父、猛烈に殴る
「なら、今度は私からお相手しようか! 『爆塵符』!」
「ぬっ!?」
ニックの足下……床の上に、直接ぼんやりと輝く文字が浮かび上がる。直後に足下から猛烈な勢いで粉塵が吹き上げ、それはニックの体を削り視界を奪っていく。
「まだまだ! まだまだ! まだまだまだまだ!!!」
本来ならば一度しか発動しない罠。だがそれが今はかなりの勢いで連続起爆し続けている。『爆塵符』の効果が切れる前に『水鏡符』の効果で同じ場所に『爆塵符』を仕掛け直しているのだ。
三賢者の中では最も魔力保有量の少ないヨンダルフには本来成し得ない無理な術式の行使だが、塔の僕となった今ならばこんな力押しすら可能となる。
「天に満ちるは希望の光、宙にあまねく終焉の誓い。求めて流すは一片の徒、落として穿つは天変の技……」
そうしてヨンダルフが作った時間を用いて、ハリーが呪文を詠唱していく。目を閉じ意識を集中させるハリーの手では短杖の先端が光を放っており、それに呼応するようにハリーの背後に無数の光の窓が生まれていく。
「留まり、定まり、撃ち果たせ! 我は理を御する者なり! 『流星雨』!」
カッとハリーが目を見開き、詠唱を完成させる。すると背後に浮かんだ大量の窓から大人の拳ほどの大きさの石が纏う空気を赤熱させるほどの勢いで打ち出された。三度床を踏み砕くことでやっと『爆塵符』を無効化したニックは、晴れた視界の先から飛んでくる石の速度と数に即座に剣を使うことを諦め、両の拳を握りしめる。
「ウォォォォォォォォ!!!」
音を越える速度で飛来する石よりなお早く、ニックの二本の腕が全ての攻撃を打ち落としていく。だがどれだけ打ち落とそうともハリーから飛来する石の嵐が弱まることは無い。
「調子がよさそうだねぇ、キッター君!」
「今の魔力供給量なら、毎秒二〇〇発はいけるよ! ヨンダルフ!」
「任せたまえ! 『光縛符』!」
「ぬぐっ!? これは!?」
豪雨どころか瀑布の勢いで降り注ぐ石を必死に砕くニックだったが、そのうち一つを砕いた瞬間、体の動きが阻害されるのを感じた。それは瞬き程度の一瞬ではあったが、そのせいで拳の盾を抜けてきた石がニックの体にガシンと当たって爆散する。
「流石にこの数じゃ全部は無理だけど、私の『光縛符』をキッター君の『流星雨』に付与しているのさ! さあどうする? 拳で砕いても一瞬硬直、万が一討ち漏らしたものを体に食らえば、更に長く拘束されるよ?」
「無論、押し通る!」
挑発するようなヨンダルフの言葉に、しかしニックはニヤリと笑って答える。残像が消える間すらないほどの速度で拳を振るい続け……やがてその足が一歩分だけ前に出る。
「嘘だろ!? 防いでるだけでもおかしいのに、前進するなんて!」
「ふんっ、ならもっと追加するだけだ!」
無尽蔵の魔力に後押しされ、ヨンダルフの補助を受けたハリーの攻撃はその勢いが衰えることはない。だがそれは同時にこれが限界であるということでもあり、一歩また一歩と近づいてくるニックの動きをハリー達は止めることができない。
「ははは、どうしたどうした? もう次の手はないのか?」
「バケモノめ! ならこれで……っ!」
五歩目を踏み出したニックの足下で、再び粉塵が巻き上がる。だが一度食らった攻撃などニックに通じるはずもない。少し強めに次の一歩を踏み込むことで、今度は一度で床をいい具合に踏み砕く事に成功する。
「ふんっ!」
「今だ!」
「行け! 『光縛符』! 『光縛符』! 『光爆符』! 『光縛符』!」
他の動作をするならば、ほんの僅かとはいえそちらに意識を裂く必要が出る。狙い通りに罠を壊してくれたニックの隙を突こうとハリーとヨンダルフが全霊を持って攻撃を行うが、それでもニックの鉄壁の守りを抜くことはかなわない。
「甘い!」
撃ち出す速度こそ速いが、そこに緩急の無いハリーの攻撃をニックは既に見切っている。床を踏み砕く為に前方への注意が緩んだとしても、それを撃ち落とすことに何の問題も生じない。
それは多少増えた捕縛の力を宿す石であっても同じだ……それが捕縛の力のみであったならば。
「ぬあっ!?」
とある石を砕いた瞬間、ニックを襲ったのは束縛ではなく猛烈な閃光。完全な不意打ちに、流石のニックも視界を奪われてしまう。
『――ささやき』
普通の人間ならば目が潰れるほどの光を受けて、ニックの視界が戻るまで一秒。その千載一遇の一秒に、これまでずっと戦闘に参加せず魔力を練り上げ続けていたダマーリンが動く。
『――いのり』
ダマーリンの放つ尋常では無い気配に強い危機感を覚えたニックの意識が、ニックの意識を数千、あるいは数万倍へと加速させる。
『――えいしょう』
時間が止まっているにも等しい世界。言葉を発することなどできるはずのないその場所で、ニックは確かにダマーリンの詠唱を聴いた。
『――ねんじろ!』
滅びの力を具現化せんと、ダマーリンの構える長杖が一際強い輝きを放つ。
「『万象分解』」
「――っ!」
その魔法は光も音も発すること無く、ただ闇ですらない黒い何かがあるだけであった。
いや、正確にはそこには何も無い。「無が在る」という矛盾したその力は、当時の世界において最高の魔力保有量を誇るダマーリンをして「理論上は発動する」としか言うことのできなかった、通り過ぎる全てを消滅させる究極の攻撃魔法。その力を前に、ニックは声にならない叫びをあげてただ渾身で拳を振るう。
(アレは防げぬな。ならば……っ!)
ダマーリンが放った魔法は、かつて砂漠の王者が放ったそれ、もしくは魔竜王が放とうとしたあの力に酷似している。それはニックであっても食らえば死すら覚悟する一撃であり……だが食らわなければどうということはない。
瞬きにすら長い時間のかかる世界で、ダマーリンの魔法とニックの拳はゆっくりと近づいていく。このままならば問題なく魔法の進む方向をねじ曲げられるとニックが確信した、まさにその時。
(っ!?)
それは意識していなかった石の飛沫。先ほど砕いた無数の石のほんの小さな欠片であり……だが欠片であってすら、ヨンダルフの付与した『光縛符』の力はしっかりと宿っていた。
それは刹那。石の飛沫がニックの腕に触れたことで、通常の意識であればニックですら自覚できないほどの時間、その体の動きがとまる。
そして、それこそが致命。瞬きすらものろまにみえる一瞬の攻防においてもたらされた普通ならば知覚できないほどの遅延が、拳と魔法の勝負を分ける決定打となる。
(――――――――っ)
触れてはならない攻撃を触れずに曲げるには、その魔法が当たる直前に前方の空間を殴りつけなければならない。だが一瞬動きがとまったことで、ニックの拳の勢いが最大になる前にダマーリンの魔法がニックの拳に到達してしまう。
(これは……)
音など聞こえるはずがないし、実際音などしていない。だがニックの耳にはジュッと己の拳が焼ける音が聞こえた気がして、魔法に触れた薄皮一枚が光の粒子となってこの世から消えていく。
(参ったな……)
それはニックの最強の拳が、魔法に負けた瞬間であった。