吸血娘、引き留める
「おはようヤバスティーナ……っ!?」
「ああ、おはよーございます、ニックしゃん……」
翌日の朝。いつも通りに起きてきたニックは、調理場から顔を出したヤバスティーナの姿に思わず息を呑んだ。目の下には大きな隈ができ、髪はボサボサ、体もふらついているとなれば、とても健常な状態とは思えない。
「ヤバスティーナ、お主一体どうしたのだ? 酷い表情だが……」
「えへへ、ちょっと昨日の疲れが出たみたいで……あー、でも、お食事はちゃんと用意しますから、少しだけ待っててくださいねぇ」
「いや、無理をせず休んでいた方がいいのではないか? 食事の支度くらい儂がするぞ?」
「いえいえ、これは私の仕事ですから。ニックさんはいつもどーりに座って待っててくださいねー」
心配そうなニックにヒラヒラと手を振って、ヤバスティーナは調理場へと入っていく。初日に強く言ったこともあってニックはここには入ってこないため、それでようやくヤバスティーナは大きく息を吐き、その場でガックリと肩を落とした。
「はぁぁ……そりゃ心配されちゃうよねぇ」
ヤバイアンと別れて後、自分の部屋にベッドに戻ったヤバスティーナだったが、結局昨夜は一睡もできなかった。その原因は当然ながら、ヤバイアンから伝えられたニックの現状だ。
「足止め、足止めかぁ……」
宗家の当主であり四天王であるヤバスチャンからの命令となれば、ヤバスティーナには拒否する権利など無い。加えてヤバスティーナ自身もニックとの生活を楽しんでいることもあって、「ニックをここに足止めする」という任務そのものはヤバスティーナにとっても願ったり叶ったりのものである。
そして幸運なことに、ニックもここでの生活をそれなりに気に入ってくれている。であれば今後もここでニックに料理を作り続け、美味しいと褒められ続けるだけで任務達成、ヤバスチャンからお褒めの言葉をいただき自分の序列も向上するというこの状況は、ヤバスティーナにとって降って湧いたような幸運であった。
「このまま頑張れば、父さんや母さんにもきっと褒められるよね。私の事『でかいだけの役立たず』って馬鹿にしてた人達だって見返してやれるかも知れないし……でも……」
そこでヤバスティーナの料理をする手が止まる。頭に浮かんでくるのは、それを食べて美味しいと褒めてくれる筋肉親父の顔だ。
「私が足止めしたら、ニックさんの大切な人が……」
それこそが、そしてそれだけがヤバスティーナの判断を迷わせる。対象に心を移すなど諜報員としてあるまじき行為ではあるが、そもそもヤバスティーナはほぼ左遷のような形でこの町に滞在していただけであり、特別な訓練を受けたりしているわけではない。
しかも余計な先入観や会話でボロを出さないためにニックに対する事前情報は何も与えられておらず、任務内容もただの足止めということで最初からニックに対する悪感情はヤバスティーナには存在しない。そんなところで散々優しくされたり褒められたりすれば、情が移ってしまうのも無理からぬことだった。
「あー、やめやめ! 悩んでも仕方ないし、今はとにかく料理に集中しなきゃ! いつまでもニックさんを待たせてたら、何してるんだろうって思われちゃうもの」
ブンブンと激しく首を振ってから、ヤバスティーナは気合いを入れ直して料理を作っていく。そうすればすぐに朝食は完成し、若干心配そうな気配を引きずってはいたものの、今日もまたニックは美味しいと言ってヤバスティーナの料理を食べてくれた。
「ふぅ、今日も美味かったぞ。しかし、体調が悪い時は無理をしてはいかんぞ? ナイスマッチョコンテストも終わったことだし、今日はいつもの筋トレもやめて心と体を休めた方がいいだろう。無理をしてもよい結果に繋がることなどないからな」
「ありがとうございますニックさん。すみません、気を遣わせちゃって」
食後のお茶を啜りながら、今日もニックとヤバスティーナはそんな会話を繰り返す。そのまったりとした優しい時間はヤバスティーナのお気に入りであり、手のひらに伝わるお茶の温もりがじんわりと心まで温めてくれるように感じる。
「それで、今日はニックさんはどうされるんですか? 私と同じで一日のんびりお休みします?」
「うーん。そうだな……」
ヤバスティーナの言葉に、ニックが顎に手を当て考え込む。
「確かに今日は休んでもいいだろうが、それとは別にそろそろこの町を出ようかとも思っているのだ。ここもそこそこ滞在したし、丁度一区切りついたところだからな」
「えっ!?」
足止めを命令された翌朝に早速町を出ると告げられ、ヤバスティーナは思いきり驚く。自分がどうするべきかを散々悩んではいるが、それもニックが滞在してくれていればこそであり、あっさりと出ていかれてしまうのは流石に無視することはできない。
「な、何でそんな急に!? ひょっとして私の料理、飽きちゃいましたか?」
「いやいや、そういうわけではない。お主の料理は変わらず美味いが、かといってずっとこの町に滞在するつもりもないからな。急いでいるわけではないが、目指す目的地もあるのだ。であればそろそろ頃合いかと思ったのだが……」
「で、でも、ほら! 武闘大会! 二週間後に武闘大会がありますよ! ニックさんならきっと優勝間違いなしですし、今年は何だか凄く豪華な賞品も出るみたいですよ!」
「そうなのか? それは確かにちょっと興味はあるが……」
「ですよね! 私も凄く興味があります! 詳しくは知らないですけど、何か世界に二つとない逸品が出るとか! だから、ね? もうちょっとだけこの町に滞在しませんか?」
ここぞとばかりにヤバスティーナは空札を切る。本当にそんな賞品を用意できるのかは知らないが、そこはヤバイアンに丸投げだ。あとで怒られるかも知れないが、それでもここでニックを逃がしてしまうよりはずっといい。
「それにほら! 私ももうちょっと色々ニックさんに教えてもらいたいことがあるっていうか……」
「ん? そうなのか?」
「そうなんです! えーっと……あっ、護身術! 私ってこう見えて戦いとか全然駄目なんですけど、ニックさんに助けてもらった時みたいに、町の外ではどうしても魔物とか野盗に襲われることもあるんです。
なので、ニックさんが武闘大会に出場されるんでしたら、その準備運動くらいのつもりで私にも護身術を教えてもらえたらなぁって……」
咄嗟に口から出たにしては割とまっとうなヤバスティーナの言葉に、ニックは頷いて納得の意を示す。
「なるほど。確かに身を守る術というのは身につけておいて損はない。お主の体格であれば多少の心構えと動きを身につけられればそれなりに戦えるようになるであろうし……ふむ、そういうことならもう二週間ほどここに厄介になるのも悪くはない、か」
「そうですよ! 是非! まだまだニックさんに食べてもらいたい料理も沢山ありますし、自分の家だと思って何年でもゆっくりしていってください! 何なら一生ここにいてもらっても――」
「ははは、一生とは大きく出たな。それではまるで結婚の申し込みのようだぞ?」
「け、結婚!? はわわわわ……」
突然の結婚発言に、ヤバスティーナの顔が瞬時に真っ赤に染まる。如何にも乙女なその反応に、ニックは微笑ましいものを見る目でヤバスティーナに話しかける。
「昨日のナイスマッチョコンテストで、お主を見る周囲の目も変わったはずだ。であればこそ言葉遣いには気をつけた方がいいぞ? その気もないのに気を持たせるような事を言ってしまうと、相手も自分も困ってしまうからな」
「気がないわけじゃ……って、違います! わ、私お茶のおかわりを持ってきますね!」
ヤバスティーナが慌てた様子で調理場へと入っていく。その後ろ姿はすっかり元気を取り戻したようで、ニックは内心ホッと胸を撫で下ろしながら次に開催されるという武闘大会のことに思いを馳せる。
なお、そんなニックの足下で役立たずの精霊の一種、ワカッテ・ネーヨが楽しげに踊っている姿を、オーゼンは色々なものをグッと堪えながら静かに眺めていた。