帝国宰相、決断する
「何故!? 何故だ!? どうしてそんなことになったのだ!?」
少しばかり時を遡った、ザッコス帝国、帝城内にあるカゲカラの執務室。そこでは激しく声を荒げるカゲカラと何の感情も見せないウラカラが見つめ合っていた。
「意味がわからん! 何故突然二式魔導鎧が全て自爆したのだ!?」
「原因は目下調査中です。が、調査すべき二式魔導鎧が一つも残っておりませんので、結論が出るにはかなり時間がかかるかと」
「ふざけるな!」
執務机の上に置かれていた墨壺を、カゲカラが感情のままに息子に投げつける。それは狙い違わずウラカラに命中し、着ていた上等な服に惨めな黒染みがあっという間に広がっていった。
「ふぅ、ふぅ……では、戦況はどうなっている?」
「非常に悪いです。そもそも帝国の侵攻は二式魔導鎧の部隊が敵国の頭を潰し、その混乱に乗じて攻め込むのが前提でした。なのでそれが全て無くなった今、万全な状態の敵国と通常の戦争をする必要があるのですが、それを継続する余裕が帝国にはありません」
「ぐっ……どうにかならんのか?」
「なりません。せめて攻め入る国を一国に絞り、そこで足場を固めたら次に……としていれば何とかなったのですが」
「それでは世界征服に何百年もかかってしまうではないか!」
吐き捨てるように言いながらも、カゲカラはその事実を受け入れざるを得ない。軍事の専門家ではなくても、一国の宰相として軍部にも深く関わってきた経験上、それが正しいとカゲカラにも理解できているのだ。
「ならば、せめて先に落とした三国だけは併合を……」
「それも難しいと思われます。切り札たる二式魔導鎧を失ったことで、帝国にはそれらの国を押さえつけておく力がありません。各国に宣戦布告をしてしまった関係上、今すぐに全軍を引き上げて自国の守りを固めなければ逆に帝国が敵側の連合国に占領される恐れがあります」
「ぐぐぐっ……だ、だが一式改の魔導鎧を着せた部隊は全て健在なのだろう? であれば……」
「それを計算に入れての結論です。ここで引かねば帝国は消えてなくなります。父上……いえ、宰相閣下。どうかご決断を」
「……………………」
あくまで冷静に決断を求めてくるウラカラに、カゲカラは血が滲む程に唇を噛みしめながら考え込む。それしかないとわかっていても、それを受け入れてしまえば自分に待っているのは敗戦の責任者としての惨めな余生だけだ。
「……………………わかった」
「了解しました。ではすぐに停戦の手続きを――」
「違う。停戦ではない……革命だ」
「父上?」
俯いていたカゲカラの顔が、凶悪な笑みを浮かべて持ち上がる。ギラギラと血走った目は諦めた男のそれではない。
「そう、革命だ。此度の戦は皇帝陛下がその強権を振るって独断したことであり、私はそれを決死の覚悟で諫めるのだ。そう発表した上で世界中から軍を引けば、少なくとも私の行動に大義名分は立つ」
「……その場合、皇帝陛下はどうされるので?」
「無論、死んでもらう」
そう言うカゲカラの表情に、罪悪感は一切無い。むしろこれ以上無い名案だとばかりにニヤリと口を歪める様は楽しげにすら見える。
「そうだ、こういうときの為に陛下を飼っておいたのだ。あの阿呆に責任を取らせれば、まだここから巻き返しが図れる。時間さえあれば二式魔導鎧はまた作れるのだ。そうやって軍備を整えたら、今度こそ世界をこの手に……、ふふ、ふふふ……」
「……………………」
「何をしているウラカラ。すぐに陛下に謁見の許可を求めよ。勿論余人を交えず私と陛下のみでの謁見だ。それと今回の件に異を唱えそうな者達を捕らえておけ。
ああ、そうだ。ついでにあの魔族も始末しておこう。陛下が魔族にたぶらかされて開戦に踏み切り、それを私が留めたとなればむしろ功績を誇ることすらできるかも知れん。いける、これならば……」
「畏まりました。では準備が整い次第ご連絡差し上げます」
「うむ、しっかりな」
一礼して部屋から出て行くウラカラを見送り、カゲカラは一人ほくそ笑む。予期せぬ事故で潰えたはずの野望が未だ繋がっていることに、カゲカラは運命を感じずにはいられない。
「これは天が私に世界を統一せよと言っているに違いない。そうだ、私こそ選ばれた存在! 地に蠢く無知蒙昧な輩を我が英知で支配し導いてやることこそが、私がこの世に産まれた天命なのだ! フフフフフ……」
邪悪な笑みをこぼしながらカゲカラは三日の時を静かに過ごし……そして遂に運命の日。
「やあ、いらっしゃいカゲカラ。よく来たね」
「お忙しい中私との謁見に時間を割いていただき、誠に感謝致します、陛下」
相変わらずオドオドした態度のマルデに、しかし今日ばかりは上機嫌でカゲカラが一礼して見せる。
(ふふふ、いつもは苛立たされる態度も、今日で見納めとなればむしろ味わい深いものだ)
「それで? 僕……じゃなくて、余に何か話があるってことだったけど、ひょっとして戦争のことかい? どうなったのか全然話が入ってこないんだけど……」
皇帝という立場でありながら、マルデは戦争に関して「開戦した」という事以外何も知らされていない。当然それはカゲカラの意思であり、「愚か者は嘘でも真実でも、ただ知るだけで害悪となる」という考えからだ。無論マルデはそれに抗議したが、カゲカラが取り合うはずもない。
「はい、そのことでございます。実はこの度、我が帝国は周辺諸国に向けた宣戦布告を撤回、停戦措置をとろうと思っております」
「あ、そうなの!? そうかそうか! いいよね停戦! ほら、戦争とか怖いし! みんな仲良くが一番だよ、うんうん」
「ええ、その通りで……ただ、戦争を終わらせるに当たって、始めた者が責任を取る必要がございます」
「え、それってカゲカラがどうにかなるってこと!? それはちょっと困るっていうか、カゲカラがいなくなると僕としてはどうしていいかわからなくなるっていうか……」
「いえ、私ではございません。責任をおとりになるのは陛下でございます」
「僕!? え、何で!?」
驚きに玉座から体を跳び上がらせるマルデに、カゲカラは必死に無表情を取り繕いながら顔をあげる。
「それは勿論、陛下はこの国の皇帝であらせられますので。国の為したことに対する責任を国の長たる陛下にとっていただくのは当然でございます」
「うっ……いや、まあそうかも知れないけど……でも戦争を始めちゃったのはカゲカラじゃないか! 僕はあんなにとめたのに……」
「陛下! 下の者に責任を押しつけるなど、偉大なるザッコス帝国の皇帝である陛下がなさることではございませぬ! 陛下のお父上であれば、きっと笑顔で皇帝の責務を果たしてみせたことでございましょう」
「うぅぅ……わ、わかったよ。じゃあ、僕……じゃない、余はどうすればいいのさ?」
「はい。古来より開戦の責任の取り方は一つです。即ち……」
言いながら、カゲカラはゆっくりとマルデに向かって歩み寄っていく。その懐には短剣が握られており、あと三歩という距離まで近づくと……
「…………がふっ!?」
カゲカラの腹部に、突然にして熱い感触が広がる。首を下に振ってみれば、その腹から血に濡れた鉄の塊が突き出していた。
「な、に……?」
訳がわからず、カゲカラは背後を振り返る。するとそこにはあの日黒く汚れた服をそのまま着たウラカラが、無表情のまま立っていた。