帝国宰相、牙を剥く
「うわぁ、これは何て言うか……ちょっと怖いね」
帝城のバルコニー。眼下に並ぶ帝国軍の兵士達を一望した皇帝マルデのその言葉を、宰相カゲカラは内心の嘲りを隠して優しく諭した。
「陛下、そのようなことを言ってはなりません。彼らは皆我が国の為にこれより命がけの出兵をするのですから」
「あ、そうか。そうだよね、ごめんごめん」
(まったく、この壮観な光景を前にして、言うに事欠いて怖いとは……私が手ずから仕立て上げたとはいえ、見るに堪えない小物ぶりだな)
及び腰のまま階下に手を振りヘラヘラと笑う皇帝の姿はあまりにも情けなく、これから世界の覇王となる予定の男としては覇気のなさが致命的にすら感じる。
(……流石に少々やり過ぎだったか? 表向きだけでももう少し威厳を身につけさせねば、傀儡にすら使えぬか。事が成った暁には、その辺の対処ももう少し考えねばならんな)
「では、陛下。私は将兵達との最後の打ち合わせがありますので、陛下はこちらで演説の練習をなさっていてください」
「わ、わかった。大丈夫、うまくやるさ! 大丈夫、ダイジョウブ……」
「宜しくお願い致します。では失礼致します」
若干顔色の悪い皇帝に形ばかりの頭を下げて、カゲカラはその場を後にし会議室まで歩いて行く。そうして部屋に入れば自らの手で選りすぐった兵士達が一斉に起立し、カゲカラに対して最敬礼を取った。
「よい、楽にせよ。いよいよだ。いよいよこの時が来た……我ら帝国が人の世界の覇者となる、その第一歩の日がな」
まるで上等なワインを味わうようにゆったりとした口調で話すカゲカラに、兵士達は何も言わない。無言でカゲカラを見つめる瞳に宿っているのは、狂気にも似た忠誠心だけだ。
「城の中庭には、今も正規軍が整列している。表向きはあれが主力であるが……あえて言おう、あんなものは飾りだ。お前達が、お前達こそが我らの主力にして切り札。その事を改めて自覚するのだ」
「閣下のご期待に、必ずや応えてみせます」
カゲカラの言葉に、全員を代表するかのように兵士の一人がそう答える。それに満足したカゲカラが着席し、次いで兵士達も全員が席に着いた。
「では、改めて作戦を説明しよう。帝国軍に先行し、お前達はそれぞれの部隊で進行方向にある町や村に潜入し、そこに駐在している戦力を削ってもらうことになる。
お前達に与えた魔導鎧の力は絶大だ。流石に一〇〇倍の数の敵を倒すことはできないだろうが、敵が大規模な部隊を展開できない場所であればお前達の優位性は絶対だ。そうして敵戦力を殲滅したなら、現地にて水や食料を調達し、更に進軍せよ。
その際、向こうから仕掛けられない限り冒険者ギルドにだけは手を出すな。あれを敵に回すと魔導鎧の動力である魔石の入手に滞りが出るからな。潰すのは最後だ」
カゲカラが兵士達を見回せば、全員が神妙な顔で頷いてみせる。幾度となく繰り返した説明ではあるが、それを聞き流すような不届き者はこの場には一人もいない。
「敵のいなくなった町は遅れてやってきた帝国軍が占領していく。それを数度繰り返せば、敵は帝国軍を止めるために大規模な部隊を編成し、配置するはずだ。
それこそが好機。敵の主力部隊を完全に迂回し、お前達はそのまま敵の城に乗り込んで王を捕らえよ。魔導鎧の力によって全員が英雄となったお前達だからこそ、数の利を生かせない狭い城内での戦闘はお前達の独壇場だ。必ずややり遂げてくれると信じている」
「一命に代えましても、宰相様のご期待に応えてみせます」
「うむ」
兵士の言葉に満足げに頷くと、カゲカラは悠然と席を立つ。そうして今一度最敬礼する兵士達の忠誠を背に受けながら自らの部屋へと戻っていくと、そこには見知った顔の人物が一人立っていたが、カゲカラは声をかけることもなく立派な椅子へと腰掛ける。
「で、ウラカラよ。首尾はどうなっている?」
「周辺諸国で付き合いのある貴族の方には話がついております。事が起これば軽くひと当てするくらいで軍を引いてくれることでしょう。これにより戦力を削った町に再度まともな敵戦力が配置されるまでにはかなりの時間を要することになると思います」
「そうか。見返りに与える物は、きちんと厳選しているな?」
「はい。彼らには一式の魔導鎧を提供しております」
一式魔導鎧は、かつてゴーダッツ王国などに引き渡した未完成品とは違い、きちんと実用できるレベルにまで完成させた魔導鎧だ。とは言えその燃費にはまだまだ改善の余地があり、必要なときにのみ一〇〇人程度の部隊として運用するのが精々の性能だ。
「となれば、奴らは実戦で目にする帝国軍の魔導鎧を欲しがるだろうな」
「はい。ですので一式改は予備も含めて一〇〇〇着程は備蓄しております。ただこれ以上となると核になる魔石の購入が間に合いませんので……」
「そこは魔導鎧を欲しがる奴らに出させればよい。実際に戦場で活躍する様を見せつければ幾らでも持ってくるはずだ」
「承知致しました。それで、父上の専属部隊……二式魔導鎧を与えた者達は、もう出発されたのですか?」
「いや、先ほど激励してきたから、これからのはずだ。どうせ本隊の方は陛下の演説が終わるまで出ないのだから、それで十分だろう。あまり早すぎるのも問題だしな。ちなみに二式の方に例の機構はきちんと組み込んだのだな?」
「問題ありません。適当な罪人で実験しましたが、正常に稼働しておりました」
「そうか、ならばいい」
眉一つ動かさず報告するウラカラに、カゲカラもまた平然とそう答える。
二式魔導鎧は、現時点で量産できる最高の魔導鎧だ。だからこそその機密性は極めて高く、万に一つも敵の……それどころか味方の手にすら渡らせるわけにはいかない。
そのため、二式魔導鎧にはいくつかの機構が組み込まれており、そのなかには「機密保持のため着用者もろとも爆破する」という物騒なものも含まれている。
製造コストの高さを考えれば軽々に使える選択肢ではないが、敵に奪われるくらいならば破壊する方がずっとマシであるし、いざという時には着用者がそのまま兵器になるというのは大きな力だ。
勿論、それは着用者の確実な死という犠牲の上に成り立つものだが、そんな事をカゲカラは気にしない。それは先ほど自分に対して強い忠誠を向けてくれた者達とて例外ではなく、彼らは自分の着る魔導鎧に自爆装置がついていることなど知る由もない。
自分以外は、全て捨て駒。無駄に浪費するつもりはなくても、失う以上の利益が得られるならば躊躇無く切り捨てられる。カゲカラにとって世界は自分とそれ以外であり、そこには誰一人として例外はいなかった。
「ふふふ、もうすぐ世界が我が手に入る……まずは周辺の小国三つ。それを平らげたならば、その次は……」
そう呟きながら、カゲカラは壁の方へと視線を向ける。用心深いカゲカラの執務室に窓などというものは無いが、その視線の先にあるのは誰もが知る大国の一つ。
「何が勇者が旅立つ国だ。歴史であれば我がザッコス帝国とて決して劣るものではないというのに……だがまあ、それもあと少しだ。あの腹黒大臣がどういうわけだか失脚したおかげで、あの国には操りやすそうな王がそのまま残っている。あれを傀儡とし豊かな国土を手に入れられるならば、魔導鎧の更なる量産にも目処が立つ。
あと少し、本当にあと少しで全てが我がものに……ふふふふふ……」
駒の目など気にすることなく、カゲカラは静かにほくそ笑む。野望の男、その黒い炎が、その日遂に世界に牙を剥いた。





