父、観戦する
「――以上が、今回の一般審査員の方々となります。それでは最後に特別審査員のお二人をご紹介しましょう! まずは皆さんご存じ、このマチョピチュの領主にして筋肉の神に愛された男! ムッチャ・マッチョス様です!」
「うぉぉー! マッチョス様ー!」
「今日もバリバリに切れてますぜー!」
「カッコイイー!」
司会の男の言葉に合わせて、会場中から歓声が巻き上がる。それに応えるように悠々と手を振るのは、ツルリとした頭とは裏腹に口には豊かな白髭を蓄えた筋肉質の老人だ。
「やぁ、ありがとう。今年もまたこの催しを開催できたのは、偏に皆が筋肉を、ひいてはこの町を愛してくれたからだ。まずはその事に感謝したい。今年もまた素晴らしい参加者が集まってくれたようだが……今の段階で多くを語るのは無粋だろう。
語るのは言葉ではない。筋肉だ!」
そう言うとムッチャはその場で立ち上がり、見事なポーズを決めてみせた。今年で六〇を超える高齢でありながら、その筋肉は見事な張りと艶を保っている。
「筋肉を愛し、筋肉に愛される者達よ! 今年も素晴らしい筋肉を魅せてくれると期待している!」
そう煽って最後にもうひとポーズ決めると、ムッチャは静かに席に腰を下ろした。それと同時に会場から大きな拍手が巻き起こり、司会の男がそれを手で制止ながら言葉を続けていく。
「はい、ということでマッチョス様の挨拶でした! そしてもうお一方は、今回の催しのみならずこの町の発展に多大な貢献をしてくださったこの方! マーゾック商会のヤバイアンさんです!」
次に司会の男が呼んだのは、領主の隣に座っていた細身の男。割と暑い日差しの下で真っ黒な外套に身を包む姿はなかなかに異質であり、微妙に青白い顔は一癖ありそうな感じで微笑んでいる。
「ただ今ご紹介にあずかりました商人のヤバイアンでヤス。少し前からこの町にお世話になっているのでヤスが、今回はこのような素敵な催しをすると聞いて、微力ながらそのお手伝いをさせてもらったでヤス。
ご覧の通り自分は生まれつき筋肉のつきにくい体でヤして、そのせいか筋肉に憧れる気持ちは誰よりも強いつもりでヤス。そんなわけなのでこれからもちょこちょこ色々な事に協力させてもらうでヤスから、どうぞよろしくお見知りおきをお願いするでヤス」
「はい、マーゾック商会のヤバイアンさんでした! それではいよいよ『ナイスマッチョコンテスト』の方を始めていきましょう! まず最初は――」
審査員の挨拶が終わり、参加者が次々と呼ばれては舞台に上がると、それぞれが思い思いのポーズで己の筋肉をアピールしていく。その様子は壮観の一言で、会場の観客達はどんどん熱狂していく。
「はい、ありがとうございました! さーて、次はいよいよ今回の……というか、今回も優勝候補! 過去一〇回出場して優勝は何と六回! しかも去年、一昨年と連覇したまさに筋肉の英雄! ゴリオシさんの登場です!」
「「「ワァァー!!!」」」
「おお、凄い歓声だな」
「遠くから筋肉だけを見る分には、本当に凄い人ですからね」
ニックの漏らした呟きに、ヤバスティーナがやや辛辣な返答をする。実際歓声をあげているのはゴリオシが進んで関わることはなさそうなあまり筋肉に恵まれていない人達ばかりであり、本人を知らないからこその憧れ、熱狂だというのがゴリオシと言葉を交わしたことのある者の共通認識であった。
「……………………」
そんなゴリオシが舞台の中央に立つと、観客に向かって無言のまま手を振る。するとすぐに歓声に溢れていた観客席が静寂に包まれ、それを待ってようやくゴリオシが口を開く。
「他の参加者はここで色々と話をしていたが、俺は領主様の言葉を踏襲したいと思う。つまり……俺が語るべきは言葉ではない。ただ筋肉だけだ!」
そうしてゴリオシはポーズを決めていく。盛り上がる筋肉は太い血管を浮かび上がらせ、光を浴びテラテラと輝く表面と漆黒の闇を思わせる深い溝がくっきりとした対比を生む。それはまさに芸術のような筋肉であり、それをみた観客達は思わず感嘆のため息を漏らす。
「ふわぁ、凄ぇ筋肉だ……」
「どんだけ鍛えりゃあんなになるんだよ」
「はぁ、あんな筋肉に抱かれてみたい……」
『ほぉ、これは素晴らしいな。あの男の言動は正直どうかと思っていたが、確かに肉体美に関してだけならば一級品だ』
これまでは参加者がポーズを決める度に沸き立っていた観客席が、今はうっとりと酔うような空気に満たされている。それは特に筋肉に思い入れがあるわけではないオーゼンにすら伝わっており、その本物具合は次の演者……即ちヤバスティーナに息を呑ませる。
(やっぱりゴリオシさんの筋肉は凄い。私なんかじゃ……)
「ふふふ、よかったではないかヤバスティーナよ」
「えっ!?」
またも落ち込みそうになっていたヤバスティーナに、ニックが明るくそう声をかけた。意味がわからず首を傾げるヤバスティーナに、ニックはニヤリと笑って答える。
「儂が最も懸念したのは、あのゴリオシが口先だけの半端者であることだ。あれだけ語っていた筋肉への情熱すら紛い物で、ただお主に上からものを言いたいだけの相手であったら、穏便に事を済ませるのはなかなかに難しそうだったからな。
だが、奴の筋肉に対する思いは本物であった。ならばお主が今日まで頑張ってきたことをきっと理解できるはずだ。
ならばもう何の心配もいらん。お主はただ全力で舞台を楽しんでくればいい」
「ニックさん……」
ニックの言葉に元気を取り戻し、ヤバスティーナが微笑む。そんな二人から少し離れた所では出番を終えたゴリオシが控え室に戻ることなく舞台袖で待機していたが、互いに何かを言ったりはしない。
そう、ここまでくれば誰にでもわかる。今求められているのは会話ではなく、ただ筋肉を見せることなのだと。
「では、次の参加者の登場です! この町に住むもっとも体の大きな女性ということで、知っている人は知っているのではないでしょうか? 今回初参加のヤバスティーナさんです!」
「ほれ、行ってこい!」
「はい!」
ポンとニックに背中を押され、ヤバスティーナが舞台へと出ていく。太陽の位置が筋肉の見え方に影響しないよう舞台には無数の光を放つ魔法道具が設置してあり、その眩しさに一瞬目を細めるヤバスティーナだったが……瞳を開いたその向こうには、沢山の人々が自分に注目する顔がある。
「あっ……うぅ……」
その圧力に、ヤバスティーナは思わず一歩下がってしまう。怖じ気づいて背が丸まってしまいそうになったその時。
「……え?」
不意に、自分の背中を何か柔らかいものが押したような気がした。振り返ればそこにはニックがいて、いい笑顔で親指を立てて自分を見てくれている。
(そうだ、怯える必要なんてない。だって私は……頑張ったって言えるだけのことをしてきたんだから!)
思い出されるニックとの特訓の日々が自信を生み出し、ヤバスティーナの背筋がスッと伸びる。それはニック以外この町に住む誰も見たことのなかった、本当のヤバスティーナの姿。
そして、歩く。ごく当たり前の動作だからこそ、そこが洗練されれば素人目にも違いが見える。
「アレがヤバスティーナ? 何かいつもと印象が違うけど」
「前すれ違った時より身長が高い気がする? え、まさかまだ成長期とか?」
「表情が……あの子あんな顔だったか?」
幾百もの瞳から見つめられながら、ヤバスティーナは堂々と舞台を進んでいく。そうして中央に立ったところで、司会の男がヤバスティーナに声をかけた。
「ではヤバスティーナさん。何か一言お願いします」