父、褒める
「すまぬ。待たせたか?」
「いえいえ。このくらい全然ですよ。それじゃ、次は……」
「まあ待て。その前に……ほれ」
歩き出そうとするヤバスティーナを呼び止め、ニックが魔法の鞄から先ほど追加で買った物を取り出してみせた。するとヤバスティーナは目を丸くしてニックが持つソレに視線が釘付けになる。
「あっ、それ……」
「ふふふ、その反応なら、あの店主殿の言ったことに間違いはなかったようだな」
驚くヤバスティーナをそのままに、ニックは手にした帽子をそっとヤバスティーナの頭に被せる。ワンポイントに赤いリボンの巻かれた白に近い薄桃色のつば広帽子はヤバスティーナにピッタリであり、突然のことに固まっていたヤバスティーナがそこで慌てて騒ぎ出す。
「に、ニックさん!? え、これは!?」
「なーに、宿賃の代わりだと思ってくれればいい。最初は何か小物を買おうかと思ったのだが、あの店の店主殿がお主がその帽子を熱心に見ていたと言っていたのでな。
どうだ? 気に入ったか?」
「えっ? えっ!? で、でも、私にこんな……」
「うむうむ。よく似合っているぞ」
「…………あぅ」
笑顔で親指を立ててくる筋肉親父に、ヤバスティーナは何も言えなくなってしまう。
確かにヤバスティーナはこの帽子が欲しかった。だがちょっとお高めの値段と、何より自分みたいな女がこんな清楚な帽子はとても似合わないだろうという自虐に近い諦めの気持ちが、この帽子を購入することをあと一歩で踏みとどまらせていた。
なので、もしこれが単なるお礼であったなら、ヤバスティーナは涙を呑んでニックに帽子を返したことだろう。だが……
「……に、似合ってます、か? 本当に?」
「ああ、バッチリだ!」
満面の笑みでそう言われてしまえば、もうヤバスティーナに逃げ道はない。何だかよくわからない漫然とした申し訳なさを己の中で飲み込めば、後に残るのは必死にかみ殺してもなお浮かんでくる喜びのみ。
「そう、ですか……あの、ありがとうございます」
異性から贈り物をもらうことも、衣服をお洒落という意味で似合っていると言われるのも、ヤバスティーナにとっては初めての経験だった。嬉しくて嬉しくて今にも踊り出したいところだったが、流石にそこは二五にもなる大人の女性がすることではない。
そして、どう考えても隠し切れていないその喜びを見逃すほどニックは甘くない。軽くニヤリと笑うと、追撃の言葉をヤバスティーナに投げかける。
「ふむん? なあヤバスティーナよ。昨日は中途半端で終わってしまったことだし、もしよければこれからまた町の案内をしてもらってもいいか?」
「えっ!?」
「どうであろうか?」
まっすぐに目を見てくるニックに、ヤバスティーナは瞬時に頭の中で今日の予定を思い返す。そうして浮かんだ用事を片っ端から押しのけると、もらったばかりの帽子をキュッと深く被り、優しい日陰に守られた顔をはにかませて応えた。
「はい! 私でよければ、喜んで! じゃ、行きましょう!」
まるで芝居役者のようにクルリとその場で体を回転させると、ヤバスティーナが弾む足取りを隠すことなく歩き出す。すぐその後をニックも続けば、腰の鞄からオーゼンが語りかけてきた。
『ほぅ。貴様にしてはなかなか気の利いたことをするではないか』
(まあな。これならばいい気分転換になるであろう)
それはかつての自分の経験。働き手が自分しかいなかったせいでやむを得ず留守がちだったニックは、フレイから先日のヤバスティーナのような視線を向けられたことがあった。
それに酷い罪悪感を感じたニックがある日やってきた行商人からいい感じの小物を買ってフレイに贈ったところ、幼い娘はことのほか喜んで何処に行くにもそれを身につけるようになり、いつの間にか心細そうな顔をすることも無くなっていた。
なので今回、どうも何かを悩んでいるらしいヤバスティーナの気分が少しでも晴れればという思いを泊めてもらっているお礼という理由で包んで何か贈ろうと考えていたのだが、店主の女性から「そういうことなら」と薦められて買ったのが件の帽子であった。
(根本的な解決にはならずとも、気分が上向けば考え方も前向きになる。どうやら贈り物は成功だったようだな)
大きな尻を振りながら歩く様はまるで犬人族の尻尾のようで、楽しげなヤバスティーナの様子にニックはこっそりと満足げに微笑む。
「ニックさーん? どうしたんですか?」
「おっと、すまんすまん」
いつの間にか遅れていたニックに、ヤバスティーナは慌てて足を止めて声をかけた。すぐにニックが追いついてくるが、ヤバスティーナの頭の中では自責の念が盛り上がっていく。
(うぅ、ニックさんを置いて行っちゃうほど浮かれてるなんて……でもでも、この帽子凄く可愛いし、ニックさんにも似合ってるって言われたし、ちょっとくらいは自信を持ってもいいのかも……)
「ん? お前はヤバスティーナじゃないか」
反省のつもりが結局ニヤニヤが溢れてきてしまったヤバスティーナに、不意に声をかけてくる人物がいた。目に痛い程に強烈な桃色の競技服に身を包んだやたら濃い顔の男の登場に、ヤバスティーナの表情が露骨に曇る。
「あ、ゴリオシさん……」
「相変わらず体格だけはいいな。だが最近は鍛錬をサボりすぎなんじゃないか? そんなことじゃせっかくの筋肉が泣いているぞ!」
「はぁ。申し訳ありません……」
マチョピチュに集う人々は、ほぼ例外なく筋肉や筋トレが大好きだ。ただそこには当然個人差というものがあり、たとえばヤバスティーナは体を動かすこと自体は嫌いではないが、特別筋肉に傾倒しているわけではない。
そして、ヤバスティーナの目の前にいるゴリオシは、筋肉に傾倒どころか心酔、もしくは崇拝しているとでも言うべき人物だ。生活の全てが筋肉を育てることに注がれ、筋肉以外に価値を見いださないという、マチョピチュにくる前はどうやって生活していたのかわからないほどの人物がヤバスティーナは苦手だった。
「ふぅ。せっかくの才能も持ち主がこれではな。何だこれは!」
「あっ!?」
ゴリオシの伸ばした手がヤバスティーナの帽子を無造作に掴むと、そのまま放り投げてしまう。咄嗟にそれを掴もうとしたヤバスティーナだったが、それより早くそれより早くゴリオシの手がガッチリとヤバスティーナの両腕を押さえ込んでしまった。
「そんな軟弱な物を身につけているから情けない筋肉になるんだ! 似合いもしないお洒落などにうつつを抜かす前に、少しは本気で筋肉を鍛えろ! 一日訓練をサボれば取り戻すには三日もかかるんだぞ!? 遊んでいる暇があればさっさと帰って筋肉をいじめ抜くのだ!」
「ちょっ、離してください! 離して!」
「いーや、離さないぞ! お前がきちんと筋肉と向き合うと約束するまでは、この手を離すわけにはいかん! これはお前のためなのだ! お前の才能を、素質を見抜いた俺だからこそ、お前に体を鍛えさせる義務があるのだ!」
弱い力では振りほどけず、かといって力を込めれば相手を跳ね飛ばしてしまうため、困り果てたヤバスティーナが悲鳴のような声をあげる。だがそれを一切気にすることなくゴリオシはあくまでも自分の主張を続け……
「そこまでにしておけ」
「ん? 誰だお前……は……っ!?」
不意にヤバスティーナの背後から声をかける存在。初めてそちらに意識を向けたゴリオシの眼前に立っていたのは、身長二メートルを超える巨体にギュッと引き締まった筋肉をこれでもかと詰め込んだ筋肉親父であった。