吸血娘、告白する
「そうなのかって……え? あれ!? あの、冗談とかじゃないんですよ?」
「お主の真剣な顔を見ればそれを冗談だとは思わんが……それだけか?」
「それだけって……えぇぇぇぇ……」
てっきり「裏切り者」とか「騙していたのか」などと口汚く罵られると覚悟していただけに、ニックのあまりにもあっけない態度にヤバスティーナは思わず体中の力が抜けそうになる。
が、こんなところで力を抜くわけにはいかない。覚悟の先……本当に伝えなければならない事実、背負わなければならない罪の告白は、まだ終わっていないのだ。
「えっと、じゃあそれはそれでいいです……いいんですよね?」
「構わんぞ。というか、まだ続きがあるのか?」
「はい。私魔族なので、ヤ……えっと、凄く偉い人から色々と命令されたりするんですけど、今回受けた命令が……その……ニックさんの足止めだったんです」
「足止め?」
そこで初めてニックの表情から笑顔が消える。怒ったわけではなく、ただ真剣になっただけ……それが理解出来る程度の変化だったにも関わらず、ヤバスティーナは胃がギュッと締め付けられるような感覚に襲われる。
(うぅ、お腹痛い……でも……)
何もかもなかったことにして、ベッドに潜り込んで眠りたい。そんな甘い誘惑を振り切るために、ヤバスティーナは反射的に俯きそうになっていた顔を頑張ってあげ続ける。
「はい。今町の外の世界では、大きな戦争が起きているらしくて……それにニックさんを関わらせたくないって言われて……」
「戦争? そう言えばザッコス帝国が何やらきな臭い動きをしているという話は大分前からあちこちで耳にしていたが、それか?」
「はい、そうです」
「ふむ。確かに大事ではあるが、何故儂の足を止める必要があるのだ? 儂は冒険者であって傭兵ではない。道行く先で争いに巻き込まれたならば抵抗もするが、積極的に戦争に介入する気など――」
「ザッコス帝国の次の標的が、コモーノ王国だって聞きました」
「何だと!?」
「ひっ!?」
思わず大きな声を上げてしまったニックに、ヤバスティーナが驚いて身を竦ませる。だがそれにニックが謝罪するより早く、ヤバスティーナは自らの意思で言葉を続けた。
「こ、コモーノの王族の方に、ニックさんと縁のある人がいるって……だからニックさんにそれを知られたくないんだって教えられて……」
「それはいつのことだ?」
「……五日前です」
努めて冷静に問うニックに、ヤバスティーナは答える。するとニックは徐に席を立ち、クルリとヤバスティーナに背を向ける。
「……行くんですか?」
「ああ。お主の言う通り、あそこには儂に縁のある者がいるからな」
「でも、戦争なんですよ? そりゃニックさんは強いんだと思いますけど」
「なに、心配はいらん。たとえ敵が数千数万いようとも、その全てを殴り飛ばしてやるだけだ」
「……何だか、私のお父さんみたいです」
「む? そうなのか?」
「はい。だから……行かないでください」
ニックの背に寄り添う温もりが生まれる。自身もまた席を立ったヤバスティーナが、ニックの背に抱きついたのだ。
「コモーノ王国までは、凄く遠いです。今からニックさんが行っても、きっと間に合いません」
「そうかも知れん。だがそうではないかも知れん。可能性があるのならば、儂が行かぬ理由は無い」
「危ないんですよ!? 凄く、凄く……死んじゃうかも知れないのに!」
「それでもだ。というか、そう思うなら何故お主は儂に真実を話してくれたのだ? それを話すのはお主にとって『悪い事』なのだろう?」
「それは……っ!」
ニックが背に感じる温もりに、熱い想いが広がっていった。ボロボロと涙をこぼすヤバスティーナの顔が押しつけられ、普段着の背中に涙の跡を広げていく。
「私が! 私が前を向けるようになったのは、ニックさんのおかげです! その恩を……どうしても返したかった! 奥さんが亡くなってるって話をしたとき、ニックさんは凄く悲しそうな顔をしてた! だからこれ以上、ニックさんに悲しい思いをして欲しくなかった!
言いたくなかった! このままここでずっと笑顔で過ごして欲しかった! でも……でも、私は! 私は……っ!」
不意に支えるものが無くなり、ヤバスティーナの体が前に倒れそうになる。だがニックが立ち去ったと勘違いするより早く、正面に向き直ったニックがヤバスティーナの体をそっと抱きしめた。
「その決断にどれほどの覚悟と勇気が必要だったか、儂には想像することもできん。だがお主のおかげで儂は大切なものを失わずにすむ。故に二つ約束しよう」
「約束、ですか……?」
逞しい腕に抱きしめられながら、ヤバスティーナは顔を見上げる。そのすぐ側には、力強い目で自分を見つめるニックの顔。
「まずは一つ目だ。今から行く戦いの場にて、かすり傷一つ負うことなく勝利することを約束しよう。故に心配は無用だ。どうだ、儂を信じられるか?」
「……はい。信じます」
ニックの言葉に、ヤバスティーナは頷く。戦争に行ってかすり傷一つ負わずに勝つなど、過信どころか妄言の類いだ。だがニックの笑顔が、自分を抱きしめる腕の強さがそれを確信へと変えてくれる。
「では、もう一つ……この先お主やお主の家族に何かあったとき、儂を呼べ。それがどんな敵、どんな状況であったとしても、ただ一度必ず助けると約束する」
「いいんですか? そんな約束して……ひょっとしたら私や両親が人間と戦っているときにニックさんを呼ぶかも知れないんですよ?」
「ははは、それは確かに困りものだな。まあその場合はお主達を攫って戦場を離脱するくらいか? あるいはお主達に義があるのならば……」
「ニックさんが、人を裏切ると?」
その問いかけに、ニックはゆっくりと首を横に振る。
「そうではない。魔族と言っても多種多様な者がいるように、人間……たとえば儂等基人族であっても、善人もいれば悪人もいる。ならばこそ、儂はただ同じ種族だからという理由で無条件に味方をしたりはせん。それを裏切りと呼ぶ者はいるのだろうが……」
ニックはヤバスティーナから体を離すと、胸の前でグッと握りこぶしを作ってみせる。
「何が正しいのかは、自分で見極め、自分で決めねばならんのだ。それが力を持つ者の責任であり、儂がずっと娘に教えてきたことだからな」
「私も……そんな風に両親から言われていた気がします」
「そうか。いいご両親だな。流石お主を育てただけのことはある」
「ふふっ。言われてみれば、お父さんはニックさんに似てるかも知れないですね。お父さんの方がもうちょっとだけウガウガしてますけど」
「ウガウガか! それは頼もしそうだな」
ニックとヤバスティーナが、顔を見合わせ笑い合う。そうして最後にニックが一度頷くと、再びヤバスティーナにその背を向けた。
「行っちゃうんですね」
「ああ、行ってくる」
「きっと、これを言う資格は私にはないんでしょうけど……でも……」
躊躇いながら、それでもヤバスティーナは万感の思いを込めてその言葉を口にする。
「ご武運を」
「ああ!」
ただ一言短くそう答えると、ニックは颯爽とヤバスティーナの家を出て行った。その背が視界から消えたことで、ヤバスティーナは堪えきれずに虚空に向かって手を伸ばす。
「……好きです。だから、行かないで」
ヤバスティーナの巨体がその場に崩れ落ち、もはや受け止める者のいなくなった涙がボロボロと床にこぼれていく。悲しくて寂しくて、ただひたすらにヤバスティーナは泣き続け……その想いを全て吐き出しきったならば、泣きはらした目をグイッと拭ってヤバスティーナは立ち上がる。
「見ててください、ニックさん。お父さんにお母さんも……私、もうちょっとだけ頑張ります」
部屋の片隅に置かれた魔導具が、鈍い光を短い間隔で発する。緊急呼び出しの合図を受けて、ヤバスティーナは静かに覚悟を決めた。