眼鏡嬢、想いを語る
「お主、魔法道具が好きなのか?」
そんなこんなで無事に夕食を終え、就寝前の一時。何気なく交わされる雑談のなかで、ニックはふとメーガネットにそう問いかけた。
「そう、ですね。割と好きだと思います」
そんなニックの言葉に、メーガネットはパチパチと燃えるたき火を見つめながら答える。少々楽しみすぎたせいでお腹がきついせいか、メーガネットの心の鍵はいつもより少しだけ緩んでいた。
「割と、なぁ……やはり魔法道具の技師だったという祖父殿の影響か?」
あの変わり様を見れば「割と」どころではないのは明らかだったが、そんな事をニックは突っ込んだりしない。たき火に小枝を投げ込むように、優しくそっと語りかける。
「はい。祖父は……私の憧れの人でした」
そんな要因が重なったせいか、メーガネットは揺れる炎の向こうに懐かしい光景を思い浮かべる。それは彼女がずっとずっと幼い頃の、大切な思い出だった――
幼い頃から、メーガネットは感情をあまり表に出さない子供だった。それは大人からすると「愛想の無い子供だなぁ」と苦笑される程度のものだったが、同世代の子供達とはあまり馴染めず、子供の頃のメーガネットは微妙に孤立気味だった。
そんな彼女が唯一強い興味を示し、足繁く通っていたのが魔法道具の技師であった祖父の工房だ。音を覚える石ころ、時を告げる風見鶏、眩く光る水晶玉に、くねくねと踊る謎の針金人間。そこには数限りない不思議が転がっており、それを目にする度にメーガネットの心は子供らしい好奇心で沸き立つ。
「ははは、メーガネットは本当に魔法道具が好きだねぇ」
「はい、おじいちゃま。わたしはまほーどうぐがだいすきです」
幼いメーガネットに、白い口ひげをタップリ生やした祖父が優しく語りかける。「子供が仕事場にいるのは邪魔じゃないか」と心配した息子に対し、「孫に見られて張り切らない祖父などいるはずがないだろうが!」と一喝して以降、頻繁に訪れる孫との会話は老人の何よりの楽しみになっていた。
「一体何がそんなに好きなんだい?」
「だって、すごくふしぎです! なんでこのたまはひかるんですか? ひがもえてないのに、ぴかっとしています!」
「それは水晶内部に光を生む……あー、この溝を決まった形に彫って、その中に魔力を……ワシの言っていることはわかるかい?」
「ぜんぜんわかりません! でもすごくふしぎなのはわかりました!」
「そうかそうか。そうだねぇ。魔法道具は凄く不思議なんだ。なあメーガネットや。お前が大きくなったなら、お祖父ちゃんと一緒に魔法道具を作ってくれるかい?」
「わたしにもつくれますか!?」
「ああ、きっと作れるとも」
「ならつくります! すごくふしぎなのを、わたしもいっぱいつくります!」
キラキラと目を輝かせて言うメーガネットの頭を、祖父が優しく撫でてくれる。それは幼き日の無邪気な約束で……それが果たされることはなかった。何故ならメーガネットには、魔法道具の技師として必要不可欠な魔力視、魔力感知の才能がまるでなかったからだ。
勿論、それだけが原因であれば今現在のメーガネットが身につけている単眼鏡のように道具で補うということもできる。もしメーガネットに類い希なる才能があれば、足りない部分を道具で補い技師になるという未来もあっただろう。
だが、メーガネットの魔法道具技師としての才能はごく平凡なものであった。特別優れた才能があるわけでもないのに道具で補助してまで技師を目指すのはあまり現実的ではなく、結果としてメーガネットは他の道……冒険者ギルドへの就職を選ぶことになった。
「冒険者ギルドへの就職は、祖父も諸手を挙げて歓迎してくれました。なにせ冒険者ギルドの受付嬢は競争倍率の高い人気職ですからね。もっとも、祖父の顔に少しだけ寂しそうな影があったことは否めませんが……」
「そうか……ちなみにその魔法道具の工房? とやらはどうしたのだ?」
「建物そのものは父が継ぎましたが、父も魔法道具の技師としての才能には恵まれなかったらしく、祖父が引退する少し前から徐々に魔法道具の取り扱いを減らし、今では普通の雑貨屋になっています。このまま何事もなければ、次は弟が店を継ぐことになるかと」
「なるほど。全てではなくとも、きちんと受け継がれているものはあるということか。それならば祖父殿も安心して逝ったであろう」
「はい。死に顔は安らかなものでした」
そう言いながら、メーガネットはそっと単眼鏡に指を這わせる。その表情こそ動かないが、纏う雰囲気には何処か憂いが感じられる。
「……跡を継いで技師とならなかったことを、後悔したことはないか?」
「ない……と言えば嘘になりますね。ですが現実問題として、特に才能があるわけでもない私が無理に技師になったとしても、とても大成はできなかったでしょう。今の半分の収入どころか、建物の維持費すら払えずに破産していたかも知れません。そう考えれば今の選択が一番であったと自負しております。それに……」
ずっと撫でていた単眼鏡を外し、メーガネットがそれを手の中に握り込む。
「大事なものは、ちゃんとここにありますから。私がこの手で守れるものは、このくらいが分相応なのだと思っております」
ほんの少し、メーガネットの口角が上がる。それはニックをして護衛としてメーガネットを注視しているからこそ気づける程度の変化でしかないが、そこに感じられる気持ちは目の前のたき火よりなお強くニックの胸を温めてくれる。
「ふむ。お主がそのような顔をするのであれば、他人の儂が言えるようなことはなにもないな。祖父殿の形見、大事にするといい」
「ありがとうございます」
微笑むニックに素っ気ない口調でメーガネットが答え、外していた単眼鏡をそのまま懐にしまい込む。
「さて、そろそろ夜も更けて参りましたから、私は休ませてもらおうと思いますが」
「わかった。ではその毛皮を使ってくれ」
「…………ニック様がお出しになった時から気になっていたのですが、本当にこれを使うんですね」
メーガネットが呆れと困惑の入り交じった視線を向けるのは、かつてムーナにも似たような反応をされたニック愛用の毛皮だ。夜空を流れる川のようだと称される艶めく黒の毛皮は伝説にすらその名を残す巨大な熊の魔物のもので、これにくるまれば雪山どころか氷の大地ですら汗をかけるほどの保温性能に加え、なまなかな名剣程度では貫けぬ防刃性や火竜の吐息すら無効化する耐火性など、その性能は計り知れない。
ただしニックにとっては肌触りのいい毛皮でしかないし、メーガネットからしても「何だかやたら高そうな毛皮」というくらいの認識にしか至れない。もし万が一これの真の価値をメーガネットが知ったならば、恐れ多くて指一本すら触れることができなかっただろう。
「あー、まあ儂が普段使っているもの故、多少臭いや汚れなどはあるかも知れんが、そこは我慢してくれ」
「いえ、そういうことではなく……まあ、はい。ニック様のことは段々わかってきましたので、ありがたく使わせていただきます……うわぁ……」
ぺこりと一礼してからメーガネットが毛皮にくるまると、その蕩けるような肌触りに思わず声を漏らしてしまう。そのまま彼女が横になるのを確認すると、ニックはメーガネットやたき火に背を向けるように向き直って見張りを始めた。
『ん? 何故護衛対象に背を向けたのだ?』
(ああ。いや、以前ムーナに「女の寝顔は見るものじゃないわぁ」と言われてなぁ)
『なるほど。まあ貴様であれば何処を向いていようと関係ないのだろうしな』
(そういうことだ)
ここに来て細やかな気遣いを見せるニックに、オーゼンが少しだけ感心したような声を出す。だが気遣われた方のメーガネットはと言うと……
(護衛対象に背を向けるとは……これはまた減点ですね。薬草採取で助力を使ったうえに、食事の際の減点も合わせると、このままでは……)
ニックの人柄に多少なりとも触れてはいるが、それはそれ、これはこれ。あくまで厳格に採点していくメーガネットに対し、ニックの気遣いはことごとく裏目に出続けていた。