父、裏事情を語る
「で? 説明はしてくれるのよね? オ・ジ・サ・マ?」
チェーンがニックに完全敗北してから、三日後。町にある一番高級な食堂の貸し切り個室には、張り付いた笑みを浮かべるチェーンと素知らぬ顔でお茶を飲むクローニン、そして苦笑する筋肉親父の姿があった。
「ははは、そう焦らずともよかろう。ほれ、せっかくの料理が冷めてしまうぞ?」
「うっさいわね! こっちは訳がわかんないことだらけでどうしていいかわかんないのよ! いいから早く説明しなさいよ!」
「わかったわかった。説明するから落ち着け」
ダンッと円卓に手を突いて立ち上がる小さくなったチェーンに、ニックは両手を前に突き出してそう告げる。
「ならば、まずは……そうだな。儂があの場にいた理由から話すか」
「フンッ! 聞いてあげるからさっさと……うわ、何これ滅茶苦茶美味しいわね……」
大人の手のひらほどもある見たことのない卵の味に感嘆しつつ、チェーンが聞く姿勢をとる。それを確認してニックはゆっくりと自分の事情を語り始めた。
「潜入捜査?」
「そうよ。この町にはとある貴族の別邸があってな。そこの坊ちゃんがちょっと前からこの町に滞在してるんだが、そいつがまあ好き放題やってくれてな。それが許容できる範囲を超えてるって、領主様が憤っておられるわけだ」
指名依頼の内容を聞いたニックに、ギルドマスターが苦々しい口調で言う。
「ふむん? そういうことなら普通に衛兵か、もしくはこのギルドに所属している腕利きでも送り込めばよいのではないか? 何故そんな事を儂に頼む?」
「いい質問だな。まず最初の答えだが、その坊ちゃんがやっていることってのが、仮に坊ちゃんが貴族じゃなかったとしても違法じゃねぇんだよ。だから衛兵は動かせねぇ。ましてや領主様が率先して『俺が気に入らないから捕まえる』なんてできるわけないだろ?」
「それはそうだな。というか、一体その坊ちゃんとやらは何をしでかしたのだ?」
「一生奉公……って言えばわかるか?」
ギルドマスターのその言葉に、ニックの眉がピクリと動く。かつて勇者パーティとして世界を回っているだけに、その言葉にはしっかりと聞き覚えがある。
「一生奉公は歴とした雇用契約だ。糞みたいなはした金だが、ちゃんと金も払ってる以上違法性は問えない。だが領主様としちゃあ自分の領地で人を……ましてや子供を買い上げるような行為、見逃せるはずがねぇだろ?
普通なら適当な罪をでっちあげてでも捕まえちまうんだが、どうも坊ちゃんの親……ペタンスキー男爵は厄介な人脈があるみたいでな。ま、その辺はお前さんには関係ないから割愛するが、とにかく坊ちゃんを捕まえるには、間違いなく坊ちゃんやペタンスキー男爵が関わってる犯罪の証拠が必要なんだってことだけわかってりゃいい」
そこで一旦言葉を切ると、ギルドマスターは机に置いた水差しからコップに水を注ぎ、一口飲む。本当なら酒を飲みたいところだったが、酔わねばできないような話であっても、酔って交渉をするわけにはいかない。
「で、ウチから人員を出せないのもそれが原因だ。こう言っちゃ何だが、坊ちゃんの護衛なんてよっぽど食いつめた奴かごろつきまがいの奴以外じゃ受けない依頼だ。そんなところにウチでまっとうに仕事してる冒険者を送り込むとか、疑ってくださいと言ってるようなもんだろ?
だからこそお前さんみたいな外部の人間が必要になる。ウチとの関わりがない、腕の立つ冒険者がな」
「ふむ。言いたいことはわかったが……ならばこそ疑問も残る。何故そんな重要な仕事を会ったばかりの儂に任せる? 儂が裏切ったり情報を売ったりするとは思わないのか?」
「ハッ! 勿論そんなこたぁ計算済みだ。だから今回の指名依頼は、あくまでも非正規の依頼ってことにしてもらう。お前さんが坊ちゃんのところで何か問題を起こしてもウチは知らぬ存ぜぬを決め込ませてもらうし、報酬も全額後払いだ。
俺達が坊ちゃんを疎ましく思ってることなんて周知の事実だからお前さんが売れるような情報は無いし、裏切って偽の情報を流してきたとしてもこっちは確証がとれるまで絶対に動かねぇ。その結果坊ちゃんの不興を買ってお前さんが酷い目にあったとしても、ウチには関係ないからな」
「随分な依頼だな……そんなもの儂が受ける理由があるか?」
あまりにも酷すぎるその依頼条件は、受ける側からすらば「ふざけるな」と怒鳴りたくなるような内容だ。まともな冒険者であればこれを受ける者は皆無だろう。
そして、そんなことは当然提案しているギルドマスターにもわかっている。だからこそ彼は傲岸不遜に声を上げて笑ってみせる。
「ガッハッハ! ねぇよそんなもん! 誰が好き好んで使い捨ての駒になんてなりたがる!? だが今の俺にできるのはこれだけ……精々腕利きだけを選んで、『使い捨て』になる確率を下げることだけなのさ。
あー、あとはお前さんが持ってきたファンキ・パンキーモンキーの尾の買い取り価格に色をつけてやるくらいか? そっちはすぐに払えるから、ある意味それが手付金ってところだな」
「無茶苦茶だな!? いや、だが……そうか。それほどに……」
こんな理不尽な依頼を持ちかけねばならないほどに、坊ちゃんとやらの行動が目に余るのだとしたら。その事実に思い立ったニックの顔を見て、ギルドマスターがそっと窓の方に視線を向けて呟く。
「お前さん、あの『厄介者』と仲良くやってるんだろ? あの嬢ちゃんも困ったもんだよなぁ。もうちょっとおしとやかになりゃ、あの腕だ。何処のパーティからだって引く手あまただろうになぁ」
「ん? ああ、確かにチェーンの物言いは辛辣だからな。だがアレはあの娘の持ち味であろう。儂は嫌いではないぞ?」
「そう、そこだよ。あの『厄介者』と宜しくやっていけるお前さんなら、こんな依頼でも受けてくれそうな気がしたんだよ。
お前さんにとって、この町は単なる通りすがりだろう。こんな糞みたいな条件を呑んで助けるような義理はないのはわかってる。だから断ってくれたって構わねぇんだ。むしろその方が普通だしな。
ただ、お前さんが……いつも仏頂面だったあの『厄介者』を笑顔にしてみせたお前さんが、この町の子供も同じように笑って過ごせるようにしたいと思ってくれるなら……
どうか、力を貸してくれ」
ギルドマスターが、大きな机に額をこすりつけて頭を下げた。その真摯な態度とそこに込められた想いは、元々子供好きなニックがその決断を下すに余りある理由となる。
「わかった。ならばこの依頼、鉄級冒険者のニックが請け負おう!」
「……ということがあったのだ」
「ふーん……」
ニックが話を終えると、茹でた海老の殻を剥いてむしゃむしゃと食べながらチェーンが気のない返事をする。プリッとした海老の身は濃厚な海の旨味を湛えており、五つあった海老はあっという間に口の中へと消えていく。
「それはまあ、わかったわよ。オッサンがあの糞貴族の護衛を引き受けたなんていうよりはよっぽど納得がいくし、そもそもアタシやクローニンがこうして無事にここにいるわけだしね。
でもねオッサン? アタシが聞きたいのはそういうことじゃないの。いや、気にならないわけじゃなかったけど、優先順位が違うの!」
ナプキンで口元を拭きながら、チェーンの紅玉の瞳がニックを睨み付ける。
「なんでアタシはこの姿に戻ってるのかしら?」
絶対に逃がさない。そんな強い力の込められた眼差しを受けて……
「さて、不思議だなー? 何故であろうなー?」
ニックはそっと視線を逸らしながら、鳴らない口笛をヒューヒューと吹いてみせた。