皇帝、密会する
「……………………」
一瞬の酩酊感の後、マルデの眼前に広がったのは極めて特異な空間だ。壁、床、天井の全てがここ以外では見たことのない金属で構成されており、所々に突き出した金属柱はまるで神殿のような荘厳さを感じさせる。
もっとも、それに相応しい静謐な空気が満ちていたのは、もう大分前のことだ。今のこの場所には様々な魔法道具が溢れかえっており、その所有者がやってきたマルデに気づいて近づいてくる。
「これはこれは皇帝陛下。今日は一体どうしたド?」
「うむ。カゲカラの件が片付いたので、その報告だ」
「ほほーん。じゃ、計画は上手くいったのかド?」
「無論だ。というか、失敗していたら今頃お前の首が飛んでいるぞ?」
「ドッドッド! 陛下に飛ばされるほどワガハイの首は細くないド」
苦笑しながら言うマルデに、貴族が夜会で着るような服を纏いつつ、顔には道化師の化粧というちぐはぐな格好をした男……魔学者ドーナルドがまん丸の体を揺らして笑う。とても皇帝に対する態度ではないが、マルデはそれを一切気にしない。
「それで、どうだ? そちらの進捗は」
「ウーン、まあまあってところだド。流石のワガハイでもこれの完全解析には一〇年はかかりそうだド」
「そうか。まあそちらは別に急いではいない。好きなように研究するがいい。予算は幾らでも回してやる」
「さっすが陛下だド! 採算度外視で研究資金をくれるとか、まさに陛下は理想のパトロンだド!」
「世辞はいい。お前には何かをやらせるより、好きにやらせて生まれた成果の利用法を考えた方が有用だと判断しているからな」
「ドッドッド! 素晴らしい理解度だド!」
上機嫌に笑うドーナルドを横目に、マルデは部屋の中央に浮かぶ大きな光球に目を向ける。それは今日も静かに明滅を繰り返しており、その度に光球の周囲にはとある人物の映像が浮かんでは消えていく。
「……これを見つけた時、余の人生は決まった。決して他人に奪われぬよう愚か者を演じ、既に強力な力を持っていたカゲカラの操り人形となることを選んだのだ」
それは世界で最も有名な魔法道具であり、世界の何処かにあるとされていながら誰一人実物を見たことのなかったもの。精人族の世界樹、獣人族の獣の命脈に並ぶ、基人族の世界を支える力の大本。
「ワガハイとしてもビックリだド。まさか『ぼうけんのしょ』がザッコス帝国の地下にあったとは!」
「地下といっても大分深いのだろう?」
「そうだド。ワガハイの調査では、大体地下三〇〇メートルくらいだド。ちなみに壁の金属はどうやってもかすり傷すらつかなかったし、外に繋がる物理的な出入り口は一つもないド」
世界中の冒険者ギルドにて勇者の動向を伝える『ぼうけんのしょ』。公にはその大本たる魔法道具は冒険者ギルドの本部にあることになっているが、ごく一部の権力者だけはそれが存在しないことを知っている。
ならばこそそれを手に入れ政治的に、もし扱えるのであれば軍事的にも利用してやろうと考えるのは権力者なら当然で、そのため今も世界中でこっそりと『ぼうけんのしょ』を探す部隊が暗躍しているのだが……
「……探しても見つからんわけだ」
何故ここにあるのか、どうしてザッコス帝国の緊急避難通路にここに跳べる転移陣が存在していたのか、その辺はマルデにも全くわからない。
だが、そんなことはどうでもいい。今ここに多くの者が探した『ぼうけんのしょ』があり、それを押さえているのがマルデであるということだけが重要なのだ。
「そう言えば、魔導鎧の連鎖自爆は上手くいったド?」
「ああ、問題ない。きちんと二式魔導鎧だけが爆発したようだ」
「そりゃよかったド……そういえば、どうして二式だけを爆発させたかったんだド?」
「ん? 説明しなかったか? 余としては二式魔導鎧より、一式改の方を普及させたかったからだ」
自分の仕事で大勢の兵士が死んだことを一切気にするそぶりのないドーナルドの問いに、マルデもまた特にそれを気にかけずに言葉を続ける。
「二式魔導鎧は確かに強力だが、生産に必要な魔石の入手難易度が高すぎてどうしても大量には作れない。だが余の目的には世界中の兵士に魔導鎧を着てもらう必要がある。だからこそあえて二式のみを自爆させたのだ」
「……何でそれで二式じゃなくて一式改が普及するんだド?」
「あのな、誰も彼もがお前のように研究馬鹿ではないのだ。同じ系統の技術で作られた兵器が二種類あり、発展系の方だけが爆発した。ならば発展系は失敗とみなし、まずは安定しているであろう一式改の研究と量産に踏み切るのが当然だ。
要は二式を爆発させたことで、間接的に他国の進む方向性を示唆したのだ。時間も金も有限なのだからな」
「ほーん。凡人は大変だド」
マルデの説明に、ドーナルドはさして興味も無さそうにそう答える。理由が政治的なものであると言われれば、それこそ本当に何の興味も湧かなかったからだ。
「全くお前という奴は……それより、一式改の方に仕込んであるものは大丈夫なのだろうな?」
「勿論、そっちも完璧だド! 何ならもう一回動かしてみるド?」
「……いや、やめておこう。魅力的ではあるが、今はまだ帝国軍は敵地にいるだろうからな」
その仕込みこそが、マルデの本命。魔導鎧という絶好の餌と、ドーナルドの超技術、そして『ぼうけんのしょ』の三つが揃ったからこそ、マルデは丁度いい隠れ蓑だったカゲカラを排除し動き出すことを決めたのだ。なのにここで半端な好奇心に負けているかも知れない敵につけいる隙を見せるなどしたら、演技ではなく本物の暗愚になってしまう。
「ちなみに、勇者は今何処で何をしているんだ?」
「そんなのワガハイは知らないド。知りたきゃそれを使えばいいド」
「……まあ、そうだな」
素っ気ないドーナルドの態度に腹を立てることもなく、マルデは『ぼうけんのしょ』に目を向ける。するとそこには外の見えない船の甲板らしき場所にてぐったりとしている勇者の姿が映っており、すぐ側に浮かぶ世界地図は勇者のいる場所を海の上だと示している。
「……海の上? というか、何だこの訳のわからん乗り物は? 船のようだが、外が見えないのにどうやって動かしているんだ?」
「さあ? そう言えば何かデッカイ人間のところで魔導船を改造していたような……」
マルデの漏らした呟きに、ドーナルドが宙に視線を逸らしながら言う。どちらかというと大工仕事のような面が大きかったため、ドーナルドとしてはさしたる興味は引かれなかったためだ。
「魔導船を改造、か……ならばもうあの馬鹿でかい船が帝国に戻ってくることは無くなるのか? であれば実にいいことだが」
愚鈍なふりはしていたが、マルデの口にした言葉は基本的に全て本音だ。魔導船の処遇に困っていたのは事実であり、あれが戻ってこないのであればマルデは諸手を挙げて歓声をあげてもいいと思っている。
「ふむ、この様子ならば予想通り勇者は当分動かないだろう。今更やる気を出されてはこちらの計画が狂ってしまうからな」
それで計画が潰えたりはしないが、勇者が積極的に動いてしまうとマルデが得るべき功績が大幅に減ってしまう。それでも帝国を世界一の大国にのし上げ、自身の立場を盤石にすることには問題ないが、その先……運命に選ばれし者として世界を導く工程までいくと、強すぎる勇者の存在は邪魔になる可能性が出てくる。
「もし万が一積極的に動き出すようなら手を打つ必要もあるかも知れんが……今は様子を見る方が賢明だな。では、余はもう行く。後は任せたぞ、ドーナルドよ」
「わかったドー!」
顔すら向けないドーナルドの返事に、マルデは背を向け部屋を出て行こうとした。だが最後にその場で振り返り、自身の運命を変えた光球を眩しげに見つめる。
「頼んだぞ、我が切り札たる『ぼうけんのしょ』……いや、『信仰の書』よ」
三種の人類に残された、三つの要。その最後の一つたるそれは、静かに勇者の姿を映し続けていた。