父、魔法を使う
『素晴らしい! どうやら君には火の魔法の才能があったみたいだね! この調子で他も試してみてくれ!』
「ふふーん」
小さな部屋に響くハリーの大げさな褒め言葉に、ニックが得意げな微笑みを浮かべる。だがそんなニックに対し、オーゼンは訝しげな声で語りかける。
『貴様、一体何をしたのだ?』
「何って、見ればわかるであろう? この儂の――」
『貴様の体内で魔力が動く気配が一切なかった。熟練の魔術師ならばそういうこともできるであろうが、貴様にそんな技術があるはずもない。
さあ、言え! 一体どんなイカサマをしたのだ!』
「ぬぅ、酷い言い方だな」
『ほぅ? ならば本当に魔法を発動できたと? 貴様がそう言うなら信じるぞ? 本当に信じていいのか? ん?』
脅すようなオーゼンの言葉に、ニックが渋い顔になる。口をへの字に曲げながらそっと顔を正面から背け……
「まあ、うむ。あれだ……擦ると、熱くなるであろう?」
『やはりか……いや、我には貴様の動きが一切知覚できなかったのだが、そんなことだろうと思いはしたのだ。というか、何故そんな不正を働いたのだ?』
ばつが悪そうな顔をするニックに、オーゼンが更に問い詰める。よくも悪くもまっすぐなニックが不正を働くというのは、オーゼンからするとどうにも「らしくない」ように感じられたからだ。
「不正ではない! これは儂なりの鍛錬の結果なのだ! そもそも『己の力のみを用いて火を発現させる』という行為には成功しているのだから、これはこれで正当な手段ではないか?」
『そんな屁理屈……でもない、のか?』
開き直ったニックの言葉に、オーゼンは少しだけ考え込む。確かにそういう表現をするならニックの言い分も正しいのではという思いが一瞬だけオーゼンの中をよぎり……
『って、騙されるか馬鹿者が! ここは魔法を訓練する施設なのだから、魔法以外で火をつけたら駄目に決まっているではないか!』
「チッ……だがいいのかオーゼン? お主の言い分を正しいとするならば、残り四つの扉の先でも儂は全ての魔法の発動に失敗し、最終的にはおそらくこの幻影のハリーが失望する感じであっさりと終わりを迎えることになるのだぞ? せっかくこれほど手の込んだ遊びに参加できたのだ。最後まで見てみたいと思わんか?」
『ぐぅっ!? それは……興味はあるが……』
ニヤリと笑って言うニックに、オーゼンは言葉を詰まらせる。アトラガルド時代ならともかく、現代においてこれほど手の込んだ魔法施設は見たことがない。それに対する興味は尽きることなく、むしろニックよりもその欲求は強いのだ。
『……わかった。貴様の好きにするがいい』
「ふふふ、そうこなくては! まあ見ているがいい。儂なりの本気で、儂にしか使えぬ魔法をお主に見せつけてやろう!」
己の欲に負け折れたオーゼンに、ニックは上機嫌で火の部屋を出て、隣の水の部屋に入る。そちらでも幻影ハリーとほぼ同じやりとりが行われ、ニックは杖を構えて集中するが……
『やはり何も……む?』
今回も魔法が発動する気配は微塵も感じられなかったが、にもかかわらずニックが手にした杖の先端からぽたりと水滴が垂れ落ちる。
『今回は何を……貴様、それは平気なのか?』
「ふぅ、ふぅ……問題ない。ちょっと体力は使うがな……」
オーゼンの意識がニックに戻ると、そこには全身を高速で震わせ、びっしょりと汗をかいたニックの姿がある。その汗が腕を伝い杖へと滴り、床に固定されたゴブレットに水を満たしていく。それが七割ほど満たされたところで幻影ハリーからの賞賛の言葉がかかり、ニックはようやく力を抜いて汗を拭いながら大きく息を吐いた。
「ふぅぅ……これはなかなかに難題だったな」
『今更だが、水で満たせばいいというのであれば鞄に入れている水袋から注げばよかったのではないか?』
「馬鹿を言うなオーゼン。それこそ不正ではないか!」
『……貴様の考える不正の線引きがよくわからんのだが』
「簡単だ。儂のこの鍛え上げた肉体のみで課題をこなすならば正当な行為だが、持ち込んだ道具などを使えば不正だ。その線を越えてしまうと、極論各属性の魔法道具やら魔石やらを使うだけになってしまうしな」
『むぅ。妥協点としては妥当なところ……だな。そういうことにしておこう。うむ』
腰の鞄の中にいる関係上、ニックの体を覆う火照りを微妙に感じさせられたオーゼンは、それ以上に考えるのをやめる。結局何をどう言おうとニックが筋肉で問題を解決するという本質には何の変化もないと悟ったからだ。
実際、その後もニックによる「筋肉魔法」は、快進撃を続けた。次なる風の部屋に入ったニックは、一応杖を持って集中してみてからその拳を前に突き出す。
「フンッ!」
チリリーン!
『お見事! 君には風の魔法の才能が――』
『……まあ、そうであろうな』
見るからに頑強な鉄格子によって分断された小部屋。向こう側にある鈴を風魔法で鳴らす課題は、当然のようにニックの拳が巻き起こした風圧であっさりと達成される。続く土の部屋でもニックは律儀に杖を突き出して魔法を使おうと頑張ってはみたものの、一分ほど頑張ってからその太い指を石造りの床に突き立てる。
「よし、こんなものか」
『凄い! 君には土の――』
『これは酷い……』
土の部屋の課題は、土魔法にて台座の上に一定以上の大きさの土の塊を生み出すことであった。が、ニックは床の石材を軽々と素手で掘り抜きギュッと押し固めて台座に乗せることで達成とする。なおこのダンジョンの外壁は鋼鉄など比較にならないほどの強度を誇るのだが、やる気になったニックの前ではグズグズに腐れた朽ち木の強度と大差はない。
そして最後は、ただ丸が描かれただけの扉の部屋。ニックの巨体が部屋の中に入ると背後の扉が自動的に閉まり、辺りに暗闇が満ちる。
「これは……?」
『ははは、ビックリしたかい? ここでは所謂「無属性魔法」の腕前を見せて欲しいんだ! 今回やってもらうのは、一番簡単な「明かりの魔法」だよ。ほら、杖を手にして意識を集中して……』
「……………………」
今回もまた現れたぼんやり輝くハリーの幻影に従い、ニックは杖を手に意識を集め、ハリーに続いて呪文を唱える。だが今回もまた杖の先には何の変化もなく、ほんのりと明るくなることすらない。
「…………やはり駄目か」
全ての魔法が発動できなかったことに、ニックは少しだけションボリとして肩を落とす。自分にしか使えない魔法を見せると豪語してみせてはいたものの、やはり本当の魔法を使いたかったというのが偽らざる気持ちなのだ。
これもまた理屈は不明だが、部屋は暗闇だというのに自分の体や手にした杖などは薄ぼんやりと見える。暗闇だからこそくっきりと浮かび上がる杖を目の前に、ニックは寂しげな笑みを浮かべた。
「確かに、今更儂が魔法を覚えたところで何ができるというわけでもないのだろう。わかってはいたが……一度くらいは使ってみたかったなぁ」
『ニック……』
そんな相棒の姿に、オーゼンの魂に不思議な感覚が宿る。それが何であるのかを、無機物であるオーゼンが知ることはできない。
『もし貴様がどうしても魔法が使いたいというのであれば、我がそのような力を与えることはできるのだぞ? 王能百式であれば……』
「はは。気持ちは嬉しいが、それでは普通に魔法道具を使うのと変わらんだろう? あっ、いや、お主の力を否定するつもりはないのだが」
『気にするな。だがまあ、確かにそうだな』
如何に王能百式とは言え、無能な者に才能を与えるようなことはできない。ニックの望む魔法を発動する装具となることも、ニックに足りない魔力を外部から供給する魔力の器となることもできるが、結局は魔導具としての域を超える能力ではない。
魔導具としての己の限界。それを突きつけられたオーゼンは、同じく限界を感じながらも魔法を使いたいと願うニックの想いにその魂を震わせる。
(この男に、我は何ができるであろうか? 魔導具でしかない我に、魔導具を越えられぬ我に)
『……なあ、貴様よ。もう一度だけ詠唱を試してみる気はないか?』
「何だ突然? 別に構わんが」
不意に聞こえたオーゼンのその言葉に、ニックは軽く苦笑しながらも杖を構える。そのまま目を閉じ意識を集中したところで、オーゼンがそっと言葉を続ける。
『魔法とは、想いを形にする力だ。肉体という確かな力で願いを叶えてきた貴様には、極めて縁遠い曖昧な力であることには間違いない』
肉の器を持たないオーゼンであればこそ、魔力そのものである言葉がニックの内側に静かに響く。
『磨くべき技術は存在する。才能の有無も当然ある。理路整然と組み立てられた疑いようのない法則もある。だがそれでも、貴様の拳が理外の力を発揮するように、魔法にもきっとそんな力がある。
かつてのアトラガルドであってもそこまでは辿り着けなかったが……それでもあるのだ。我はそう信じている』
何故突然そんな事をオーゼンが語り出したのか、ニックにはわからなかった。だが理解はできずとも、感じることはできる。頼れる相棒の言葉に、ニックはジッと耳を傾け続ける。
『貴様が魔法を使えることを、おそらく貴様自身すら信じてはいないのだろう。だがそんなことは我は知らぬ。今この時この瞬間、我は貴様が魔法を使えると信じる。
祈れ。其は想いの灯火。願え。其は奇跡の篝火。我と貴様が信じたならば、それが形にならぬはずがない! 唱えよ! 今貴様は心を形と成す者なり!』
「光るもの、瞬くもの、輝き きらめき 闇を払え! 『ライト』!」
命無き魂の言葉が、ニックの魂の奥底に眠るそれをほんの僅かに押し上げる。静かな水面に起きたささやかな波は、ささやかなれど無ではなく……
「…………光った?」
ニックの構えた杖の先に、小さな小さな明かりが優しく灯った。