父、手がかりを得る
そうしてニックが通されたのは、塔三階の一角にある小さな部屋だった。室内では大量の本が至る所に積み上げられており、なかでも中央の執務机の上にはひときわ高い「本の塔」とでも言うべきものがそそり立っている。
「よく来たな」
そんな本の向こう側から、人の声が聞こえてくる。ニックが立ち位置を変えると本の塔の隙間からツルリと禿げ上がった頭と丸い赤鼻の五〇代ほどの小柄な男がその姿を現した。
「俺がこの塔の管理人、ツンドクだ。俺みたいなのが本にまみれてるのは意外か?」
「いや、そんなことはない。儂も本を読むと言うと、似たような態度を取られるしな」
ニヤリと笑って言うツンドクに、ニックも口の端を釣り上げて答える。
「ほぉう、アンタもか。確かにそのナリじゃあ本を読むようには見えねぇもんなぁ。だが本はいいよなぁ。一冊読むとそれに関連した読みたい本が三冊は増える。後で読もうと確保だけしておいて、そうして気づけばいつの間にやらこの様だ」
苦笑しながらそう言いつつ、ツンドクは愛おしげにそっと近くの本を撫でる。その表情は優しげだったが、一転してニックを見つめる視線は鋭い。
「ま、俺の読書談義はいいんだ。俺はいつでも本を読むのに忙しいから、早速本題に入らせてもらうが……アンタ、何者だ?」
「何者? 何者と問われるなら……冒険者、か?」
ツンドクの漠然とした問いに、ニックは軽く首を傾げながらそう答える。だがツンドクはその答えに納得せず、大きなため息をついてみせる。
「ハァ……いいか? これは世間じゃあんまり知られてねぇんだが、アンタの名乗ったジュバンって家名は勇者だけが名乗れる特別な家名だ。で、今代の勇者が年若い娘ッコだってのは誰でも知ってる。
それで、アンタは? まさかそのナリで自分は二〇にも満たない娘ッコだって主張するつもりか?」
「ああ、そういうことか。無論、儂は勇者ではない。今代勇者であるフレイは、儂の娘なのだ。その縁あって儂もジュバンを名乗ることを許されているが、所詮は娘のおまけでもらった家名であることはきちんと自覚しておるよ」
ツンドクが訝しむ原因がわかったことで、ニックは苦笑しながらそう答える。そんなニックをツンドクはジッと見つめ……程なくして再び大きく息を吐いた。
「……ハァ。どうやら嘘ってわけじゃなさそうだな」
「確認してくれて構わんぞ? 何なら勇者本人に聞いてもな」
「ハハッ、そいつぁいい! もしアンタが偽物なら、勇者様に一発で首をはねられるだろうしな!」
「そんなわけなかろう! お主は儂の娘を何だと思っているのだ!」
もし万が一「偽の父」が現れたとしても、娘がいきなり首をはねるなどという暴挙に出るはずがない。そう抗議するニックの声に、ツンドクは大げさな身振りで弁明してから肩をすくめてみせた。
「冗談だよ冗談! だがまぁ、わかった。一応ちゃんとした確認は取らせてもらうが、アンタのことは信用しよう。すぐに許可を出すから、ちょっと待っててくれ」
そう言うとツンドクは執務机の引き出しから書類を取り出し、サラサラとそこに自分の名前を書いてから無造作にニックに突き出した。
「ほれ、持ってけ」
「お、おぅ。なあツンドク殿。儂としては話が早くて助かるが、いいのか?」
「自分で言うのかよ!? いいんだよ。そもそも四階以降に入る条件ってのは『信用を背負ってる』ことだ。本に何かあった場合、金だけじゃなく信用まで無くすことになるぞって脅しが通じる相手なら本を粗末に扱ったりしないだろうって、それだけのことだからな。
だからまあ、アンタはいい。勿論今まで話したことが全部嘘だって言うなら別だが、ぶっちゃけ銀級冒険者なら入れるような書庫に命を賭けるような情報なんてないしな」
勇者のみの家名であるジュバンの詐称は王族の詐称と同等の扱いで、判明すれば問答無用で斬首刑となる。更に上の禁書庫ならまだしも、四階からの書庫にそんな危険を冒すほどの本が収められていないことはツンドクが一番よくわかっていた。
もっとも、それはニックとしてはあまり嬉しい情報ではない。世界中何処に行っても存在しなかったアトラガルドの情報だけに、その程度の場所では見つからない可能性が高まってしまったからだ。
「む、そうなのか。儂の探している情報があればいいのだが……」
「ん? 目的のある調べ物なのか? なら言ってみろ。詳細まではともかく、どんな本が何処にあるかは大体わかってるから、教えてやるぜ?」
「そうか? ならば聞くが……一万年以上前の古代文明、アトラガルドについて書かれた本はあるだろうか?」
ニックの口から出た言葉に、ツンドクは一瞬呆けたような表情になり……次の瞬間机から大きく身を乗り出して声をあげる。
「アンタ、その名前を何処で聞いた? どうやって調べたんだ!?」
「うむん? 儂の友人がアトラガルドの事を調べておるのだ。その友人が何故アトラガルドの名を知っていたかまでは今の儂には答えようがないが」
「……そうか」
「その反応、ツンドク殿には何か心当たりがあるのか?」
世界中を旅して回ったニックをして、初めての反応。否が応でもニックとオーゼンの期待が高まるなか、ツンドクは乗り出していた体を元に戻し、椅子の背に体を預ける。
「ある……だがそれを教えるなら、こっちにも条件がある」
「何だ? 儂にできることなら大抵のことはするぞ?」
「アンタにできるかどうかは、俺にはわからん。だがやってもらうことは簡単だ。この町の中央にある『試練の塔』。それを最上階まで登ってくれ」
「む? それは確か、完全制覇した者に奇跡を授けるという奴か?」
「そうだ。これは別に秘密でも何でもねぇんだが、どうも塔の最上階でもらえる奇跡とやらに、そのアトラガルドって国? が絡んでるらしいんだよ。ただそれに関しては禁書庫にしか資料がねぇから、俺もよくはわからねぇんだ」
『何だと!?』
ツンドクの言葉に、オーゼンが大声をあげて反応する。だがニックにしか聞こえない声である以上ツンドクがそれに答えることはないし、ニックの方は冷静にツンドクとの会話を続けていく。
「ふむん? 禁書庫に資料があるとわかっているなら、それを読めばいいのではないか?」
「いや、それがな……禁書庫には入れねぇんだ」
「入れない? 受付では入る許可はまず下りないと聞いていたのだが……」
ニックの言葉に、ツンドクはばつが悪そうに顔を背けて頭を掻く。
「そりゃあまあ、建前って奴だ。まさか管理人の俺すら入れないなんて公言できるわけねぇだろ? かろうじて目録だけは引き継いでるから中に何があるのかはぼんやりとわかってるんだが、とにかくそこに通じる扉を開くことができねぇ。
で、そこで登場するのがさっきの『試練の塔』の話だ。これはあくまで俺の予想なんだが、塔の最上階で手に入る奇跡ってのは、実は禁書庫の鍵じゃないかと読んでるんだ。あそこの中身が手に入るなら、かなりの奇跡が起こせそうだしな」
「なるほど……であれば儂が『試練の塔』を制覇したならば、禁書庫で本を読む許可もつけてくれるか?」
「いいとも! ってかもし俺の読みが正しいなら、本来は塔を登り切った奴にしか入れない部屋ってことになるからな。むしろ俺を連れて行ってくれって頼まなきゃいけないところだぜ」
そう言って笑いながら、ツンドクが己の禿げた頭をぺちりと叩く。その何処か愛嬌のある仕草と互いの利害の一致に、ニックは微笑んでドンと胸を叩いた。
「よし、わかった! そういうことなら、この儂が見事『試練の塔』を制覇してみせよう!」
「おう、期待してるぜ」
ニックの言葉に、ツンドクが頷く。こうして二人の契約は成立し、ニック達は遂にアトラガルドの秘密に一歩近づくことに成功した。