父、気遣われる
「……………………」
その場にいた全員が、ただ無言でその火柱を見上げる。それは王都サイッショに暮らす人々ですら例外ではなく、突然の響いた二度の轟音に加えて遠くからでも見える巨大な火柱に、人々は仕事の手を止めしばし天を仰ぎ見る。
「……何だこれは」
十数秒の後に火柱が収まると、肌を焦がす熱を無視してリダッツはニックが開けた穴の側へと歩み寄る。そうして中を覗くと、そこには――
「何も無い?」
「嘘だろ、おい……」
リダッツに続くように他の兵士達もやってきて、穴の中を見て声を漏らす。そこはただ黒く煤けた大地があるのみで、何も無い。仲間を殺した憎い敵の姿も、恐ろしい力を秘めた鎧も、何も何も……何一つ存在しない。
「これが同じ人間のすることなのか……」
もはや怒りすら通り越し、力の抜けた声でリダッツが呟く。確かに帝国兵は仲間の命を奪った敵であり、王女の前でその侍女を犯すなど、端的に言って屑であった。
だがどれほど救いようのない敵であろうと、この世に在った痕跡一つ残すことなく焼き尽くされるという仕打ちを受ける必要があるのか? 国のために戦った兵士が名誉どころか骨の一欠片すら残すことなく消し去られるようなことがあっていいのか? そんな考えがリダッツの頭をグルグルと駆け巡っていく。
「ザッコス帝国って何なの!? 何の権利があってここまで非道なことができるの!?」
「落ち着いてマモリアちゃん。ほら、あんまり前のめりになると穴に落ちちゃうから」
「でも、先輩!」
「うん、わかるから。気持ちはほら、僕も同じだしね」
涙を浮かべるマモリアに、シルダンは己の握りしめた拳をみせる。震える拳は怒りと悲しみに満ちており、もし手甲を外していればきっと爪が食い込んで血が流れていたことだろう。
「ニック様!」
と、その時訓練場の出入り口からキレーナ王女がやってくる。その隣にはガドーの姿もあり、城内にも関わらずその手は腰の剣にかかっている。
「キレーナ王女殿下!? 何故このような所に!?」
「部外の協力者であるニック様のいる場所で異常事態が起きたのです。その確認に王族が来るのは当然ではありませんか! 本当ならばお父様が来られるのが正しいのでしょうが、お父様はそういうところはちょっとこう、アレなので……」
「お、おぅ、そうか」
キレーナ王女の微妙な物言いに、ニックもまた微妙な返事を返す。そんな微妙な空気に割って入ってきたのは隣に立つガドーだ。
「それでニック殿。これは一体……?」
「ああ、それなのだが……」
説明を求められ、ニックは今起きたことを話していく。すると二人の表情はみるみる険しくなっていき、特にガドーは堪えきれぬとばかりにその足を踏み鳴らした。
「くっ、まさかそのような……」
「ガドー、落ち着きなさい」
「姫様……失礼致しました」
「構いません。その憤りはきっと正しいものですから。しかし、そうですか。帝国はそこまで……」
小さくそう呟いてから、キレーナが空を仰ぎ見る。夏が間近に迫った空は抜けるように青いというのに、キレーナの心はこれ以上無い程に曇っている。
「この戦争は、どうなってしまうのでしょう……?」
「わかりませんな。帝国の戦力があまりに未知数過ぎます」
キレーナの言葉にガドーが答える。今回ザッコス帝国は周辺諸国に一斉に宣戦布告をしており、あり得ない速度で次々と国を落としている。その理由を身を以て知ったわけだが、それは戦力の底を知れたということではない。
「たった一〇〇人で直接城を落とせるとなれば、脅威的な速度で複数の国を陥落せしめた理由はわかりました。となると問題はその部隊をどれほど帝国が抱えているかということになりますが……」
普通に考えれば虎の子のはずの襲撃部隊。だが帝国は貴重なはずのそれをあっさりと切り捨ててみせた。鎧の秘密を守るためにやむを得ずという可能性も勿論あるが、魔法道具の研究など一朝一夕でどうにかなるものではない。にもかかわらず救出部隊を送り出してこない、つまりこれが「切り捨てても問題ない」と思われる程度の部隊であるのなら……
「……戦乱は長引くかも知れないのですね」
「はい」
「……………………」
厳しい顔をする二人に、ニックはかける言葉がない。今回は約束のためにはせ参じたニックだったが、本来なら冒険者であるニックは積極的に戦争に関わることが許されていないからだ。
もっとも、ならば傭兵になればという話でもない。勇者の父であるニックの行動は、当然勇者本人にも繋がって考えられる。ならばこそ「全ての人類」から勇気を集める必要のある娘の父が、人の世界で敵と味方に分かれるような立ち位置を決めることなど許されない。
「ニック様」
そしてそれはたとえ幼かろうとも王族として教育を受けているキレーナには理解できている。だからこそ精一杯の笑顔を浮かべ、ニックに向かって一礼する。
「これまでのご協力、ありがとうございました。さしあたって帝国兵の脅威も消えた今、これ以上ニック様にご迷惑をおかけすることはできません。今は国がこの状況なのですぐに報奨を……というわけには参りませんが、いずれ必ずニック様の働きに報いることを王女の名の下にお約束致します」
「ありがとうございましたニック殿。ニック殿がいなければ、今頃この城には帝国兵の姿しかなかったことでしょう。心から感謝致します」
「王女殿下、ガドー殿。儂は…………いや、そうだな。確かにここが引き際なのだろう」
二人の心遣いに、ニックは静かに笑ってみせる。このままここに留まれば、きっとこの城の顔なじみの者達のために自分は拳を振るってしまう。たとえばキレーナが殺されそうになったりしたら黙って見過ごすことなどできるはずもないのだから、その気遣いはニックにとって寂しく、そしてありがたいものだった。
「だが、そうだな。儂としても冒険者を辞めるつもりはない故に、ここにいたことを公にされるのは困る。なので報奨は先延ばしではなく、今この場で受け取りたいと思うのだが……」
「え、今ですか!? えっと、今すぐご用意できるようなものとなると、大した物は……」
ニックの提案に、キレーナが戸惑いの声をあげる。戦死した兵士達の家族に渡す見舞金や城の修繕費などで、コモーノ王国の財政には全く余裕がない。ならば物品でと言っても宝物庫に入っているものなどたかが知れており、とても今回の働きに見合うような物は思いつかなかった。
そして、そんなことはニックにも当然わかっている。だからこそニヤリと笑い、ニックは言葉を続けていく。
「ははは、大丈夫だ。儂が欲しいのは金や物ではない。強いて言うなら、免罪符か?」
「免罪符、ですか?」
「うむ。その……あれだ。城の壁を殴り壊して無断で謁見の間に侵入したことを不問にしてもらえんか?」
「は?」
ばつが悪そうに頭を掻くニックに、キレーナは一瞬呆けた顔になる。そして……
「ぷっ、くっくっく……わかりました。では器物損壊と不敬の罪を不問にします」
「そうか! いやぁ、助かったぞ!」
偉そうに胸を反らして言うキレーナにニックは嬉しそうに答え、その茶番の出来に二人で顔を見合わせて笑う。
確かに平時に城の壁を殴って壊し、王の座す謁見の間に許可も無く侵入すれば極刑すらあり得る重罪だ。だが自分達を救うためにそんな無茶をしてやってきてくれた相手を罪になど問うはずが無い。
それは直接戦争に関われないニックのせめてもの心遣いであり、相手を思う気持ちがそのまま自分達に返ってきただけのこと。すぐにそれを理解したキレーナは、ひとしきり笑い合ってから王女と少女の顔を合わせて微笑む。
「もう何度目かわかりませんが、それでも言わせてください。ありがとうございます、ニック様。貴方の進む道に光が溢れていることをお祈りしております」
「ありがとう。お主達も壮健でな」
そう挨拶を交わすと、ニックはゆっくりとその場を去って行く。途中兵士達に声をかけたり、町に出れば冒険者ギルドに顔を出したりしてから再び魔導都市マジス・ゴイジャンへの旅は再開され……そして一月後。
「うむん?」
どの冒険者ギルドにも掲示される、大きな世界情勢を伝える情報板。たまたま立ち寄った町でニックが目にしたそれには、「戦争終結。ザッコス帝国、周辺諸国に対して全面降伏」という意外な文字が躍っていた。