父、到着する
「…………………………………………え?」
今自分が見ているものは、死ぬ間際の幻ではないか? そんな思いが浮かんでくるほどに現実感の無い光景。
「ニック……様?」
「ああ、そうだぞ。無事でよかった」
ニックの大きな手が、キレーナの頭を優しく撫でる。その懐かしい温もりにキレーナの顔はくしゃくしゃに歪み、大きな瞳から涙がこぼれる。
「にっぐざま……わだくし、もう、じんじゃうっでおもっで……」
「おうおう、泣くな。もう大丈夫だから、な? っと、すまんがあちらの二人の手当をさせてくれ」
ギュッとスカートを握り嗚咽を漏らすキレーナにそう言うと、ニックは無造作に倒れているガドー達の方へと歩いて行った。突然現れたニックに呆気にとられていた帝国兵達も、流石にそこまでくれば正気を取り戻しニックに剣を向ける。
「な、何だお前!? 何処から――」
「邪魔だ」
ニックの腕の一振りで、ガドー達に群がっていた帝国兵が易々と吹き飛ぶ。そうして場が空くと、ニックは苦い顔をして二人の騎士の側にしゃがみ込んだ。
「これは酷いな。なら、まずは……」
そう呟きながら、ニックは魔法の鞄から高価な回復薬を取り出し、惜しげもなく二人の体に振りかけていく。それは「金貨を浴びるが如く」と言われる値段に相応しい効果を発揮し、二人の体の目に見えるの傷をあっという間に癒していった。
「あとはこれだな。ほれ、飲めるか?」
「んっ、ぐっ……ニック殿?」
上半身を抱きかかえられ、回復薬を飲まされたリダッツは苦痛に顔を歪めながらもニックに声をかける。
「何故……ここに……?」
「何故とは、これは異な事を言う。約束したであろう?」
「約……束…………」
呆けたような顔をするリダッツに、ニックはニヤリと笑って見せる。それは勝った方が相手の守りたいものを守るという、かつて交わした男と男の約束。
「なら……お任せして、宜しいですか……?」
「ああ、今は安心して休むがよい」
力強く頷くニックに、リダッツはガックリと体の力を失う。何処か安らかな寝顔のリダッツをそのままに、ニックはすぐに隣に倒れているガドーの方にも回復薬を飲ませる。
「げふっ、ごふっ……」
「大丈夫かガドー殿?」
「ニック殿? これは一体……?」
「それより、いつも一緒だったお主の部下はどうした?」
「ああ、あの二人ならば姫様を逃がすために、囮に……」
「そうか、ならば早々にこの場をおさめて、二人の事も探さねばな」
「お願い致します……」
リダッツよりも負傷が深かったガドーが、想いを託して意識を失う。もっとも回復薬はしっかり口にしたので、こちらももう命に別状はない。ニックは二人の体を担ぎ上げると、キレーナ達の側に丁寧に横たえる。
「さて、後は……」
「お、おま、おまえ、何者――」
「だから邪魔だと言っておる!」
苛立ち混じりの声と共に、ニックがさっきよりも強めに腕を振るう。すると派手な音を立てて縮み上がった股間を丸出しにした帝国兵達が吹き飛んでいき、拘束から解放されたハニトラが恥じらいの表情を浮かべながらその身を起こした。
「あ、ありがとうございますニック様。申し訳ありません、お見苦しいものを……」
「大丈夫か?」
男達の欲望で体中をベタベタにしたハニトラに、ニックは魔法の鞄から毛皮を取り出しそっと肩にかける。
「はい。このくらいは全然……っと」
ニックの言葉に笑顔で答え立ち上がろうとしたハニトラだったが、極度の緊張と恐怖でこわばった体がよろけてしまう。が、その体が倒れる前に差し出された逞しい腕が、ハニトラの体をひょいと横抱きにして持ち上げた。
「きゃっ!? に、ニック様!? 何を!?」
「ははは。そんなふらふらな女性に歩かせるほど儂は無粋な男ではないぞ? いいから大人しくしておれ」
「で、でも、私汚れてますし……」
「気にするな。状況はよくわからんが、お主はお主にできる戦いをしたのだろう? そうしてお主が頑張ってくれたからこそ、儂はこの場に間に合ったのだ。
ありがとう、ハニトラよ。お主のおかげで儂は約束を守ることができた」
「ニック様……っ」
ニックの心からの感謝の言葉に、ハニトラはニックの大きな胸に顔を埋めて嗚咽を漏らす。自分の在り方を否定することも、自分の努力を哀れむこともなく正面から受け入れてくれたという事実が、ハニトラの瞳から歓喜の涙をこぼさせる。
「ハニトラ!」
「姫様!」
そうしてすぐにキレーナの元まで辿り着くと、ニックはそっとハニトラを降ろす。するとすぐにキレーナがハニトラの方に走り寄ってきて、その体にギュッと抱きついた。
「いけません姫様! 私の体は――」
「いいのです。私のために戦ってくれた貴方を、誰が汚いなどと思うものですか! ありがとう。貴方のおかげで私は、私達は……全員が助かりました」
「勿体ないお言葉です。姫様……」
「それは流石に気が早すぎるんじゃないか?」
抱き合う二人の言葉に、無粋な声が横やりを刺す。ニックがそちらに顔を向ければ、そこには最初にニックが吹き飛ばした男……キレーナを殺そうとしていた帝国兵達の隊長がブンブンと頭を振りながら立っていた。
「隊長! 大丈夫だったんですか!?」
「当たり前だ。この魔導鎧があのくらいでやられるわけがないだろう。だが……」
隊長の男は壁際で倒れている部下をちら見し、忌々しげに言葉を続ける。
「随分好き放題やってくれたな。だが不意打ちで俺を倒せなかった時点で、お前達はもう終わりだ」
「ほぅ? 確かに加減はしたが、それでもその程度の痛手とは……ふむ?」
思ったよりも元気そうな隊長の男に、ニックは顎に手を当て考える。状況がわからない以上交渉の余地を残すためにとりあえず死なない程度に手加減はしたが、然りとてそんなにあっさりと目覚めるほど弱い一撃を打ったつもりはない。
であれば何故……と思ったところで、帝国兵が身につけている不思議な鎧に意識が向いた。
「その鎧、何処かで似たような物を見たような……?」
「ん? 魔導鎧を見たことがあるのか? まあ宰相様のお言葉では、試作段階の品をいくつかの国に引き渡したと伺ったことがあるが」
「そう、なのか? いや、しかし……」
『この魔力の流れ……そうか、魔導兵装か!』
「っ!?」
オーゼンの言葉に、ニックはハッと目を見開く。言われてみれば、その鎧の造形はどことなく蟻達の国……あの砂漠で戦った戦士のそれに似ていた。
「そうか、古代遺跡の発掘品……それを調べて量産したというところか」
『内包している魔力量からして、劣化品もいいところだろうがな』
「……全員、戦闘準備。あの男は確実に殺す。」
ニックの漏らした呟きに、隊長の男はそう言って両手に魔力刃を展開する。魔導鎧の秘密を知る者、探る者に関しては、問答無用で抹殺せよというのが宰相から受けた最重要命令だ。隊長の男の言葉に、残っていた二〇人の帝国兵が半円状に展開してニックを取り囲んでいく。
「な、何だ!? 一体何が何なのだ!? おい、ニック・ジュ――っ!?」
「おっと、その先はご容赦ください陛下。その名乗りをしてしまうと後々面倒ですので。さあ、他の方々もこちらで動かないように」
ジュバンの名を呼ぼうとした王の口を手で押さえつつ、ニックがブナンナ王妃達に声をかける。平時ならば無礼者とそしられるところだが、流石にこの状況であればジョバンノ王も無言で頷き、王妃達もすぐにジョバンノ王の側に集まった。
「ご武運を、ニック様」
「うむ! っと、そうだ。一つ確認しておきたいのだが、この者達の処遇はどうするのだ?」
「そんなもの、勿論全員殺して――」
「殺してしまうのが、きっと一番問題がないのでしょう。実際我が国の兵士や国民にも少なからぬ犠牲が出ております。信条としては一方的に侵略してきた彼らを許すことなどできません」
ニックの問いにジョバンノ王が答えようとしたが、それを遮るようにキレーナが言う。その行動にジョバンノ王は何か言いたげな表情をしていたが、それを気にすることなくキレーナが言葉を続ける。
「ですが、敵だからと全てを殺してしまえば戦争が終わりません。それに生きていればこそ交渉に使うこともできるはずです。それに彼らの身につける不思議な鎧にも興味がありますし……ということで、全員生け捕りにするというのはどうでしょう?」
殺すのと生かしたまま戦闘不能にするのとでは、その難易度が大きく違う。だが悪戯っぽい笑みを浮かべるキレーナの顔に不安はない。ニックの実力を信じ切っていればこそのその顔に、ニックは思いきり声を上げて笑う。
「クッ、ハッハッハ! わかった! では王女殿下の頼み、この儂が見事達成してみせよう!」
「この状況でその余裕……面白い。全力で抗ってみろ、身の程知らずの筋肉親父め!」
肩に掛けていた魔法の鞄をキレーナに託し、ギュッと握った拳を構えるニックと、剣を構える帝国兵達。この国の行く末を決める戦いが、今ここに幕を開けた。