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父、叩く

「お待たせして申し訳ありませんでした。もう大丈夫です」


 押さえ込むように泣いていたのは、ほんの僅かな時間のみ。ニックが戻ると、そこには今まで通りに固い表情を浮かべたメーガネットが立っていた。とは言えその目元は赤く腫れており、悲しい現実を嫌と言うほど主張してくる。


「……もういいのか?」


「はい。今は仕事中ですから」


「そうか」


 責任を背負う大人の顔をしたメーガネットに、ニックは短くそう答えてからメーガネットの方へと歩み寄る。


「いつもつけていた単眼鏡(モノクル)は……」


「仕事中の不慮の事故ですから、仕方ありません」


 メーガネットの手の中には、未だ破損した単眼鏡の残骸が大事に握られている。


「……本当にすまなかった」


「ニック様のせいというわけではないのですし、本当にお気になさらないでください。それに冒険者の方であれば、愛用の装備が破損するなど珍しいことではないでしょう?」


「それはそうだが……ん?」


 と、そこで不意にニックの言葉が不自然に途切れること、三秒。


「すまぬメーガネット殿! 何だか急に催してきたので、ちょっと行ってくるぞ!」


「あ、はい。ごゆっくりどうぞ」


 何やら慌てた様子で早足に去って行くニックを見送りながら、メーガネットは内心呟く


(ニック様は随分と厠が近いご様子ですね。やはり年齢的なものなのでしょうか? そう言えばお父さんも最近は割と頻繁に厠に立っていたような……)


「……フフッ」


 心底どうでもいいその考えに、メーガネットは思わず笑ってしまう。そのおかげで少しだけ気分が持ち直したことで、メーガネットは改めて手の中の単眼鏡の残骸に視線を落とした。


「……本当に、見る影もありませんね」


 落ち着いた今になって冷静に観察すると、その破損具合がよくわかる。この金属の残骸が単眼鏡だったことなど、持ち主であるメーガネット以外には推測もつかないことだろう。


「いい加減夢に見切りをつけろという、お祖父ちゃんからの言伝でしょうか? それとも……」


 残骸をキュッと握りしめると、メーガネットの脳裏にかつて後輩の受付嬢から言われた言葉が蘇ってくる。


『メーガネット先輩は印象がキツすぎるんです! 基本美人のはずなのに普段から無表情で何を考えてるかよくわからないですし、目つきも何だか睨んでいるみたいに見えますし……


 それに極めつけは、その単眼鏡(モノクル)! そんなゴッツイのつけてるから男の人が警戒して寄ってこないんですよ! お祖父さんの形見ってことでしたけど、今の先輩に必要なのは単眼鏡じゃなくて愛嬌です! 過去より未来! 孫の顔を見せてあげた方がお祖父さんだって絶対に喜びますって!』


 後輩のその言葉が、善意からのものだというのはメーガネットにも理解できる。自分には女性らしい可愛げが決定的に足りておらず、この単眼鏡を愛用することがそれに拍車をかけているというのもわかっている。


(でも、私はこれが好きだった。これを身につけている自分が好きだった……)


「我が儘、なんでしょうね。私ももう二六ですし、ありのままの自分を好いて欲しいなんて言っていられる年齢でもありません。父や母も安心させたいですし、これはこれでいい機会だったかも知れません」


 残骸の角が刺さったのか、握った手のひらがチクリと痛む。だがその痛みこそが「もう自分に頼るな」と祖父が言っているような気がして……


「待たせたなメーガネット殿!」


 と、そこで満面の笑みを浮かべたニックがメーガネットの元へと戻ってきた。


「お帰りなさいませニック様。ふぅ……では、試験の続きを――」


「待て待て、待ってくれ。その前にちょっとやっておきたいことがあるのだが」


「やっておきたいこと、ですか?」


 首を傾げるメーガネットに、ニックがニヤリと唇の端を釣り上げる。


「そうだ。ついてはメーガネット殿。お主の持っているその壊れた単眼鏡を借りてもいいだろうか?」


「これを、ですか? ……わかりました、どうぞ」


 ほんの僅かに逡巡してから、メーガネットは単眼鏡の残骸をニックに手渡す。手のひらからこぼれ落ちた重さが単眼鏡との本当の別れのように感じられ、思わず伸びそうになった手をメーガネットはグッと堪える。


「ありがとう。ではこれを……ぬぅ、適当な台座がないな。ならば……これでいいか」


 そんなことを呟きながら、ニックが肩にかけた鞄から底の平らな鍋を取り出し、それをひっくり返して地面に置く。更にその鍋の上にメーガネットから借りた単眼鏡の残骸を置き……


「ニック様、何を!?」


 腕を振り上げたニックが手にしているのは、鍛冶屋が使うような金槌。黄金の輝きを発するそれを、ニックが大きく振りかぶる。


「ふふふ、まあ見ているがいい。さあ、いくぞ! 力を示せ、『王の金槌』!」


「やめ――」


キィィィィィィィン――


 振り下ろされた金槌が高く澄んだ音を響かせ、メーガネットの視界が眩いばかりの黄金の光に包まれる。


(そんな……でも、これで……)


「おぉう、思ったよりも眩しかったな。大丈夫かメーガネット殿?」


「はい……あの、今のは一体……?」


「どうやら上手くいったようだな……ほれ」


「……………………え!?」


 ニックが手渡してきたのは、ニックの剛力により跡形も無く潰れ果てた金属片……ではない。そこには如何なる理屈か、壊れる前の単眼鏡が寸分違わぬ姿で存在していた。


「直ってる……!? ニック様、これは!?」


「以前に古代遺跡で『壊れた魔法道具を修理することができる』魔法道具というのを手に入れたことがあってな。今回もそれを使ってみたのだ」


「凄い! そんな奇跡みたいな魔法道具があるなんて!」


「ああ、まさに奇跡だな。もっともこれで奇跡は打ち止めのようだが」


「それは……ああっ!」


 苦笑するニックの手を見れば、そこに握られていた金槌から黄金の光が消えている。輝く黄金から曇った黄銅に成り下がった金槌からは、先ほどまでの神々しい力は一片も感じられない。


「そんな貴重な魔法道具を、こんなもののために使うなんて!?」


「何を言うか! 『こんなもの』ではないだろう?」


「『こんなもの』です! 私の祖父は高名な技師だったわけでもなければ、この単眼鏡の能力が特別に優れているわけでもありません! それなりの腕の魔法道具技師のところに行けば、開発費を含めても銀貨一〇枚もかからず似たようなものは作ってもらえたはずです!


 それを、その程度のものを、金貨を何万枚積んでも手に入らないような魔法道具を消費して直すなんて……」


 激しく取り乱してニックに食ってかかるメーガネット。だがニックはそんな彼女の肩にそっと手を置くと、まっすぐにメーガネットの目を見つめて話す。


「いいのだ。確かにその単眼鏡と同等の魔法道具はきっと手に入れようと思えば手に入るのだろう。だがお主の祖父殿が作った単眼鏡は、その一つしかない。


 そこに込められた想いは、金貨をどれだけ積んだとしても再現などできるはずがないのだ」


「っ…………」


「さあ、メーガネット殿。早速それをつけてみてくれ」


 ニックに言われ、メーガネットは改めて手渡された単眼鏡を指で摘まむ。長年の使用でついたかすり傷すら同じそれは、まるで失った体の一部が戻ってきたかのようにピッタリとメーガネットの左目に収まった。


「うむ、大丈夫そうだな。よく似合っているぞ。勿論素顔も悪くはなかったが、やはりお主は単眼鏡をつけていた方が美人だな」


「美人!? 私が、ですか!?」


「ああ。単眼鏡越しに見える瞳が、まるで海に浮かぶ星のようだ」


「あっ……」


 ニッコリと笑うニックの言葉に、メーガネットの目から涙がこぼれそうになる。反射的にそれを拭おうとして、メーガネットの指先がコツリと単眼鏡に触れた。


(……うん、そうだねお祖父ちゃん。ここは泣くところじゃないよね)


「ありがとうございます、ニック様。貴方に心からの感謝を」


 深々と頭をさげて、メーガネットが言う。その後顔をあげたとき、ずれた単眼鏡をクイッと直せば――


「ははは、なに。その顔を見られたのならば、安いものだ」


 ニックの目の前には、奇跡の光よりなお眩しいメーガネットの笑顔が輝いていた。

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