父、駆けつける
時は少し巻き戻り、ニックが「百練の迷宮」に突入した時のこと。
「ふむ? ここは……迷路か?」
転移陣にてニックが跳ばされたのは、白を基調とした壁に囲まれた小部屋であった。壁自体が光を放っているのか視界に困ることはないが、正面に伸びた通路には無数の分岐が見て取れる。
『これはなかなか厄介だな……お?』
その時、迷宮に入ったことでオーゼンにはこの場所の情報が直接流し込まれてきた。それによるとここは広大な迷宮を踏破することを目的とした試練で、通路にはそれを邪魔する小型の魔導兵と一定時間同じ場所に留まることを許さない中型の魔導兵、それに最奥には大型の特殊魔導兵が設置されている。
『……ぬぅ』
「ん? どうかしたかオーゼンよ?」
『いや、何でもない』
更に追加されていく情報に、オーゼンは思わずうなり声をあげてしまった。最奥に置かれた魔導兵はこの迷宮に設置された仕掛けからエネルギーを供給され、それを絶たない限り強化されるというのだ。その内容は「物理攻撃無効」「魔法攻撃無効」「自動修復」「全能力強化」の四つ。
つまりこの迷宮は入った時点で手持ちにある水と食料を制限時間とし、定期的に襲い来る敵のせいでゆっくり休んだり地図を作成したりすることもできないなか四つの仕掛けを停止させ、弱体化した大型魔導兵を倒さなければならないというかなり難易度の高いものだったのだ。
(いかんな。どう考えてもこんな序盤に挑戦する試練ではない。数十の試練を経て十分に「王能百式」を強化していることが前提だ)
「おいオーゼン、聞いているのか?」
『むっ!? すまぬ。何だ?』
与えられた情報に思わず考え込むオーゼンだったが、ニックに呼ばれて意識を戻す。
「だから子供達だ。ソーマ達がこの迷宮で生存していられると思うか?」
『ふむ……そういう観点であれば、可能性は無くも無い。さしあたって力を問うような試練ではない故、自棄になったりしていなければ、あるいは……』
「そうか。それは朗報だ。だがどうやって探したものか……壁を壊して直進するか?」
『やめんか馬鹿者。子供達は普通に通路を進むしかないのだから、下手に壁など壊したらかえってたどり着けなくなるぞ』
「それもそうだな。そうすると……ん?」
腕組みをして考え込んだニックが、不意に天井を見上げてその動きを止める。
「なあオーゼン。アレは何だと思う?」
『アレ? 天井の隙間なら、通気口だな。迷路という空気の通りの悪い場所だけに、ああいうものが必要なのだろう。あれがどうかしたか?』
そんなオーゼンの言葉を聞いて、ニックの顔にニヤリと笑みが浮かぶ。
「ほぅ、通気口! 通気口ということは、迷路の至る所に繋がっているうえに基本直線なのではないか? ならばそこに潜り込めば、壁に隔てられた迷路内より余程内部の音が拾えると思うのだが、どうだ?」
『それは……いやいや、無理であろう? 確かに細い格子になっている所は壁に比べて多少は脆いであろうが、それでも人が壊せるようにはできておらぬ。そもそも貴様の巨体が通気口に入れるわけが無いであろうが!』
「そんなもの、やってみなければわかるまい! とうっ!」
『あっ、馬鹿者!?』
ニックがその場で跳び上がり、五メートルほど上空にあった通気口とおぼしき場所に頭から突入し……バリンという音を立てて、ニックの体がめり込んだ。
「ぐぅぅ、挟まった……」
『当たり前であろう……』
通気口の縦穴はニックの頭ほどの幅しかなく、そこに突き刺さりジタバタともがくニックにオーゼンが呆れた声を出す。だがこの程度の事で諦めるニックではない。
「ぬぅぅ、こんなことでこの儂を阻めるものか! ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
『ハァァ!? 馬鹿か!? 貴様真性の馬鹿なのか!?』
頭のすぐ側の天井に拳を打ち付け、ニックは通気口を無理矢理広げる。そうして周囲の壁を破壊しながら更に十メートルほど上に登ることで、遂に通気口の横穴へとたどり着くことができた。
「ぐっはぁ! やっとか……ぬ? 横穴は狭いがこのまま進めそうだな」
『まさか本当にやり遂げるとは……いや、そもそもあの壁を人が壊せるというのがあり得ぬ。アトラガルドの王城にすら使われていた、強化済みの建材だぞ? それをああも容易く……』
「一万年も経てば脆くなっていたのであろう。それよりも進むぞ?」
『そ、そうか? そうだな。きっと経年劣化していたのであろうな。うむうむ』
定期的に魔力を補充すれば細かな亀裂程度なら自動修復する建材が、完全な形で稼働しているこの遺跡でどうやれば劣化するのかは想像すらつかなかったが、それを全て忘れてオーゼンはそういうことにしておいた。
『ハッハッハ。世界は未知に満ちておるなぁ。ミチだけに。おお、これは愉快愉快』
「少し静かにせよオーゼン。子供達の声を拾いたい」
『むっ、わかった。おとなしくしていよう』
若干壊れかかったオーゼンに、ニックは声をかけてから意識を集中する。通気口の横穴は縦穴に比べてやや広く、グッと腰をかがめればゆっくりならば歩いて進むことができた。そうしてしばし歩いたところで……不意にオーゼンが声をあげる。
『っ!? おい貴様、緊急事態だ』
「どうしたオーゼン? 何があった?」
『最終試練が起動した。あれは人が関与せねば起動しない。つまり……』
「ソーマ達がそこにいるということか!?」
二人の声に焦りが生まれる。オーゼンは当然それがどういうことかわかっていたし、ニックにしても「最終試練」などというものが穏便な結果を招くとは思えなかったからだ。
「どっちだ! 何処に行けばいい!」
『それは……』
「オーゼン!」
答えないオーゼンに、ニックは苛立ったように声をぶつける。だがオーゼンはその仕様上、試練の内容を所有者に伝えることはできない。それには当然迷宮の構造も含まれており、何処が「最終試練の間」であるかをニックに答えることは、オーゼンには不可能なのだ。
『すまぬ、ニックよ。我は……我は……』
「ぐぅぅ……ならばオーゼン、こう聞けばどうだ? 子供達は何処にいる?」
『っ!? それは……』
迷宮に関することを、オーゼンは答えられない。だが迷宮とは関係の無い人物の行方ならばどうか? そう考えたニックの問いに、オーゼンは言葉を詰まらせる。
実際には、そんな子供だましの方法で誤魔化せるほどオーゼンの機密保持能力は低くない。だがそこにオーゼンの意思があれば。単なる「王選のメダリオン」という魔導具の制御装置ではなく、オーゼンと名乗る命無き魂の想いがあれば?
『全速力で真っ直ぐ走れ! 突き当たりの下だ!』
「任せろ!」
アトラガルドの英知の結晶であるオーゼンは、己を騙すという極めて高度な知性をもってニックの願いに応える。そしてそれを受けたニックは、狭い通気口の中を全速力で駆け抜けた。壁や天井を無理矢理破壊しながらの疾走だったが、それでもなおかがんで進むより何十倍も速い。
『この真下だ!』
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
オーゼンの言葉に従い、ニックは足下の床に渾身の拳を振り下ろす。それは十メートルの厚さを誇る堅牢な天井をぶち破り、がれきの隙間から見えた下方には巨大な魔導兵と、その手に持った大剣が今にも振り下ろされる光景が――
「ぬぅん!」
自然落下など到底待てない。ニックは空を蹴って床に向かって加速すると、落下地点周囲に降り注ぐであろうがれきを片っ端から殴り飛ばし、床に着く寸前に体を反転させて両足で着地した。
その衝撃で床は轟音と共に大きく揺れ、殴り飛ばして砕けたがれきが辺りにもうもうと煙を巻き起こす。それを切り裂くように現れた大剣を片手で受け止めると、ニックは足下に倒れている人物に顔を向けた。
「ふむ、どうやら間に合ったようだな」
「へ? あ、あれ? 俺生きてる? ってかアンタ……?」
「助けに来たぞソー……んん?」
そこにいたのは顔見知りの少年ではなく、何故かトゲトゲの鎧を着た男だった。





