吸血娘、事情を聞く
「何やってるんだろ、私……」
自室にて頭まで布団を被り、自ら作り上げた暗闇のなかでヤバスティーナが小さく呟く。ニックを泊めた初日も似たようなことをしていたが、ヤバスティーナの胸に渦巻いている気持ちはあの時とは正反対のものだ。
「ニックさん、結婚してたんだ……てか、そりゃしてるよね。あんな素敵な人なんだし……」
舞台袖でそれを聞いた時、ヤバスティーナは強い衝撃を受けたが、同時に納得もした。出会ったばかりの自分のような女に優しくしてくれて、色々と気を遣ったり手助けをしてくれたり、そのくせまっすぐな言葉で褒めてくれたり子供のように無邪気に笑ったり……そんな魅力の詰まったいい年の男が未婚であると言われるよりもよっぽど理解できたからだ。
だから、それはいい。それは当然の感情で、「何で私は二〇年前に産まれてなかったのー!」と理不尽な愚痴を叫びながら自棄筋トレでもすれば解消されるものだ。問題はそこではなく――
「奥さん、亡くなってるんだ……」
ニックの妻が若くして死んでいると聞いた時、ヤバスティーナは反射的に「なら自分にもまだ機会があるかも?」と思ってしまった。その後ニックが妻の話をしているときの愛に満ちた表情を見たときには、「死んでまで彼の心を独占するなんて、ズルい」という筋違いな嫉妬すらした。
「私、嫌な子だ。全然綺麗なんかじゃない……」
チラリと頭をよぎっただけで、本気でそう思ったわけではない。それでもそんなことを考えてしまったということ自体がヤバスティーナを落ち込ませる。褒められて、認められて、笑顔を向けられて嬉しかったからこそ、その気持ちを台無しにする自分の醜さにヤバスティーナは唇を噛みしめる。
「今夜だって、本当はもっとちゃんとお祝いとかお礼とかしたかったのに、こんな風に部屋に閉じこもって……ん?」
と、そこで不意に家の窓にカツンと何かが当たる音がした。気になって耳を澄ませてみると、程なくしてまたカツンと音がする。それに心当たりのあったヤバスティーナがベッドから起き上がりそっと窓を開けると、夜の闇の向こう側に昼間も見た男が明かりもつけずに立っているのが見えた。
その姿を確認すると、ヤバスティーナは一枚上に羽織ってから窓からそっと外に出る。そうしてできるだけこっそり男に近づくと、人差し指と小指だけを立て、両手を胸の前で交差させる独自の格好をとって挨拶を口にした。
「ヤバス!」
「ヤバス! ……ご苦労でヤス、ヤバスティーナ」
「ありがとうございます、ヤバイアン様」
今一つ感情の籠もらない挨拶をするヤバイアンに、ヤバスティーナの方は丁寧に頭をさげる。ヤバイアンはこの周囲一帯の地域を取り仕切る上位者であり、厳格な階級社会である吸血鬼の間で上位者を蔑ろにするのはあり得ない。
「では、ヤバスチャン様からのありがたい言葉を伝えるでヤス。お前のような混じり物には勿体ないお言葉でヤスから、しっかり聞くのでヤスよ?」
「はい」
「いくでヤスよ? 『二週間にわたるニックの足止め、ご苦労でヤバス。今後も引き続きニックの足止めを……できればもう二週間ほど続けて欲しいでヤバス。その際に必要な物があれば申請すればヤバいくらいに援助は惜しまないので、必ず任務を遂行するように。お前の働きにヤバいくらいに期待しているでヤバス』……以上だ」
「わかりました。あの、一ついいですか?」
「何だ?」
割と上位の純粋な吸血鬼であるヤバイアンは、混じり物であるヤバスティーナにあまりいい印象を抱いてはいない。その為ヤバスティーナに向けられる視線はどうしても事務的な冷たいものになり、いつもならばとても自分から質問などできないヤバスティーナであったが、今日ばかりは違う。
「何でニックさんを足止めするんですか?」
「……そんな事をお前が知ってどうするのでヤス?」
「ひっ!? そ、それはその……ほら、知っていると引き留め方に幅が出るというか……ほ、ほら! たとえば何処に行かせたら駄目みたいなのがあれば、どうしても町に引き留められない場合でもそちらに行かせないようにくらいならできるかも知れないじゃないですか!」
「む……それは確かに一理あるでヤスね」
その場で思いついたヤバスティーナの言い訳に、ヤバイアンは少し考えるそぶりをみせる。そのまましばし難しい顔をしていたが、やがて渋々という声でヤバスティーナに答えた。
「確かに混じり物のお前に完璧な仕事を求めるのはヤバいでヤス。ならそういう逃げ道を想定させておくのもアリでヤスか……なら説明してやるでヤス。実は今、基人族の国の一つであるザッコス帝国が大規模な戦争を行っているのでヤス」
「戦争!? え、そんなの私全然知らないんですけど!?」
「当然でヤス。この町はマーゾック商会で完全に情報封鎖をしているでヤスからね。採算度外視で流通を全て抑えているでヤスから、この町に出入りする情報は全て我らの手のひらの上でヤス」
「ほぇぇ、凄いんですねぇ」
「そうでヤス。ヤバスチャン様はヤバらしくヤバいのでヤス!」
感心するヤバスティーナに、ヤバイアンは大仰に胸を張って答える。強い魅了の力を持つ吸血鬼であればこそ、何でもそれに頼るのではなく多岐に渡る手段で目的を達成する。そんなヤバスチャンの「持たざる者」のような発想は当初面子を重んじる古い吸血鬼には評判が悪かったが、今となってはその有用性から全面的に受け入れられている。
そしてその柔軟性こそがギリギリス家を頂点たらしめる礎となっているのだから、その眷属たるヤバイアンが自慢したくなるのも当然だった。
「でも、ニックさんと戦争に何の関係が? 確かにニックさんが戦争に参加したら凄い働きをしそうですけど、冒険者は戦争には参加しないんですよね?」
冒険者はあくまで魔物と戦う存在であり、国同士の戦争には加担しない。それは世間一般の常識であり、もし戦争に参加したいなら新たに傭兵として登録しなければならない。
そして、傭兵と冒険者は兼業できない。自分に都合のいい立場を行ったり来たりされないように、どちらかのギルドに登録する場合はもう片方のギルドからは登録を抹消されてしまう。無論こっそり登録することは可能だろうが、発覚した場合はかなり重い罰を受けることになるので、犯罪者か諜報員でもなければそんな事をする者はいない。
だからこそ、何故ニックが? その当たり前の疑問に、ヤバイアンは嫌らしく口の端を釣り上げて笑う。
「確かに普通ならそうでヤス。でもそれはあくまで『普通なら』であって絶対では無いでヤス。たとえばそう、冒険者としての地位をかなぐり捨ててでも助けたい相手がいるとすれば……」
「……それって、ニックさんの知り合いが戦争に巻き込まれるってことですか?」
ゴクリとつばを飲むヤバスティーナに、ヤバイアンはゆっくりと頷いてみせる。
「そうでヤス。世間的には帝国はまだ出兵したばかりでヤスが、実際には既に周辺諸国を幾つも陥落させているのでヤス。そしてその手が次に伸びるのがコモーノ王国なのでヤスが……どうやらニックはそこの王族と縁があるということでヤス」
「王族……っ!?」
その言葉に、ヤバスティーナのなかで見えない糸が繋がった気がした。自分が受けた歩き方の訓練。あんなことができたのは、お城のお姫様に同じ指導をしたことがあったのだとすれば――
「ということで、もし万が一足止めがかなわない場合は、コモーノとは反対の方向に行かせるようにするでヤス。そちらの方にもあらかじめ我らの手の者を潜ませておくでヤスから、完全とは言えずともそれである程度の時間は稼げるはずでヤス。
まあ、おそらくはあと一、二週間もあればコモーノも片がつくはずでヤスから、お前は武闘大会を餌にニックを足止めすればいいでヤス。ヤバスチャン様がタップリと活動資金を追加してくれたおかげで、ヤバいくらいに魅力的な優勝賞品を調達しておくでヤス」
「……………………」
「ヤバスティーナ? どうしたでヤス?」
無言で立ち尽くすヤバスティーナに、ヤバイアンが声をかける。
「いえ、何でも……何でもありません……」
「そうでヤスか。ならこれで連絡は終わりでヤス。ヤバスチャン様の期待を裏切らないよう、精々頑張るでヤス」
「わかり、ました……」
顔面を蒼白にするヤバスティーナに多少の不信感を抱いたヤバイアンだったが、そもそも吸血鬼とはこういう顔色だろうと思い至ると、そのまま何も言わずに立ち去っていった。そうして後に残されたのは、押しつぶされそうなほどに重い荷物を心に背負わされたヤバスティーナのみ。
「私、どうしたらいいの……?」
明るかった空に雲がかかり、夜の世界が闇へと沈んでいくなか、ヤバスティーナは隠れてしまった月を見つめならが、途方に暮れてそう呟いた。