父、三賢者に出会う
「お? これは……?」
全身に雷を纏う石巨人を特に何事も無く真っ二つに切り裂いたニックが、慣れた様子で扉をくぐった先……『試練の塔』の一〇〇階には、これまでとは全く違う景色が広がっていた。
『ふむ。本当にこれで終わりかはともかく、一区切りなのは間違いなさそうだな』
まるで磨き上げた大理石のような、凹凸一つ無い床。それは床のみならず天井も同じで、支えとなる柱ひとつ無いというのに石の空は遙か地平の彼方まで続いている。
上と下を塞がれた、ただひたすらに広い空間。横の広がりは際限がなく、霧で霞むその果てはニックの視力をもってしても見通すことは敵わない。そのうえ振り返ってみればいつもそこにあったはずの帰還用の転移陣がそこには存在していなかった。
「退路を断たれた? まあ床か天井を殴り壊せば何とかなりそうな気はするが」
『それは貴様だけの話だ。普通に考えるならば、逃げることすら許さない最終試練の場なのであろうが……どうやらそれを説明してくれる者が現れたようだな』
そんなオーゼンの言葉に呼応するかのように、ニックの前に三人分の半透明な人影が現れる。蒼く揺らめく夜空の如きローブを身に纏う厳つい顔の黒髪の男と、まるで長椅子に寝転がっているかのような姿勢で手にした本に目を落とす赤髪の男。そして最後の一人は、何処か見覚えのあるボサボサ頭をした茶髪の男。年齢的には赤髪と茶髪の二人が三〇歳前後で、黒髪の男はもう少し上に見える。
「あー、なんとなく予想はつくのだが、お主達は?」
『見事』
問いかけるニックに対し、三人の中央に立つ黒髪の男が短くそう口にする。そのまま手にした己の身長ほどもある長杖を体の前で構えると、ニックに対して鋭い視線を向け……
『……勝負』
「ぬっ、問答無用か!?」
あからさまに会話をする気のない男の態度に、ニックは魔剣を構えて応戦しようとする。だがそんな男に左側に立っていたボサボサ頭の男が慌てて声をかけていく。
『ちょっと待ってよダマーリン! 何で君はいっつもそうなのさ! もうちょっとくらい会話をしようよ!』
『…………フッ』
『何が「フッ」だよ! とりあえず意味深な顔で笑っとけば何とかなるなんてのは、僕には通じないからね! ほら、ヨンダルフも何とか言ってよ!』
『私は本を読むのに忙しいから、そういうのはキッター君にお任せするよ』
『またそうやって何でもかんでも僕に押しつけて! もーっ!』
手にした本から顔すら上げずに答えるヨンダルフに、ハリーが地団駄を踏みながら抗議する。その外見は少し前に『未来の塔』で見た者よりも若く、三〇代中盤くらいに思えた。
『ハァ、いいよいいよ。じゃあ僕が話すから。えーっと、よくぞここまでやってきた! この塔の次代の継承者候補よ!』
「塔の継承者? どういうことだ?」
ハリーの口から出た予想外の言葉に、ニックは首を傾げながら問い返す。だが『未来の塔』の時と同じ幻影体だと思われるハリーはニックの問いに反応することなく言葉を続けていく。
『ここまで登ってきたということは、君もひとかどの魔術師なんだろう。でもただの魔術師にこの塔の管理者権限を渡すわけにはいかないんだ。何せこれはこの周辺一帯の全てをある程度意のままにできるっていう、恐ろしいほど強力な古代の魔法道具だからね。
なので、これを使う資格が君にあるかどうか、試させてもらいたい』
『……改めて聞いてみると、随分と傲慢な発言だよねぇ。私達はたまたまアレを拾って好き勝手に使っているだけなのに、後に続く者には「これを使いたければ自分達を納得させてみろ」とかさ。私が一番嫌いなタイプだよ』
『えぇぇぇぇ!? 何で今更そんなこと言うのさヨンダルフ! え、じゃあどうするの? やっぱり辞める? せっかくここまで収録したのに……』
『否』
驚いて情けない声を出すハリーに、ダマーリンが短く答える。その間もダマーリンの視線はニックを捉えてそれることがないが、魔力感知のできないニックはそこから何の圧も感じ取ることはできない。
『ダマーリンは反対なんだ。っていうか、その反対の理由が知りたいんだけど』
『責任』
『ふむ、大きな力にはそれに見合った責任が伴うということかな? 確かにそれはあるだろうねぇ。これほど巨大な力、適当に振るわれたら巻き込まれる人々はたまったもんじゃないだろうし。
ま、私は本さえ落ち着いて読めるならどうでもいいけど』
『ヨンダルフって、本当に本のことしか興味ないよね。本さえ読めれば野宿とかでもいいんじゃない?』
『構わないよ。まあ私が寝る分にはともかく、本が夜露で傷まないように保管場所としては堅牢な建物が欲しいけど』
『あー、そう。実に君らしい回答をどうも!』
「……何と言うか、凄まじくグダグダだな」
『これが偉大な存在として語り継がれる三賢者の本当の姿か……いや、こういう者達だからこそ、か?』
目の前で繰り広げられる三賢者の緊張感の無い会話にニックは思わず肩の力が抜けてしまい、一方オーゼンは長い時が経っても賢者達が慕われている理由を垣間見たような気がして感心する。
もっとも、そんなニック達の態度など気にしない……あるいは反応できない賢者達はその後もしばらく人間味溢れる会話を続け、最後には疲れた様子でハリーがその会話を締めくくった。
『もういいよ、別に。いっつも貧乏くじを引かされるのは僕なんだから、このくらいはわかりきってたことさ……えー、ゴホン! とにかくこの塔の……正確にはこの塔を作り出した程の力を無差別に与えるわけにはいかないんだ。単純に強ければいいってわけでもないんだけど、心の正しさみたいなのは計りようがないしね。
だからこれは、最低限。この力を持て余さない最低限の強さを持っていることを、僕達に証明して欲しい。僕達全員に勝てるなら、これがあってもなくても割と好きに生きられるくらいには強いんだろうしね』
その言葉と同時に、ハリーの幻影が実体に変わる。そのままストンと地面に着地すれば、今まで感じられなかった人としての気配がニックにも伝わってくる。
『悪いね。私達としてもせっかく作り上げたこれを継承した相手が、何処かの誰かにあっさり殺されたり力を奪われたりするのは面白くないんだよ。私の読書を中断させるだけの価値が君にあることを、この私に教えてくれ』
次いで、パタンと本をたたんだヨンダルフが実体化して地面に降りる。髪と同じ赤い瞳にはあらかじめ何かを定められたものではなく、今ここに存在しているという確固たる知性の光が宿っている。
『越えてみせろ』
そして最後に、ずっとニックを見つめたままだったダマーリンの体が実体化する。その瞬間三人の体から物理的な力が伴っているかのような重圧が放たれ、強者の風格、威圧感がニックに襲いかかってくる。
「導きの西風 ハリー・キッター!」
「万知の探求者 ホーン・バッカ・ヨンダルフ」
「沈黙の魔道士 アンマシャベラヌ・ダマーリン」
「儂は鉄級冒険者、ニックだ」
目の前にいるのは本物の強者。それを認め自らも名乗りをあげたニックに、三人の賢者の顔が楽しげに笑う。それこそがさっきまでの幻影と違い、ニックのことを見ているという何よりの証拠。
「いざ、尋常に……」
「勝負!」
「『光縛符』!」
「『収束炎閃』」
長かった『試練の塔』、その最後の戦いはニックの言葉に真面目に答えたハリーと、残り二人の不意打ちで幕を開けた。