか反応しないようですな」
「そうねぇ。でも、これで古代文明の研究が全然進まない理由の一つが判明したわぁ。勇者にしか反応しない仕掛けがこんなに沢山あるんじゃ、どうしようもないものぉ」
古代文明の研究が遅々として進まない最大の理由は、発掘される遺跡に本や書類などの資料がほぼ存在しないからだ。未知の言語の解読にはどうしても参考となる資料が大量に必要であり、その絶対数が足りない状況ではそもそもどうすることもできない。
「きっと他の遺跡でも、貴重な資料や情報はこういう『勇者にしか反応しない』仕掛けで隠されてるんでしょうねぇ。でも……」
「かつての勇者の方々も、遺跡などは巡られたのでしょうが……そうは言っても過去に三人しかおらず、またその方々がフレイ殿のように過去を知りたいと思って活動していたとは限りませんからな」
「そうよね。アタシ、酷い寄り道してるよね」
二人の何気ないやりとりに、フレイが少しだけ表情を曇らせて頭を掻く。だがそんなフレイの頭を、ムーナは自分の豊満な胸に思いきり抱きしめた。汗の匂いに混じったムーナの甘い体臭がフレイの鼻をくすぐり、同時にみっちりと詰まった肉がフレイの呼吸を阻んでくる。
「もぅ、お馬鹿ねぇ! それが貴方のいいところなんだから、気にしなくていいのよぉ」
「むぐー! うううぅぅー!」
「あんっ! そんなにもぞもぞしちゃくすぐったいわぁ」
「あの、ムーナ殿? フレイ殿は苦しいのでは?」
「あら、そうなのぉ?」
ムーナが抱きしめる腕を緩めると、途端にフレイが顔をあげ、親の敵を見るかのような目でムーナを睨み付ける。
「苦しいに決まってるでしょ! この駄肉の魔女め!」
「酷い事言うわねぇ。お姉さん悲しいわぁ」
「何がお姉さんよ、フンッ!」
わざとらしく悲しんでみせるムーナに、フレイは真っ赤にした顔を背ける。だがすぐにその怒りと照れの混じった表情を鎮めると、再び謎の文字が表示された壁面へと意識を戻した。
「で、登録が済んだってことは、これが扱えるようになったらしいけど……どうする? もう一回適当に触ってみる?」
「それもありではあるけど、その前にちょっと試したいことがあるわぁ」
そんなムーナの言葉に従い、一行はその部屋を出て通路の横にあった扉の前まで行く。今までどうやっても開かなかったその扉だが、フレイが手を触れることで音も無く扉が横に動き、暗い室内に照明が灯る。
「やっぱり、登録が終わると部屋に入れるようになるのねぇ」
「塞がなくて正解でしたな」
「それじゃ、早速中を調べてみましょ!」
三者三様の言葉を発し、皆で部屋に入っていく。だがその部屋には謎の金属製の箱が据え付けの棚に所狭しと並べられているだけで、それ以外のものは存在していない。
「……箱、壊してみる?」
「それは私に『流石ニックの娘ねぇ』って言わせたいのぉ?」
「じょ、冗談よ……」
そんな会話を交わしつつ、次の部屋。そこには魔石によく似た、だがそれよりも明らかに高純度な何かがやはり棚の上に整然と並べられている。
「魔石……とはちょっと違う? 何だろこれ? すっごい綺麗だけど」
「誰より先にここに来られたのは僥倖ねぇ。じゃなかったら絶対残ってなかったはずだものぉ」
「確かに、これはいい金額で換金できそうですな」
ニックが離脱したことで勇者パーティの収入は激減しているが、そもそもニックの残した常人ではとても倒せない魔物の素材などが未だにフレイの魔法の鞄には大量に残っている。
そのためフレイ達は一切金銭的な苦労を背負っていないが、一般的な冒険者であればこれほどの宝を前にすれば、本来の意味や価値など無視して持てるだけ持って行くのはごく自然な行為であった。
というわけで、金より情報を求めたフレイ達一行は宝をそのままに次の部屋へ。そこには数組のテーブルと椅子の他に何やら四角い装置が置かれており、それについた数個のボタンが如何にも押して欲しそうに緑色の光を放っている。
「流石にこれは押すべきでしょ……って、何か出てきた? 何これ?」
「フンフン。ほのかに甘い匂い……と言うことは、食べ物ですかな?」
「食べ物って……保存食にしても限界があるでしょ」
ロンの言葉に、フレイが露骨に顔をしかめる。確かに手に取ったそれはいい匂いがしているが、流石に一万年前の食料を口にする勇気はない。
「見た感じ、ここは休憩室って感じねぇ。それが食べられるかはまた後で調べるとして、先に次の部屋に行くわよぉ」
「はーい」
続いて向かった四部屋目。その中にあったのは、大量の書架に並べられた数え切れないほどの本。
「本だ! 凄い! 一杯ある!」
「ふふふ、これは大当たりねぇ」
思わず笑みを浮かべたムーナが、そっと一冊の本を手に取る。全く劣化していないそれはズッシリとした重みが心地よく、ページをめくれば手書きではとても書けないような小さな文字が全く滲むことなくページ中に綺麗に並んでいる。
「これだけ資料があれば、文字の翻訳には十分ねぇ。とは言え何かとっかかりは欲しいところだけどぉ……」
そう呟きつつ、ムーナは整然と並んでいる本を幾つも手に取っては中をパラパラと見て戻していく。そうして調べていくなかで、ムーナは家系図のような図柄や胸から上の人の絵などが描かれた本を見つけた。
「これ、歴史書かしらぁ? だとしたらこの本の表題は……」
本を閉じ、その表紙に書かれた文字を見る。そこに書かれているのは、かつてニックに紹介されたオーゼンから聞いた、古代文明の名前。
「アトラガルド……の歴史、とかかしらぁ?」
子供の頃ですら感じたことが無い程の好奇心に胸を焦がし、ムーナの思考が研究者のそれに切り替わる。
「見てなさいニックぅ。たまには私が貴方達を驚かせる側に回ってあげるわぁ」
楽しげに笑いながら、ムーナは一心不乱にその本に目を通していくのだった。