父、勝負を申し込む
「皆さん、初めまして。私の名前はヤバスティーナです」
ヤバスティーナがこの町で暮らすようになって、早数年。そうは言ってもよほど積極的に人と関わろうとしない限り日常生活で知り合う人数などたかが知れているので、当然この場にはヤバスティーナを知らない人の方が圧倒的に多く、そう言う意味ではこの挨拶は何ら不自然ではない。
だが、ヤバスティーナはそこに別の意味を込めている。だからこそ彼女は、自分を見つめる無数の視線を受け止めながら言葉を続けていく。
「少し前まで、私は自分のこの大きな体があまり好きじゃありませんでした。私の筋肉を褒めてくれた人達には申し訳ないですけど、もっと小さくてか弱い普通の女の子になりたいって思ったことは、一度や二度じゃありません」
それはこの会場において、もっとも望まれていない言葉だ。案の定筋肉の価値を否定するその発言に、一般審査員のみならず観客席にも渋い顔をする人達が沢山現れる。
それでも、ヤバスティーナは言わねばならなかった。全てを包み隠さず言わなければ、きっとこの思いは伝わらないから。
「でも、そんな私を変えてくれる出会いがありました。その人はありのままの私を見て素敵な女性だと言ってくれたのみならず、私に体を動かす楽しさを、筋肉を育てる嬉しさを思い出させてくれました」
ヤバスティーナの体が、ゆっくりとポーズを取っていく。全く淀みのない流れるような動きに魅せられ、観客達の顔から不平が消えていく。
「その人のおかげで、私はまた胸を張れるようになりました。その人のおかげで、私は前を向けるようになりました。その人のおかげで、私は私に戻ることができました。まだ何のしがらみもなく、毎日楽しく走り回っていた頃の私に」
ヤバスティーナの胸の前で、その両手がガッチリと組み合わされる。その穏やかな表情はまるで聖母のようだ。
「だから、どうぞ見てください。この体に生んでくれた両親に、こんな私を今日まで受け入れてくれた町の人達に、そして何より私を私にしてくれたその人に! 精一杯の感謝を込めて……これが私! 今の私の心からの筋肉です!」
ヤバスティーナの全身に力が込められる。柔らかだった筋肉が硬く大きく膨らみ……その持ち主であるヤバスティーナは、満面の笑みで前を見つめている。
(私、もう俯きません! 言葉に出来ないこの気持ちを、全部筋肉に込めます!)
振り返ったりしない。そんなことをする必要はない。舞台袖にいるあの人は、今も自分を見てくれている。その思いが全力よりもなお強い力となり、ヤバスティーナの筋肉をかつて無いほどに膨らませていく。
「おお、これはなかなか」
「心と筋肉が一つになっている。実に美しい姿だ」
「ああ、若いっていいですねぇ」
審査員達の言葉を聞きながら、首から下の緊張しきった体をそのままに、花が咲いたような柔らかな笑みを浮かべ続けるヤバスティーナ。しばし続いたそのポーズがふぅと息を吐くことで終わりを告げると、会場からは大きな拍手が巻き起こった。
「いやー、素晴らしいお話でした! まさに筋肉が全てを解決するといったところでしょうか。このコンテストの前に上演されていた演劇さながらの熱い告白をしてくれたヤバスティーナさんに、どうぞ皆様もう一度温かい拍手をお送りください!」
「こ、告白!? ち、違います! そういうのじゃ全然! 全然違いますから!」
司会の男の言葉に、ヤバスティーナが焦って否定の声をあげる。だがその顔は力んだのとは別の理由で真っ赤であり、説得力は皆無。
「あうぅぅぅ、違う! 本当に違うんですぅぅぅ!!!」
結局その恥ずかしさに耐えきれず、ヤバスティーナは両手で顔を隠しながら一目散に舞台から降りていった。その背には拍手が鳴り響いていたが、それに応える余裕などどこにもない。そのまま舞台袖まで走り続けると、ヤバスティーナの大きな体がボスンとなにか柔らかいものにぶつかった。
「あっ!? ご、ごめんなさい!」
「はは、儂は大丈夫だから気にするな。というか、お主こそ大丈夫か?」
「ニックさん!?」
今一番会いたい、そして会いたくない相手に抱きかかえられるようにされて、ヤバスティーナの内なる乙女が遂に限界を迎えた。
顔を隠したままその場にしゃがみ込み、イヤイヤと首を横に振って現実逃避を始めてしまったヤバスティーナに、ニックは優しく微笑みながらその頭を撫でる。
「そう恥ずかしがることもあるまい? 実にいい演技だったぞ?」
「あ、ありがとうございます……」
ニックの言葉に、ヤバスティーナはかろうじてそう答え……そんな二人の世界に空気を読まずに声をかけてくる男が一人。
「確かに見世物としてなら十分だった。だがそれだけだ」
「ゴリオシさん……」
「意識の低い観客や一般の審査員なら誤魔化せるかも知れんが、俺のような生粋の筋肉好きは違う。結局お前の筋肉は俺に優れたところなど一つもない! 違うか?」
「そ、それは……」
強い口調で指摘され、ヤバスティーナは言葉に詰まる。実際純粋な筋肉の美しさで競うならば、ヤバスティーナには万に一つも勝ち目が無いことくらいはヤバスティーナ自身も理解していた。付け焼き刃の筋肉と付け焼き刃の所作、二つ揃えば並の相手ならば蹴散らせる程度の戦力にはなっても、本物の筋肉を前には勝ち目が無いことなどわかりきっていたことなのだ。
「ということで、約束だ。俺が勝ったからにはお前の筋肉は俺がしっかり管理してやる。なーに、心配するな! 一〇年もあればお前なら何処に出しても恥ずかしくない筋肉になれる!」
「じゅ、一〇年!? それは流石に……ほら、私も結婚して子供を産んだりとかしたいですし」
「ガッハッハ! 何を言い出すかと思えば、まだそんな馬鹿なことを言っているのか? 大丈夫、俺に任せておけばそんな世迷い言を考える弱い筋肉もしっかりと克服させてやる! 結婚も出産も問題ない。筋肉と筋トレすれば可愛い筋肉も生まれるからな!」
「イヤー! そんな人生絶対嫌ですー!」
「まあ待て。早まるなゴリオシよ」
本気で嫌がるヤバスティーナの腕を掴んで引っ張っていこうとするゴリオシに、ニックが今回も声をかける。
「何だ、またお前か? 俺とヤバスティーナの問題にこれ以上首を突っ込むなら、いくらお前がいい筋肉をしてるからって容赦しないぜ?」
「そう言うな。お主がヤバスティーナの才能を見込んで彼女を鍛えたいという想いはわかったが……ヤバスティーナにそれほどの才能があるのなら、どうせならば師もまた最高であるべきだとは思わんか?」
「……何が言いたい?」
胡乱な眼差しを向けてくるゴリオシに、しかしニックは怯まない。堂々と胸を張り、ニヤリと笑って答える。
「つまりだ。儂がお主より優れた筋肉の持ち主であったならば――」
「ハッ!」
ニックに最後まで言わせること無く、ゴリオシが吐き捨てるように声を出す。その顔には怒りが浮かんでおり、ニックを睨む視線も先ほどまでとは違ったものになっている。
「思い上がるな! 確かにお前の筋肉は凄い。もしこれが次の催し……武闘大会だったなら俺に勝ち目はなかっただろう。
だがこれはナイスマッチョコンテスト! あくまでも身につけた筋肉の美しさを競う催しだ! これで俺がお前に負けることなど万に一つもあり得ない!」
「ほほぅ? あり得ないというのであれば、勝負は成立でいいのだな? ……などと挑発する必要もないか。お主は筋肉に嘘をつけん男と見た」
「……フンッ!」
ニックの言葉に答えることなく、ゴリオシがヤバスティーナから手を離してその場を去って行く。だがその背中に浮き上がる鬼神のような筋肉こそがゴリオシの想いを如実に物語る。即ち……「やれるものならやってみろ」
「ニックさん……あの……」
「任せろ。儂が――」
「それでは、遂に最後の参加者となりました! フラリと町に立ち寄ったというとんでもない筋肉の持ち主! これはきっと筋肉の神がこの町に引き寄せたに違いありません! 冒険者のニックさんです!」
丁度その時、司会の男がそう発言する。ニックは自分に伸ばされたヤバスティーナの手をするりと抜けると……
「この町の筋肉史に、新たな時代を刻んできてやろう」
そう言って堂々と舞台へと上がっていった。