皇帝、姿を現す
「ぬっ、ぐっ……ぐぉぉ! ハァ、ハァ、ハァ……」
ヨロヨロとよろけながらその場を離れたカゲカラが、背に手を回して自ら腹に刺さった剣を引き抜く。それから常備している回復薬を乱雑に腹に振りかければすぐに傷口は塞がったが、受けた苦痛が消えるわけではない。憤怒にまみれた視線で、カゲカラは自分を刺した息子を思いきり睨み付ける。
「ウラカラ、貴様どういうつもりだ!?」
「おや、やはり回復薬を常備しておりましたか。流石父上、用意周到というか生き汚いというか……」
「質問に答えろ! 何故私を刺した!? 殺すのは皇帝だと言ったであろうが!」
「ええ、確かにそう聞きました。ですので実行したのです」
「はぁ?」
心底意味がわからないという顔をしたカゲカラに、ウラカラは若干の呆れを込めた視線を向ける。
「いいですか? 私はこのザッコス帝国の忠実な臣です。なので今までは帝国宰相である父上の命令に従ってきました。ですが今回、父上は皇帝陛下を弑するという大罪を犯そうとなさいましたので、帝国のためにそれを防がんと行動したのです。ご理解いただけましたか?」
ウラカラの説明に、カゲカラは数秒の間沈黙する。そうして思考が一巡りしてから出たのは、盛大なため息だ。
「……そうか、どうやらお前は私が思っていた以上に愚か者だったようだな。まさか皇帝という肩書きだけで、このような暗愚に心からの忠誠を誓っていたとは……」
「ふふふ、陛下が暗愚ですか……」
「何だ、何が可笑しい!? あの男が暗愚でなくて何だというのだ!?」
「だ、そうですよ、陛下?」
「間違ってはいないだろう? カゲカラの人を見る目はなかなかのものだぞ?」
意味深な笑みを浮かべてウラカラが言えば、壇上から楽しげな声が響く。その強い違和感にカゲカラが顔を向ければ、そこには悠々と玉座に座り笑みすら浮かべる皇帝マルデ・ザッコスの姿があった。
「な、何だ!? これは一体……!?」
「なあカゲカラ。余は別に肩書きになど固執していないのだ。もしお前が単に皇帝という肩書きを欲しただけで、それを得たのち帝国をきちんと発展させてくれるならば、お前の余命分程度はそれを貸してやってもよかったのだ」
「陛、下……?」
玉座から立ち上がったマルデが、ゆっくりとカゲカラの方へと歩み寄ってくる。その堂々たる佇まいは今までカゲカラが見てきた皇帝の姿とはあまりに乖離が激しく、ついさっきまで感じていた悶絶するほどの痛みすら忘れてカゲカラはマルデの顔を眺めてしまう。
「だが、お前は私利私欲に走るばかりで、帝国のことを顧みなかった。余がそれとなく修正案を提示しても、お前は一顧だにしなかった」
「そ、それは! 当たり前ではありませんか! あのような弱腰の政策など実行できるはずがありません!」
見下し殺そうとしていた皇帝に、カゲカラは知らず敬語を使う。それほどまでに目の前に立つ男の覇気は強く、そんな男が静かに首を横に振る。
「違うぞカゲカラ。それは違う。わかっているのか? 余は愚者を、暗愚を演じていたのだ。つまり余の提示した政策は、そんな暗愚ですら思いつく程度の当たり前のことでしかない。
だが、お前はそれを全て蹴った。国を、国民を蔑ろにして、ただ自分の野望を達成することだけに邁進した。
皇帝の肩書きなどどうでもいいが、流石にそんな輩に貸し与えることはできない。故にお前の役目は今日で終わりだ。今までご苦労だったなカゲカラ」
「っ……だ、誰か! 誰かいないか! 陛下が! 陛下がご乱心だ!」
ズイッと顔を詰められ、取り乱したカゲカラが大声をあげる。だが自分の手によって人払いされた謁見の間に駆け込んでくる兵士がいるはずもない。
「父上……普通に考えてそれは通らないのでは? ああ、いや、父上の子飼いの者であれば別でしょうが、そういう者達はほとんど二式魔導鎧を着せて戦場に送り出してしまったでしょう? それでも用心深い父上のことですから、何人かは残していると思いますが……」
「そっちの方は片付いたぜ?」
『俺達にかかれば、こんなの余裕だぜ!』
と、そこに新たな声が聞こえてくる。堂々と謁見の間の扉を開けて入ってきたのは、直立する蛙の姿をした魔族だ。
「おお、貴様は! おい貴様! 殺せ! 今すぐ皇帝とその裏切り者を殺すのだ! そうすればお前を帝国の将軍に取り立ててやろう!」
ゲコックの登場に、カゲカラは興奮して叫び声をあげる。そんなカゲカラの言葉にゲコックはぷくりと頬を膨らませてからカゲカラの方に近づいていく。
「へぇ、魔族の俺を将軍に? そりゃ大した出世だな」
「そ、そうだ! 貴様には勿体ないほどの大出世だぞ! さあ、今こそ貴様の望む下克上とやらを為すがいい! この私が貴様を……っ!?」
カゲカラがそれを言い終わるより早く、ゲコックの手が動く。腰から抜き放たれた剣はカゲカラの右腕を切り飛ばし、返す刃は追加で左手も飛ばす。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!? きさ、貴様! 何故、何故貴様まで私を……っ!?」
「そりゃ決まってるだろ。沈みそうどころかもうとっくに水底に落ちてる船に乗る馬鹿なんているかよ? なぁギン?」
『兄貴に乗って欲しけりゃ、もっと豪華な船を用意しなきゃ駄目だぜぇ?』
「ぐぅ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」
その場に倒れ込んだカゲカラが、芋虫のように床を転げ回る。その衝撃で懐の回復薬の瓶を割り、漏れ出た液を塗りつけることで両腕の出血は止まったが、流石に失った腕が再生するほどの効果はない。ひたすら苦痛に呻くカゲカラを余所に、ウラカラの隣にきたゲコックはウラカラと共にその場に膝をついて頭を下げた。
「ということで陛下。仰せつかった任務はこれにて完了です」
「うむ、よくやってくれたゲコック。約束通りお前には相応の地位を用意しよう。とはいえ当面はその姿を晒すのはやめておいた方がいいだろうな。流石に庇い切れん」
「ま、その辺は俺もわかってますから、贅沢はいいませんよ」
マルデの言葉に、ゲコックはべろんと舌を伸ばして言う。宰相と違い、皇帝はきちんと自分の顔を見て、名を呼んでくれた。ただそれだけのことであっても、ゲコックからすれば皇帝に対する信頼度は宰相の比ではなかった。
「さて、では今後の話だが――」
「なぜだ!? なぜごんなごどになっだのだぁ!?」
改めて話を始めようとしたマルデの耳に、カゲカラの醜い叫び声が届く。ただ床を転がるだけの姿は滑稽なれど、その形相はこの世の負の感情を一身に引き受けたかのように歪みきっている。
「ハァ。おいゲコック、お前の剣を貸せ」
「どうぞ」
ゲコックから剣を受け取り、マルデはカゲカラに近づいていく。立ち上がることすらできないカゲカラは、そんなマルデをただひたすらに睨み付ける。
「あり得ん! あり得ん! 貴様のような暗愚がこの私を陥れるなど、絶対にありえんんんんんん!!!」
「暗愚なぁ……なあカゲカラ。お前の目には、余はどう映っていた? 思い通りに動かせる便利な手駒か? それとも見るに堪えない愚か者か?」
カゲカラのすぐ側まで辿り着いたマルデが、その場にしゃがみ込む。噛みしめた唇からは血が滴り、飛び出そうなほどに血走らせた目がその顔を睨んだが、マルデはそれに怯むことなくカゲカラの頭をがしっと掴むと、鼻が触れ合うほどの距離にお互いの顔を近づけた。
「きっとお前はこう思っていたはずだ。余はお前にとって取るに足らない存在。いちいち気にする必要すら無いその他大勢と同じ……そう、まるで雑魚のようだと」
「うっ……………………」
その瞬間、マルデの瞳に宿った光にカゲカラは言葉を失った。海千山千、どんな相手も上から見下し支配してきた男が、自分の半分も生きていない若造に気圧されたのだ。
「それは正しく、だが間違っている。そう見えるように生きてきたが、それは余の一部でしかない。それを知る者はほんの数人しかいないが……喜べ、今日からお前もその一人だ」
「……た、助けていただけるので?」
目を泳がせ唇を震わせ、カゲカラがそう言葉を紡ぐ。だがそれに対するマルデの答えは、ニヤリと笑ってカゲカラの頭から手を離すこと。
「そして誇れ。余のことを知り、死後の世界に旅立つのはお前が初めてだ。後から続く者に精々自慢するがいい。ザッコス帝国皇帝たる余が初めて直接手を下すのは、お前だ!」
「かひゅっ!?」
力強く突き降ろされた剣が、カゲカラの頭を貫く。硬い頭蓋を貫くその一撃は、マルデがただ口先だけの男ではないことを如実に物語っている。
「よし、静かになったが……流石にここで話をするのは気が滅入るな。ユーノウ」
「こちらに」
決して大声ではない、まるで隣にいる人物に声をかけるような気安さで発せられたマルデの言葉に、メイド服に身を包んだ年若い娘が突然姿を現す。戦士であるゲコックですらいつ何処から彼女が現れたのかわからなかったが、マルデはそんなことを気にしない。
「この場を片付けておけ。ああ、カゲカラの死体は使い道があるから、清拭して保管しておくように」
「畏まりました」
「では、場所を変えるぞ。ついてこい」
誰の返事を待つこともなくマルデが颯爽と歩き出し、一礼するユーノウを横目にゲコックとウラカラはマルデの後を着いて謁見の間を後にした。