吸血貴族、見抜く
「ハァァ、何でこんなことになったでヤスか……」
「うぅ、申し訳ありません……」
町の裏手、マーゾック商会が借り切っている倉庫の中。そこにはションボリとした顔で立つ巨大な筋肉女と、苦々しい顔で大げさにため息をつく細身の男の姿があった。
「門番から連絡をもらってまさかとは思ったでヤスが、こんなにあっさりニックに出て行かれるとは……一体どういうことでヤス!?」
「どうと言われても、急にニックさんの気が変わったとしか……」
「それを何とかするのがお前の仕事でヤス! 何故それができなかったのかと聞いているのでヤス!」
「それは……」
詰問口調のヤバイアンに、ヤバスティーナは口ごもる。馬鹿正直に本当の事を言うわけにはいかないし、かといって誤魔化す手段も思いつかない。ならばただ沈黙する意外に手段が無く、そんなヤバスティーナをヤバイアンは嘲りの視線で見つめる。
「まったく、これだから混ざり物は使えないでヤス。魅了の力もまともに使えず、男一人足止めできないとは……まあそんなでかくて醜い体で引き留められる男などいるわけないでヤスが」
「っ…………」
ヤバイアンの言葉に、ヤバスティーナは拳を握って耐える。心ない言葉など慣れたものだったはずなのに、今はどうしてか心がざわつく。
「……ニックさんは、私の事綺麗だって言ってくれました」
「ハァ? それはでかい奴同士で気が合ったということでヤスか? というか、それなら尚更なんで足止めできなかったでヤス!? 相手が興味を持っていたなら、それこそ体を差し出してでも足止めするのがお前の仕事だったはずでヤス!」
「それは……ちょっと勇気が足りなかったっていうか……」
「そんな言い訳聞きたくないでヤス!」
顔を赤らめモジモジしながら言うヤバスティーナに、遂にヤバイアンが大声で怒鳴りつける。
「お前の言葉を真に受けて、武闘大会の賞品にはかなりヤバい無理をしたというのに、それで釣るはずのニックは不在! 今更賞品の取り下げもできないし、ヤバスチャン様に何と報告すればいいか……」
「ヤバスヤバス。その辺は気にする必要は無いでヤバス」
「なっ!?」
こうして密談をする用途もあるため、この倉庫には遮音や人払いなどのかなり強力な魔法結界が張られている。にもかかわらず突如聞こえた第三者の声にヤバイアンは驚き、振り返った先にいた人物に更に驚きの声を重ねる。
「ヤバスチャン様!? どうして!?」
「何を言っているでヤバス。状況に大きな変化が生じたならば、確認に来るのは当然でヤバス」
「っ……も、申し訳ありませんヤバスチャン様! せっかく目をかけていただいたというのに、このヤバスティーナがとんだ失態を――」
「あー、そういうのはいいでヤバス。後は私が直接ヤバスティーナからヤバいくらいに話を聞くでヤバスから、お前はもう仕事に戻るでヤバス」
「ハハッ! では、失礼致しヤス」
最後に「ヤバス!」と決めポーズをしてからヤバイアンが去って行く。そうして倉庫に残されたヤバスティーナは、まさかのヤバスチャンの登場に顔面を蒼白にさせていた。
「さて、ではヤバスティーナよ」
「は、ひゃい! なんでひょうか!」
「お前、ニックに足止めのことを話したでヤバス?」
「っ!?」
緊張、憧れ、恐怖、動揺。ヤバスチャンとの急な対面にヤバスティーナの中で吹き荒れていた感情の嵐が、その瞬間全て吹き飛んで真っ白になる。夏も近いというのに寒気すら感じるその状況に、ヤバスティーナは唇を震わせながらなんとか声を絞り出した。
「……なんの、ことでしょう?」
「誤魔化しても無駄でヤバス。この町を出たニックが、とんでもない速さでコモーノ王国の方へと向かったことは観測されているのでヤバス。
普通に町を出たのであれば、近くの町まで徒歩で数日。更にその町で情報を集めて、そこからコモーノに飛んでいくというのなら理解できたでヤバスが、あれほど一目散に向かったとなれば、ここで情報を得ているのは明白でヤバス」
「うっ……あ……」
ヤバスチャンの真っ赤な瞳に射竦められ、ヤバスティーナは言葉を失う。だがその衝撃が過ぎ去ってみれば、ヤバスティーナの心はかつて無いほどに軽くなっていた。
「…………ふふっ」
「どうした? 何を笑っているでヤバス?」
「申し訳ありません。嘘をつく意味が無い……必要が無いとわかったら、何だかとても楽になった感じがして」
「それはニックに情報を伝えたことを認めるのでヤバス?」
「はい。ヤバスチャン様のことは今も敬愛しておりますし、魔族を裏切るつもりもありません。ですが私がニックさんに惹かれ、恩を感じて情報を漏らしたことも事実。
ただ、これは私が受けた命を私が失敗しただけのこと。どうか処分は私の身一つでお許しいただけるよう、伏してお願い申し上げます」
一度深々と頭を下げてから、ヤバスティーナがまっすぐにヤバスチャンの顔を見る。その覚悟の決まった透明な顔は、決して卑しい裏切り者のそれではない。
「……ふぅ。まさかお前をそのように変えるのが、我が眷属の者ではなくあの筋肉親父とは……世の中はヤバいことばかりでヤバス」
「あの、ヤバスチャン様?」
「聞くでヤバス!」
首を傾げるヤバスティーナに、ヤバスチャンは大仰に外套を翻して宣言する。その上位者としての圧倒的な存在感に、ヤバスティーナは本能的に直立不動の姿勢をとった。
「我が命に従い、お前はニックを三週間にわたって足止めしたでヤバス。その功績を讃え、お前が今住んでいる家を正式にお前のものとして与えるでヤバス。以後もこの町に滞在し、駐在潜入員として情報集めにヤバいくらいに邁進するでヤバス!」
「えっ!?」
ヤバスチャンの言葉に、ヤバスティーナは呆気にとられた顔となる。処刑されることすら覚悟していたのがまさかの報奨に今の仕事の継続となれば、その混乱もひとしおだ。
「何でヤバス? この私のヤバいくらいに見事な裁定に何か意見があるでヤバス?」
「と、とんでもありません! ですがその……いいんですか?」
「別にいいでヤバス。あのヤバヤバな筋肉親父の足止めは、そもそも最長でも一ヶ月くらいが限界だと思っていたでヤバス。その半分以上を達成したのだから、お前の働きは十分賞賛に値するものでヤバス」
「ヤバスチャン様……っ」
「では、今後もヤバいくらいに仕事に励むでヤバス!」
感涙するヤバスティーナをそのままに、ヤバスチャンは倉庫を出てすぐにコウモリへと変じ町の上空へとあがる。するとそこには待ち構えていたかのようにボルボーンの姿があった。
「コツコツコツ。随分とお優しいことでアールな、ヤバスチャン」
「ボルボーンか……フンッ。ヤバいくらいに人の上に立つ者がすべきことは、部下の失敗を叱責することではなく、その責任をとることでヤバス。信賞必罰などと言って偉そうにふんぞり返っているだけのヤバい輩とは違うのでヤバス」
未だ厳格な階級社会の様相を色濃く残す吸血鬼の世界。血筋こそ全てと横暴に振る舞う支配階級の存在を、ヤバスチャンは幼少の頃から見てきた。それもまた吸血鬼の生き方の一つだと理解はできるが、ヤバスチャンはそんな世界を望んではいない。
「覚悟を持って行動し、成長を見せた部下の多少の失敗程度、この私のヤバいくらいに大きな器であれば余裕で受け入れられるでヤバス。それともお前の器は、あの娘に腹いせをしなければ気が済まないほどにスカスカなのでヤバス?」
「コツコツコツ。そんな挑発をせずとも大丈夫でアール。既にワガホネの目標は十分に達成されているでアールし……」
そう言いながら、ボルボーンの骨の頭が足下へと向けられる。その視線の先にいるのは、倉庫から出てきたヤバスティーナだ。
「それに、ニックと親交を深めたというのなら、あの娘には利用価値があるでアール。アレを上手く使えば、ニックに対して色々と――」
瞬間、人の姿に戻ったヤバスチャンの手がボルボーンの首の骨を掴み、その細い指先に込められた莫大な力がボルボーンの骨にビキビキとヒビを入れていく。
「ボルボーン。どれほど血が薄かろうと、あの娘は我が眷属だ。それに手を出すというのなら……」
「コツコツコツ。軽い冗談でアール。それよりほら、浮かせてやるからさっさと魔力を鎮めるでアール」
「……遠慮する。でヤバス」
大量の魔力を噴出して無理矢理宙に浮かんでいたヤバスチャンが、ボルボーンから手を離し再びコウモリとなって自力で空を飛ぶ。だが小さな獣の姿になっても、赤い瞳に込められた力が衰えることは無く、そんなヤバスチャンにボルボーンは肩をすくめて骨をカラカラと鳴らしてみせる。
「さて、それでは城に戻るでアール」
「ニックは追わなくていいのでヤバス?」
「下手に見に行って巻き込まれたりしたら大損でアール。なに、焦らずとも結果はすぐにわかるでアール。じゃ、ワガホネは先に帰って特等席で鑑賞させてもらうでアール」
そう言うとボルボーンの姿が煙のようにその場から消える。一体どんな仕組みなのか、相変わらずヤバスチャンには見当もつかない。
「ボルボーン、やはりアイツにだけは油断ならないでヤバス……」
同じ四天王でありながら全く底を見せないボルボーンに、ヤバスチャンは改めて警戒の気持ちを強める。そのまま魔族領域へと飛び去っていく後ろ姿には、少しだけ姿勢のよくなった眷属への思いが見え隠れしていた。