父、協力を申し出る
「これは……っ!? わかる、わかるぞ。俺にはわかる。無粋な鎧で包み隠されているが、お前には鍛え上げられた筋肉が宿っている……お前は一体!?」
「儂か? 儂は昨日からヤバスティーナのところで厄介になっている、鉄級冒険者のニックという者だが」
「ほぅ、ニックか! 俺はゴリオシ。このマチョピチュで誰よりも筋肉を愛する男だ!」
「そうか」
目の前で見事なマッスルポーズを見せつけてくるゴリオシに、しかしニックは動じない。それを余裕で受け流したニックにゴリオシが不敵な笑みを見せる。
「俺の筋肉を目の当たりにして平然と受け流すとは、やはりお前はただ者ではないようだな」
「いや、儂は言った通りただの冒険者なのだが……そんなことより、先ほどまでのヤバスティーナとのやりとりは何だ? 嫌がるヤバスティーナに対して随分と強引な物言いをしていたようだが?」
きっちりと拾っておいた帽子をヤバスティーナに渡すと、ヤバスティーナはそれを宝物のようにギュッと胸に抱きしめる。それを優しい目で見てから言ったニックの言葉に、ゴリオシは心底不思議そうな顔で首を傾げてみせた。
「嫌がっている? 何をわけのわからんことを言っているんだ! この世に筋肉を鍛えるのを嫌がる人間などいるわけないではないか!」
「お、おぅ? そうか?」
「そうなのだ! 筋肉は生涯を共にする相棒であり、注いだ想いを裏切らない親友であり、鍛えてやればやるだけ膨らんでくれる最高の恋人なのだ! そんな筋肉を嫌う者がいるか? いいやいない! 筋肉こそこの世の真理! 筋肉こそが俺の本体! 筋! 肉! 最! 高!」
真顔でそう力説したゴリオシが、次々に全身の筋肉を強調するポーズを決めながらそう叫ぶ。激しく体を動かす度に飛び散った汗が空にキラキラと輝き、まだ初夏というにも早い時期にもかかわらずこの周囲だけ確実に気温が二度ほどあがった。
「あー……つまり、何だ? お主の目にはヤバスティーナが嫌がっているように見えなかったと?」
「ハッハッハ、何を馬鹿なことを言っているんだお前は! いいかヤバスティーナ。確かに俺のような超級筋肉の持ち主を前にすれば、緊張して遠慮してしまうのはわかる。だが遠慮は無用なのだ! この俺がお前の可哀想な筋肉を徹底的に鍛え直してやる!」
「いえ、だからそれは以前からお断りしているじゃないですか!」
「照れるな照れるな! 縮こまっていいのは訓練時の筋肉だけだぞ? ああ、それとも金のことを心配しているのか? ならば大丈夫だ。この俺の指導は本来なら一日につき金貨一枚は欲しいところだが、お前ならば特別にタダにしてやる! だから安心して――」
「だからそういうことじゃないと、何度も言って――」
濃い笑顔を湛えたまま自分の考えのみを貫き通すゴリオシに、ヤバスティーナの必死の叫びは届かない。何をどう説明しようと……いっそはっきりと「嫌です」と言ってすら「照れるな」「遠慮するな」と反論し、最終的に全ての結論を「いいから自分の言う通りに筋肉を鍛えろ」とするゴリオシの言動に、黙って横で聞いていたニックは空恐ろしいものを感じていた。
「何と言うか、凄まじいな……」
『交渉手段の一つとして相手の言動をのらりくらりと全て躱したり、あるいは言葉尻を捉えて自分に都合のいい解釈に持って行くような者であれば幾人も見てきたが、言葉が通じるのに話が通じない相手など、我としても初めてだな』
そんなオーゼンすらも戦慄させるゴリオシの言葉は止まらない。そのまま二〇分ほど押し問答ですらない、ただ互いの言葉を投げつけるだけの行為が続き……そして遂にヤバスティーナの我慢が限界を迎えた。
「あーっ! もう、わかりました!」
「そうか、わかったか! ならば早速この俺がお前に相応しい訓練を――」
「私も今年の『ナイスマッチョコンテスト』に出ます!」
「うむ?」
「何だと?」
突然のヤバスティーナの発言に、ニックとゴリオシが揃って驚く。だが単純に驚いたニックと違い、ゴリオシの表情はにわかに険しくなっていく。
「去年までは俺がどれだけ声をかけても出なかったのに、今になって出場するだと? 今年のコンテストは二週間後だぞ?」
「わ、わかってます! それでもし私が勝ったら、これ以上私のことに口を挟まないでください!」
「…………ハッ!」
意を決したヤバスティーナの言葉に、ゴリオシは不快そうに顔を歪める。親切そうな笑みから一転した嘲り、見下すような視線を受けて、ヤバスティーナは思わずその場で一歩後ずさった。
「なるほどなるほど。つまりお前はたった二週間の努力で、この俺が長年鍛え続けてきた筋肉を上回る筋肉を身につけてみせると? そうかそうか……これはまいったな。まさかお前がそこまで腐り果てていたとは……」
「うぅぅ……で、でも勝負はやってみなくちゃわからないってことも……」
「わからない!? この俺の血と汗と涙と努力と才能と血筋と運命と愛が作り上げた最高の筋肉が、堕落しきったお前が二週間で作り上げる即席筋肉に勝つか負けるかわからない!?
わかった。そこまで自信過剰になっていたなら、もう俺も手段は選ばない。次のコンテストでお前の筋肉を完膚なきまでに否定し尽くし、その後は二度とそんな思い上がった考えができないように俺がびっちり訓練してやる!
自分が筋肉を鍛えるためだけに生きる存在として生まれ変われる日を楽しみにしておくがいい!」
最後にもう一度ムンッと筋肉を協調するポーズを決めると、ゴリオシが肩を怒らせながらその場を後にしていった。その後ろ姿が消えて周囲の気温が元に戻ったところで、ヤバスティーナがヘナヘナと地面に座り込んでしまう。
「ど、どうしましょうニックさん! 私あんなこと言っちゃって……」
「どうと言われてもなぁ。と言うか、何故にまたあんな勝負を挑んだのだ?」
涙目で自分を見上げてくるヤバスティーナの言葉に、ニックは困り顔で頭を掻く。言動はともかくゴリオシの肉体はニックからみてもよく鍛錬されているとわかるものであり、体格はよくてもそこまで鍛え込んでいるとは思えないヤバスティーナの今の状態で勝つのは難しいだろうことは、ニックの素人目にも予想がついた。
「だって、あの人会う度に筋肉を鍛えろってしつこくて……いえ、それだけならまだ我慢できたんですけど……」
そう言って、ヤバスティーナは胸に抱いた帽子に視線を落とす。両親を除けば初めてもらった異性からの贈り物。よく似合っていると褒めてくれたそれを否定されたことこそが、ヤバスティーナには何より我慢ができなかったのだ。
「でも、そうですよね。確かに二週間で何ができるかって言われたら……」
興奮していた気持ちが落ち着いてくると、ヤバスティーナにも現実が見えてくる。鬼人族の血が入っているヤバスティーナであれば体を鍛える効率は基人族の何倍も高いだろうが、それは決して二週間で十数年の鍛錬を覆せるほどに超越した才能ではない。
「うぅ、やっぱり私って駄目な子なんですね。昔からそうなんです。体が大きいだけで、それ以外は全然……」
「そんなことはない」
現実を思い知り、うつむき落ち込むヤバスティーナにニックが優しく声をかける。そっとその頭を撫でると手のひらに僅かにゴツゴツした感触を感じたが、それを気にすることなくニックは言葉を続ける。
「もしもお主の今の言葉が勢いだけのもので、本当はやりたくないというのであれば、後は儂が何とかしよう。だが、もしお主自身にやる気が……頑張りたいと思う気持ちがあるのなら、儂が全力でお主を支え、鍛え上げる。
さすれば奴に勝てる……とまでは断言できぬが、奴の筋肉に対する思いが本物であるならば、きっとお主の努力は伝わるはずだ。どうだ? やってみるか?」
「ニックさん……いいんですか?」
諦めていたヤバスティーナの心に、ニックの言葉が灯火をつける。それは小さな炎だったが、ヤバスティーナをまっすぐ見つめるニックの瞳がそれを少しずつ大きく育ててくれる。
「無論だ。それに勘違いしているようだが、お主は決して駄目な子などではないぞ? お主はあんなに美味い料理が作れるではないか」
「えっ!? でも、あんなもの所詮は家庭料理ですよ? お店で料理を出せるような腕じゃないですし……」
「そうではない。確かにお主の料理は一流の料理人に比べれば劣るであろうが、そもそもお主は一流の料理人を目指して修行したのか?」
「いえ、そんなことはないですけど……?」
「であろう? それでもあれだけの味になるのであれば、それはお主の中に『努力できる才能』があるということだ。食べてくれる人の笑顔を思い料理を作る努力ができるなら、見てくれる人を思い体を鍛える努力もできるはず。
ふふふ、二人でしっかりと体を鍛えて、彼奴に吠え面をかかせてやろうではないか!」
「ニックさん……はい! 私、頑張ってみます!」
ニヤリと笑うニックの顔に、燃え上がったやる気の炎がヤバスティーナの瞳に宿る。こうして二人の短期集中筋肉強化合宿の日々が静かに幕を開けることとなった。