父、いい具合に殴る
「五人でかかれ!」
「ハッ!」
隊長の男の指示に、魔力刃を展開した五人の帝国兵が一斉にニックに躍りかかってくる。訓練された正規兵だけあってその動きはしっかりと連携が取られており、ニックの巨体も相まって回避するのはほぼ不可能。
「フンッ!」
「ぐがっ!?」
だが、そもそもニックに回避など必要ない。飛びかかってくる帝国兵に目にも留まらぬ速度で拳を繰り出せば、ただそれだけで帝国兵の体が放物線を描いて囲いの向こうへと飛んでいく。
「何だその腕力は!?」
「鍛えておるのだ! お主達の借り物の力と一緒にするな!」
「ぎゃふっ!?」
それを皮切りに更に前へと踏み込んだニックの腕が、次々に帝国兵をなぎ倒していく。そのあまりにも一方的な光景に、徐々に帝国兵達の腰が引けていった。
「ええい、下がるな! 大丈夫だ、倒れた者達もすぐに目を覚ます!」
「ほ、ホントにですか!? 全然起きる気配がないですけど?」
「は? 何を言って……」
部下の言葉に隊長の男が背後に視線を向けると、最初に吹き飛ばされた部下達はきっちり目覚めているのに対し、今吹き飛ばされた部下達は全員が呻くような声をあげているだけで立ち上がる気配がまったく無い。
「何故だ!? さっきは大丈夫だったはず」
「当たり前だ。今度はちゃんと鎧の強さを計算して力を込めているからな!」
戸惑う隊長の男に、ニックはニヤリと笑いながら更に拳を振るう。それを腹に食らった帝国兵はことごとく吹き飛ばされていき、彼らの身につける魔導鎧には細かいヒビすら入っている。
「ま、魔導鎧が破損するなんて!? 隊長、これはマズいんじゃ?」
「クソッ、こうなれば……っ!」
焦る部下の言葉に、隊長の男は腰につけた鞄から小さく丸い石のようなものを取り出し、思いきり床に叩きつける。するとキィンという高音が響き、同時に周囲に特殊な魔力の波動が放たれた。
『む?』
「ん?」
『いや、今あの男の足下から特異な魔力が放たれたのだ。おそらくだが何かの合図として使ったのではないか?』
「……合図?」
「ほぅ、よくわかったな。そうとも、今し方この城にいる全員に集合命令を出した。すぐにこの場にはこの城を落とした全軍が集まってくることになるぞ!」
オーゼンの言葉に反応して漏らした呟きだったが、ニックのそれを拾い上げ隊長の男が勝ち誇るような笑みを浮かべる。だがそれに対するニックの反応はその男の望むものとは真逆だ。
「おお、それはいい。探す手間が省けるというものだ」
「ほざけ! 余裕ぶっていられるのも今だけだ!」
吼える隊長に答えることなく、ニックは拳に込める力を弱めていく。今全滅させてしまうと、せっかく集まってくる敵がそれを見てまた逃げてしまうかも知れないからだ。ニックであれば探せないことはないが、向こうから集まってくれるというのであればその流れに乗らない手はない。
「ぐはっ!? つぅぅ……」
「ん? お前意識が……見ろ! 奴は疲れているぞ! やはり相当に無理をしていたのだ! このまま奴を休ませることなく一気にたたみかけろ!」
「ハッ!」
それをニックが疲労したと勘違いした隊長の号令の元、帝国兵達が次々とニックに襲いかかってくる。帝国兵の猛攻を戦意が喪失しないように手加減しつつニックがいなしていくと、程なくして謁見の間の入り口から続々と新たな帝国兵達が入ってきた。
「隊長、これで全員です!」
「よし! ならば筋肉親父の足止めに五人、残りは俺に力を集めろ!」
「「「ハッ!」」」
隊長の号令の下、集まった何十人もの帝国兵が一斉に剣を掲げ始める。そうして魔力刃を展開するとその青白い光が隊長の掲げる剣へと収束していき、ドンドンとその輝きを増していく。
「魔力、反転!」
そして次の瞬間、隊長の剣に宿る光が清浄な青い光から禍々しい赤い光へと変わっていく。それに伴い隊長の男の表情も苦しげに歪んでいくが、掲げられた手が下がることはない。
『おい貴様よ、あれには警戒せよ。おそらくは何らかの魔法なのだろうが、我が見たこともない反応だ……何だあれは?』
「むーん? 確かに何やら怪しげな光だが……」
「ハハハ、今更警戒したところでもう遅い! 完成した魔導鎧の力によって万の軍勢すらなぎ払う究極の力、その身で味わうがいい! 食らえ、反魔剣!」
それは何かを結びつけ火や水を生み出す通常の魔力とは逆に、何かを繋げている魔力を反発させ破壊する拒絶の力。大きく伸びた赤い刃は謁見の間の天井すら切り裂きニックに向かって振り下ろされるが……
「フンッ!」
パキィィィィィィン!
「…………?」
剣を振り下ろした姿勢で、隊長の男が固まる。その視線の先には拳を振り切った体勢ながら血の一滴も流していないニックがおり……
「……………………???」
視線を降ろせば、自分の手には折れた剣が握られている。そこには既に魔力刃は宿っておらず、ただの鉄製の剣になっている。
「??????」
更に視線を彷徨わせれば、床の上に折れた剣の切っ先が転がっている。だが、わからない。その三つが頭の中で繋がらない。
(剣が折れている。親父が殴っている。切っ先が転がっている……親父が殴った? 反魔剣を? いや、殴るのは殴れるだろうが、折った? え?)
「……………………は?」
「ふむ。やはりこの程度か。色が違うから多少は警戒したが、魔竜王やあの王者の使った真なる蒼き刃には遠く及ばん」
呆けた表情の隊長をよそに、ニックは無傷の自分の拳を見ながらしたり顔で頷く。今回の戦いはヤバスティーナに「かすり傷一つ負わずに勝つ」と宣言していたので少し気合いを入れて殴ったのだが、反魔剣の手応えが予想を超えることはなかった。
「な、なんで……魔導鎧は我がザッコス帝国の英知の結晶! それがこんな、こんなとぼけた筋肉親父に……」
「誰がとぼけておるか! まあ確かにあの鎧をそこまで再現しているのはなかなかに凄いのだろうが、所詮は紛い物だ。そもそも鎧に使われている時点で限界は見えていたしな」
「ふ、ふざ、ふざけるな! 帝国は、ザッコス帝国は世界を支配するのだ! 我らに敗北などない! 全員、この筋肉親父を殺せ!」
「無茶言わないでくださいよ隊長。今ので魔導鎧の魔力、ほとんどスッカラカンですよ!? 補給しなきゃまともに戦えないですって!」
「そんな弱音が許されるか! 気合いで何とかしろ!」
「気合いって……あふんっ!」
無茶ぶりされた部下の男が、空気の抜けるような声を残してその場に崩れ落ちる。そのすぐ側に立っているのは、いい笑顔を浮かべた筋肉親父。
「ほれ、必殺技も使ったことだし、もう気が済んだであろう? 後はゆっくり眠れ」
「嫌、嫌だ! 俺は、俺達は最強の魔導鎧部隊――おふっ」
最後の抵抗とばかりに折れた剣を振り回した隊長の男も、ニックの手に寄りあっさりと意識を奪われる。突然背後に現れる筋肉親父に帝国兵達が悲鳴を上げて逃げ惑うが、魔導鎧の力を失い鈍重になった彼らに逃げる術などなく、程なくして謁見の間には一〇〇人の気絶した帝国兵が山と積まれることとなった。
「ふぅ、こんなものか。さて、キレーナ王女様。これで貴方の依頼は達成ということで宜しいか?」
パンパンと手を叩いてから茶目っ気溢れる笑顔で言うニックに、キレーナは思いきり走り寄ってその逞しい体に飛びつく。
「ニック様!」
「おっと、はしたないですぞキレーナ王女?」
「今くらいいいじゃないですか! それに――」
そこで一旦言葉を切ると、キレーナは来い来いと手を振ってニックの顔を招き寄せる。それに応えてしゃがんだニックの頬に、キレーナはすかさずその幼い唇を押し当てた。
「姫様!?」
「キレーナよ、何を!?」
ハニトラとジョバンノ王が驚きの声をあげるなか、キレーナは頬を染めて優しく笑うニックに言う。
「あら、ハニトラもお父様もご存じないのですか? 英雄に対する一番の報奨は、いつだって『王女の愛』なのですわ!」
天使のような笑顔を浮かべるキレーナに、その場の誰も反論を口にすることはできなかった。