父、褒める
「フン! ハー! フン! ハー!」
「フン! ハー! フン! ハー!」
「フン! ハー! フン! ハー!」
「おお、これはまた壮観だな」
町の門をくぐったニックを出迎えたのは、一糸乱れぬ動きでポーズを決める半裸のムキムキマッチョの群れであった。一心不乱に訓練に取り組む男達はきらめく汗を辺りに飛び取らせ、この一帯だけ明らかに気温が二度ほどあがっている。
『筋肉……筋肉がこんなに……何たる悪夢だ……』
「ふーむ。しかしあれは何をしているのだ? 見たところ格闘術の訓練というわけではないのだろう?」
『む!?』
ニックのその言葉に、オーゼンの中で衝撃が走る。大量の筋肉が蠢いているのではなく格闘家が集団で訓練していると考えると、寸前まで感じていた目の前の違和感が一気になくなったのだ。
だがそんなオーゼンの気持ちなど知る由も無いニックの問いに、ヤバスティーナは笑顔で答えてしまう。
「あれは筋肉の見せ方の訓練ですね。より大きく筋肉を膨らませ、陰影をくっきりとさせるのが目的のはずです。私は参加したことありませんけど……」
『やはり見直すべきではなかった! 我は二度と騙されんぞ!』
「むぅ、見せ方の訓練か……確かに戦う者とは筋肉の付き方が違うな」
突然叫び声を上げたオーゼンを鞄の上からポスンと叩き、ニックが筋肉集団を見回しながら言う。
「凄い、見ただけでわかっちゃうんですね……そうです。この町はあくまで体を鍛えて筋肉を身につけるのが目的の場所ですから、筋肉の使い道は人それぞれなんです」
「そうか、言われてみれば当然のことだ。どうやら儂の見識は些か曇っていたようだ」
この世界において、あえて体を鍛える行為をするのは冒険者や傭兵くらいだ。体力を使う仕事はいくらでもあるが、それらに必要な力は仕事をしながら身につけていくもので、仕事の外で体を鍛えるような者はまずいない。鍛えなければ仕事についてこられないような奴を雇うほどこの世界の雇用事情は緩くないのだ。
だが、鍛えてはいけないということはない。向き不向きと己の夢や目標は別であるし、ましてや趣味や健康のために体を鍛えているというのであればそれを責める言われなど何処にもない。
「あ、勿論戦うために鍛えている方もいますよ? ただそういう人達はもっと奥の場所でやってるだけで。やっぱりそちらの方が興味がありますか? ご希望でしたら後で町を案内しますけど」
「うむん? そうだな……せっかく来たのだ、もしお主がいいのであれば一つ案内を頼めるか?」
「わかりました! じゃ、お食事が終わったらご案内しますね!」
ニックの言葉に、ヤバスティーナが嬉しそうにそう答える。そうしてそのままヤバスティーナの家に案内されると、ヤバスティーナは踊るような足取りで奥の調理場へと入っていった。
「こんな所にこんな町があったとはなぁ……」
『我は一生知りたくなかったがな』
出されたお茶を啜りつつ呟くニックに、オーゼンが憮然とした声で答える。
「何だオーゼン。随分と不機嫌だな? 儂としてはああいった者達が頑張っているのを見るのは楽しいのだが」
『む、それは……いや、確かに我としても些か興奮しすぎであった、か?』
筋肉ムキムキの男達が笑顔で大胸筋を強調してくる姿がどうしても受け入れられなかったオーゼンだったが、冷静に考えるならば彼らなりの目的のために努力する姿は確かに尊いものだと理解できる。
『ふぅ。どうやら我は貴様のせいで少々筋肉に過剰反応してしまうようになっていたようだ。これは認識を改めねばな』
「何故儂のせいなのだ!?」
『貴様のせい以外にどんな理由があるというのだ!?』
「ぐぬぅ……」
『ぐぬぬ』
「お待たせしましたー! って、どうかされたんですか?」
「あ、いや、何でも無いぞ! ははははは……」
オーゼンと言い合いをしている最中に料理を持ったヤバスティーナが戻ってきて、ニックは空々しい笑い声をあげて誤魔化す。それに軽く首を傾げたヤバスティーナだったが、すぐに笑顔に戻って手にした料理を次々とテーブルの上に並べていった。
「はい、どうぞ! 簡単なものですけど」
「これは美味そうだな!」
目の前に並ぶのは、肉を中心とした料理の数々。そこから立ち上る香ばしい湯気は、長時間歩いたことで昼時から大分ずれ込んだニックの空きっ腹を猛烈なまでに刺激してくる。
「では、いただこう!」
「はい、どうぞ」
ヤバスティーナの答えを聞いてから、ニックは一心不乱にフォークを動かしていく。ほどよく焼けた赤身のステーキは肉本来の旨味に加え少し強めに香辛料が振られており、それによって生じる喉の渇きは飲み物ではなく新鮮な野菜サラダから滴る水気が潤してくれる。
食卓に並ぶパンも保存用の黒パンではなく食堂などで出るフレッツと呼ばれる縦に細長いパンを切ったもので、豆と肉を煎った甘辛い具材を上にのせて食べるとこれがまたたまらない。
「うぉぉ、これは本当に美味いな!」
「そうですか? 一人暮らしで覚えた手抜き料理なんですけど」
「これでか!? この豆と肉の煎り物などは作るのが大変そうだが」
「ああ、それは水気が飛んでるんで、割と保存が利くんです。この町に住んでいる人はみんな体を鍛えるのを目的としてますから、新鮮なお肉や野菜が割と安価で手に入りますし……なんで、見た目の割りには簡単でお安いんですよ? ふふっ」
「そうなのか。いや、実に素晴らしい」
モリモリ食べるニックを見て、ヤバスティーナはニコニコと笑う。食後には約束通り肉草を使ったお茶を出され、ニックは満足げに微笑みながら腹をさすった。
「いやぁ、堪能した! 何度も言っているが、本当に美味かったぞ」
「お粗末様でした。喜んでいただけたなら私も嬉しいです」
「ああ、これだけ美味い飯を馳走になれるなら、あんな賊など幾らでも殴り飛ばしてやろう」
「まぁ! ニックさんったら」
ニヤリと笑うニックに、ヤバスティーナが照れたように笑う。見た目のゴツさとは乖離したその可愛らしい様子に、ニックは更に上機嫌で言葉を続ける。
「しかし、これだけ美味い飯が出るなら、お主と結婚する男は幸せであろうなぁ。この町の人間であるなら食べ過ぎて太るなどという心配は無いのかも知れんが」
「……………………」
「ん? どうした? あー、ひょっとして何か悪い事を言ったであろうか?」
突然無言になって表情を曇らせたヤバスティーナに、ニックは心配そうに声をかける。だがそんなニックに、ヤバスティーナは寂しげに首を横に振って答えた。
「いえ、そういうんじゃないんです。ただ、その……ほら、私ってこんな体つきでしょう? だから私を女として見てくれる人ってあんまりいなくて……」
「そうなのか? 確かに体がでかいのはそうだろうが、こうして話せば愛嬌のある娘だと思うが……」
「っ……本当に、そう思います?」
テーブルに鼻が付きそうな程に上半身を倒して俯いていたヤバスティーナが、そのままの姿勢で顔だけを上げて上目遣いにニックを見る。それは体の大きなヤバスティーナが何とか相手を見下さないようにするために身につけた動作だったが、そんなことをせずとも彼女の上にあるニックの顔は、これ以上無いほどにニッコリと笑っている。
「無論だ。それともお主の目には、儂が無理をして作り笑いをしているように見えたのか?」
「いえ、そんなことは! ない、です……」
「ははは、ならばそういうことだ。他の者がどう思うかまでは言えんが、少なくとも儂から見ればお主は可愛らしいお嬢さんだぞ?」
「お、お嬢さん!?」
バッと上半身を起こし、ヤバスティーナが驚く。まさか自分に向けられた言葉とは思えず、その響きを何度も何度も頭の中で繰り返し……
「あ、ありがとうございます……」
真っ赤になった顔を両手で覆い、ヤバスティーナは蚊の鳴くような小さな声でなんとかそう呟いた。