父、挑戦する
係の女性の言葉が終わると同時に、もう幾度も体験した軽い酩酊感がニックを襲う。それと同時に視界が光に包まれ、気づいた時にはニックの体はさっきまでとは全く違う場所に立っていた。
『転移? 現代では再現できていないのではなかったのか?』
「一般的にはその認識で間違いないはずだが……何か理由があるのではないか? それよりもここは……?」
跳ばされたのは、五面の壁に覆われた石造りの部屋。それぞれの壁には火や水などを現していると思われる模様の描かれた扉がついており、部屋の中央にはこれまた石製の台座と、その上には丸い水晶玉が置かれている。
「なんとなく意味はわかるが、解説くらいは欲しいところだが……」
『やあ! よくきてくれたね、未来の大魔術師!』
と、そこで機会を図ったかのように水晶玉が輝き、その上部に声と共に幻影が映し出された。深い緑色の服と外套を纏った一二歳くらいだと思われるボサボサ頭の少年が、微笑みながらニックの方に話しかけてくる。
『僕の名前はハリー・キッター! この塔を作った大賢者さ! と言ってもそれは将来の話で、今は君と同じただの魔術師見習いだけどね。
お師匠様が言うには、僕がこの塔の試練を突破しないと未来が正しく繋がらないらしいんだ。自分が作るはずの塔を自分で制覇するなんて不思議な話だけど、お師匠様の言うことをしっかり聞かないと立派な魔術師にはなれないから、仕方ないよね。
でも、この塔ってなかなか大変なところなんだ。まだ見習いでしかない僕一人じゃとても試練を乗り越えるなんてできなくて……と、そこで現れたのが君だ!』
照れくさそうに笑ったり軽くふてくされみせたりと表情豊かなハリーが、ここでグッとニックの方に身を乗り出して顔を近づけてくる。期待に輝く目には、どういう原理かきちんとニックの顔が映り込んでいる。
『未来の大魔術師である君と一緒なら、きっと試練を突破できると思うんだ! どうだい? 見習い同士、僕に力を貸してくれないかな?』
そう言うと、幻影のハリーがその場にしゃがみ込み右手を伸ばしてくる。
「これは握手をすればいいのか?」
『だろうな。拒絶した場合にどうなるのかも興味があるが、最初からそんなことをするのも無粋が過ぎる。まずは普通に進めるのがいいだろう』
「そうだな。では……」
幻影のハリーが高い位置に浮いているとはいえ、そもそもが子供を想定した高さのため、ニックは普通に前に手を出し握手を返す。が、当然相手は幻影なので感触などがあるわけではなく、その手は宙をすり抜けてしまう。
『ははは、驚いた? お師匠様が言うには、存在している時間が違うから直接触ったりはできないんだって。でも魔法で協力するのは可能なんだ! だから心配しないで。
それじゃ、協力してくれる君に感謝の印として、まずはこれを贈らせてもらうよ!』
その言葉に合わせて、ニックの胸の辺り……子供ならば少し見上げるくらいの位置……で光が集まっていく。そうしてピカッと輝くと、そこには三〇センチほどの短い木製の杖が浮かんでいた。
『それは僕とおそろいの杖さ! さあ、それを手に取ったら、まずは君がどんな魔法に向いているのかを教えておくれよ。五つある門のどれでも好きなのを選んで、そこに入ってみてくれ!』
「おおお、凄いな! これはどういう仕組みなのだろうか?」
『魔力による物質の精製……とはちょっと違うな。おそらくだが、これはこの建物の内部でしか存在できないはずだ。質量のある幻影といったところか』
「ほほぅ、そうなのか。しかしこれは……ふふふ……」
設定された台詞を言い終わったためか無言で立ち尽くしている幻影のハリーをそのままに、ニックは明らかに手に合わない大きさの杖を手に、ニヤニヤと笑う。
『貴様、何をニヤニヤ笑っているのだ?』
「いや、だって魔術師の杖だぞ? なんとなくこれを手にしただけで魔法が使えそうな気がするではないか!」
『子供か貴様は! いや、子供向けの施設なのだから、その反応が正しいのかも知れんが……』
「そうだろうそうだろう! オーゼンにはわからんかも知れんが、男というのはこういうのを手にしたら振り回したくてたまらなくなるのだ!」
『……まあ、うむ。ならば気の済むまで振り回せばいいのではないか? ただし、壁にぶつけて折ってしまっても知らんぞ?』
「っ!?」
呆れたようなオーゼンの言葉に、ニックの動きがピタリととまる。ニックほどの達人が手にした武器の間合いを見誤るなど通常ならばあり得ないが、楽しくなってしまっているときは話が別だ。手にした杖はそれなりにしっかりした作りではあるが、当然ながらニックの怪力に耐えられるとは思えない。
「……よし、大人しく門を選ぼう」
『実に懸命な判断だ。で、最初は何処にする? おそらくは全部入ることになるのだろうから何処からでも大差ないとは思うが』
「そうだな……」
六面ぐるっと見回して、ニックはしばし考え込む。何度も何度もその場で回転しながら全ての扉を見て回り、そうして最後に視線が止まったのは燃える炎の描かれた扉。
「よし、火にしよう!」
『ふむ? 理由はあるのか?』
「理由というか、魔法というとなんとなく火という気がせんか? 属性を語る順番も火・水・風・土の順番だしな」
『……そう言われればそうだな』
ニックの言葉に、オーゼンも納得する。アトラガルド時代においても、魔法の属性を大別する際、最初に上がるのは必ず火属性であった。別に誰かがそう決めたわけでもなければ特別に火の重要度が高いわけでもないはずなのに、火を最初とすることにただの一度も疑問を抱いたことはない。
『うむむ、人類の発展に火が必要不可欠であったからだろうか? だが生存に絶対必要というのなら水の方が先になりそうなのに、何故火なのであろうか? わからん。今まで考えたことも無かったぞ……?』
「ははは、そう難しく考えることもないだろう。皆がそう考えているからでいいではないか」
『それでは思考停止ではないか! いや、何故これが共通認識になったかを調べるという観点はいいな。だがその為には莫大な量の歴史的資料が必要に――』
「ほれ、入るぞ?」
ブツブツと考え始めてしまったオーゼンをそのままに、ニックは火の描かれた扉を開く。そうして中に入るとそこは縦長の小さな小部屋になっており、ニックの足下にはたき火に丁度良さそうな形で落ち葉が積まれていた。
『火の部屋だね! ここでは君に火の魔法の適性があるかを調べるんだ。手にした杖を部屋の中にある落ち葉の山に向けて、意識を集中してみて』
「こうか?」
突然正面に現れたハリーの幻影に動揺することもなく、ニックは杖を落ち葉の方へと向け、意識を集中させる。
『いいぞ。そしたら呪文だ!僕に続けて言ってみて。いいかい――」
ハリーの口が、呪文を紡ぐ。するとハリーの手にした杖の先にはポッと火が灯り、その呪文の効果を教えてくれる。ならばとニックも同じ呪文を唱えるが……
「むぅ…………」
『どうやら君には火の魔法に適性があんまりないようだね。でも大丈夫! 誰だって苦手があるのが当然さ! もう少し頑張ってみてもいいし、他の扉を開いてみてもいいし、そっちで上手くいってから戻ってきてもいい。焦らなくてもいいから、君の好きなように頑張ってみて! 僕はいつでも君を応援しているよ!』
幻影ハリーの励ましの言葉が静かな部屋に響く。だがそれを向けられたはずのニックはハリーの言葉を完全に聞き流し、杖を手にしたまま意識の集中を保っている。
『おい貴様よ。気持ちはわからんでもないが、これ以上拘っても状況は変わらんだろう。まだ四つも扉は残っているのだから、そろそろ他に行くべきではないか?』
急かすオーゼンの言葉すら無視して、ニックはジッと杖を構える。一度目を閉じゆっくりと息を吐いて吸って、その目が見開かれた瞬間。ほんの僅かにニックの体が震えて……
『何だと!?』
ニヤリと笑うニックの目の前で、落ち葉の山に小さな火が灯った。