父、扉を開ける
「おお、アンタか」
きちんと「王能百式」の空き枠も確保してから『試練の塔』を脱出したニック。その足で『英知の塔』のツンドクを訪ねると、相変わらずの本の山から顔を出したツンドクが軽い感じで話しかけてくる。
「調子はどうだ? あれから二週間くらいだし、そろそろ二〇階くらいは突破できたか?」
ニヤリと笑ったツンドクが、そんな言葉を口にする。
ちなみにだが、よほど入念に準備をした場合を除き、普通の魔術師や冒険者ならば一〇階に到達するだけでも優に三週間程度はかかる。これは地図とは別に自分の目で内部の構造を確かめたり、属性攻撃しか通じないという厄介な魔物の対処を身を以て覚えるために時間がかかるからで、そこから先はもう少し踏破速度があがるのが一般的だ。
つまりは単なる冗談であり、大口を叩く挑戦者がこうしてからかわれつつ無事の生還を祝われるのがこの町の慣例なのだが……そんなツンドクにニックはニヤリと笑い返してみせる。
「できたと言えば、できたな。もう頂上まで行ってきたぞ」
「……………………は?」
得意顔で言うニックに、ツンドクは手にしていた本を床に落としてしまう。そのドサッという音で我に返りはしたが、浮かぶ表情には怪訝の色が濃厚だ。
「いや。いやいやいや。この町ができてから……それどころかあの塔が発見されてから今日まで、誰一人として頂上に辿り着いてない『試練の塔』を、たった二週間で踏破した? アンタ、いくら勇者のオヤジさんだからって、そりゃあ流石にフカしすぎだろ?」
「ふふふ。疑う気持ちはわかるが、本当だぞ? その証明もかねて、早速行こうではないか」
「行くって、何処へだよ?」
「決まっておろう。禁書庫だ!」
堂々とニックにそう言い放たれ、ツンドクは半信半疑でニックを禁書庫まで先導していく。書架の裏側、塔の最外周を通っている通路は人一人がやっと通れる程度の広さしかなく、巨体のニックがやや窮屈な感じで長い長い階段を登りきれば、急に開けた視界の先には石壁に嵌まる如何にも物々しい扉が姿を現した。
「ほれ、着いたぞ。ここが禁書庫だ」
「ここがか……扉の周囲は普通の石壁に見えるが、これを壊して中に入ることはしなかったのか?」
「見た目はこうだが、これ塔の外壁と同じみたいでな。何やっても壊れないらしいぜ? じゃなきゃとっくに誰かがぶっ壊して中身をかっさらってるだろうし……って、おい。まさかそれが入り方だなんて言わねぇよな?」
「まさか。というか、今はもう普通に開くはずだぞ?」
「は!? あのなぁ、俺だって見た目ほど暇じゃねぇんだ。そんなふざけたことばっかり……うぉぉぉぉ!?」
悪態をつきながらツンドクが扉に手を掛け体重を乗せると、これまで何をどうやっても開かなかった禁書庫の扉があっさりと開く。そのままドシンと床に倒れ込んでしまったツンドクだが、その鈍い痛みなど一瞬たりとも頭に留まりはしない。
「開いた……開いた!? ま、マジか!? 本当に開いたぞ!? うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
大声で叫んだツンドクが目をキラキラと輝かせながら部屋の中を物色していく。それに続いてニックも禁書庫の中に入ると、そこは何百年も閉鎖されていた空間とは思えないほどに清涼な空気に満たされており、足下には埃一つ落ちていない。
「わかってはいたことだが、やはり不思議なものだな」
『何を今更。今まで貴様が踏み込んできた「百練の迷宮」は、一万年も昔から完全な閉鎖空間だったのだぞ? それに比べればこの程度』
「いや、まあそう言われればそうなのだが」
オーゼンの言葉に、ニックは思わず苦笑いを浮かべる。根本が同じ物だとわかっていても、「百練の迷宮」は「古代の凄い遺跡」なのに対し、この塔は「自分と同じ人間が作った物」という印象が拭えないのだ。
『ほれ、そんなことよりさっさと呼ばんか』
「ああ、そうだったな。おーい、ツンドク殿!」
「あ? 何だよ。俺は今忙しいんだよ!」
「ははは。気持ちはわかるが、こちらも重要な用事なのだ。どうしてもお主に会わせたい人物がいてな」
「俺に会わせたい奴だぁ? 何で今ここで……っ!?」
悪態をつきながらも振り返ったツンドクが、その状態で動きを止める。彼の視線の先……つまりはニックの背後には、半透明の人影が浮いていたからだ。
「な、な、な、アンタ、うし、うしろ!」
『やあ! 初めまして……でいいのかな?』
『ウム』
「初めましてだぁ!? おいアンタ、こりゃ一体……!?」
「ふふふ、この者達こそが儂の会わせたかった……む? 一人足りんぞ?」
『あれ? ヨンダルフ! どこー?』
『見ろ』
ダマーリンが指さす方向にハリーが視線を向けると、そこには本棚に向かって両手を広げて感動を現しているヨンダルフの姿がある。
『ちょっ、挨拶もしないでいきなり何やってるのさヨンダルフ!』
『ああ、素晴らしい! 本! 新しい知識! これを生前の私が残したのか! 素晴らしい仕事だ私よ! あの世で存分に誇るがいい!』
『まったくもぅ……ということで、改めて初めまして。僕はハリー・キッター。隣の彼がダマーリンで、そっちで本を読んでるのがヨンダルフです』
「ハリー!? ハリーって、あの『未来の塔』を作った、賢者ハリー・キッター!? それにダマーリンにヨンダルフ!? 何だ、禁書庫の呪いか何かで、俺は頭がどうにかしちまったのか!?」
「そうではないから安心しろ。彼らは本物の三賢者だ」
混乱の極みにあるツンドクに、ニックが諭すようにこれまでの経緯を語った。その長いようで短い話を聞き終えると、ツンドクはしきりに自分の禿げた頭を撫でつけながら顔をしかめて考え込む。
「するってーと、何か? あの『試練の塔』の最上階には三賢者様の若い頃の魂が残っていて、それを呼び出して願いを叶えてもらえるのが奇跡の正体だったってことか?」
「まあ、そんな感じだな。で、儂は願いとしてこの禁書庫の扉を開けてもらい、誰かが頂上まで辿り着いたことで隠れる必要の無くなった三賢者殿がこうして姿を現せるようになったということだ」
「へぇぇぇぇ! そんなことになってやがったのか……」
ニックの言葉に、ツンドクが深く感心しながら周囲を見回す。ハリーだけはこの場に残っていたが、ダマーリンは禁書庫の内部に保管されている魔法道具を眺めており、ヨンダルフは結局一度もこちらに顔を向けることなくひたすら本を読み続けている。
「しかし、よかったのか? アンタの願いを無駄に使わせちまったみたいだが」
「無駄ではあるまい。儂もこの禁書庫の中身には興味があったしな。ということだから、約束通り儂はこの中の物を見てもいいのだな?」
「勿論だ! あー、でも、持って帰ったりするのは流石に勘弁してくれ。どうしてもって物があれば声をかけてくれりゃ対応はするからよ」
「わかった」
「じゃ、また後でな!」
そう言って手を上げニックに挨拶すると、ツンドクがソワソワした足取りでヨンダルフの方へと近づいていく。そうして声をかければ最初こそ読書の邪魔をされ不機嫌そうだったヨンダルフも、同じ本好きとして話が合ったのか、すぐに二人で楽しげに語り出した。
『ねえおじさん。本当にこれでよかったのかい?』
その背を黙って見つめるニックに、幻影のハリーが声をかけてくる。今の彼は記録されたことを再現するだけの幻ではなく、一個の記憶と人格を持つ存在だ。
「無論だ。熟考した結論だからな」
『そうかい。ならいいんだけど……あーあ、まさか次代に力を受け継いだと思ったら、そのまま突き返されるとはね……』
ニックの言葉に、ハリーが呆れたような笑みを浮かべる。次に目覚めた時には消えるはずだったニックとの戦闘の記憶が継続しているばかりか、塔の管理者としてこの町の中を自由に動き回れるようになるなど、予想外すぎる事態にはただただ苦笑するしかない。
「元々お主達が持っていた力なのだ。ならば他人に任せたりせず、これからも自分達で管理せよ。儂はここにずっと留まるつもりなどないからな」
『わかったよ。あの力を使いこなしたおじさんがそう言うんだから、従うさ。それにしても、一体どうやったらこんなことができるんだか』
「ふふふ、そいつは秘密だ」
ジト目のハリーに、ニックは意味深に笑ってウィンクしてみせる。とは言え、当然ながら実際に何かをしたのはニックではなくオーゼンだ。自分達の文明が生み出した魔導具である以上、オーゼンには魔導構造体生成装置を十全に使いこなす能力がある。それによってハリー達の設定を一部書き換え、かつニックの下位の管理者として登録し直したのだ。
『ま、いいさ。せっかく手に入れた第二の人生だ。未来の僕が作ったっていう若者を育成する場所にも興味があるし、まだまだやりたいことは一杯あるからね!』
「そうか。ならば目一杯楽しむといい。世界にはまだまだ未知が満ちておるからな。さしあたっては、儂もアトラガルドの資料を探さねば」
『あ、手伝うよおじさん! 僕も未来の僕やヨンダルフが何処まで研究できたのか知りたいしね』
歩き出したニックの背後を、もはや幻では無くなったハリーが着いてくる。そうしてニックはヨンダルフやツンドクの助けも借りながら、禁書庫の本をじっくりと読み進めていった。