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父、視線を逸らす

「失礼致しました」


 おおよそ五分ほど魔法の鞄(ストレージバッグ)を愛でていたメーガネットだったが、唐突に正気を取り戻すと真面目な顔でニックにそう告げる。ただしやたらとクイクイ単眼鏡(モノクル)を動かす指先はどこか忙しなく、表情とは裏腹に顔の方は耳まで赤くなっている。


「ふふ、満足したというのならば、そろそろ野営先を探すことにしよう。森の中であれば何処でもいいのだな?」


「はい。ただしあまりに街道から近すぎる場所は試験になりませんので、あくまでこの森の中ということでお願いします」


「わかった。では行くとしよう」


 しっかりと背後からメーガネットが着いてくることを確認しつつ、ニックは森の中を進んでいく。サイッショではほぼずっと王城に滞在していたためこの辺の地理には明るくなかったが、とは言え所詮は銅級冒険者が訪れるような森。特に難所や複雑な地形があったりするわけでもないので、程なくしてニックはちょうどよさそうな木々の間を野営場所と選定した。


「うむ、このくらい場所があれば十分だな。ここにしよう。メーガネット殿も問題ないか?」


「はい。ここならば特に問題はありません」


「では早速準備にかかるか」


 メーガネットの答えに、ニックは魔法の鞄(ストレージバッグ)から色々と野営道具を取り出していく。なお、ここでメーガネットが言った「問題ない」とは「試験で認める範囲の外ではない」という意味で、「ここが野営地点として優れている」という意味ではない。実際メーガネットは周囲を見回し、冷静に頭の中で採点をしていく。


(獣道などではなく、あくまでも木々の間。周囲の視認性はよくないですが、逆に言えば周囲から見つかりづらいということでもあります。ただニック様と私が寝るにしては少々手狭な印象がありますが……それは今後の展開で判断しましょう)


 昇級試験の試験官としての思考が、メーガネットの頭の中を駆け抜けていく。だがそんな冷静さをあっさりと突き崩すようなそれ(・・)が、メーガネットの前に突如として現れる。


「に、に、ニック様!? それ、それは! それはひょっとして……!?」


「ん? ああ、これか? これは勿論魔法の肉焼き器だが……」


「魔法の肉焼き器!?」


 メーガネットが残像が見えるほどの早さで単眼鏡をクイクイと動かしながら、まるで瞬間移動のような動きでニックが設置した魔法の肉焼き器に迫る。


「これがあの幻の……まさか実物を目にする日が来るなんて……」


「いや、珍しくはあるがそこまでではあるまい? 魔法の鞄(ストレージバッグ)と違ってこちらは買えるのだしな」


「確かに魔法の肉焼き器は現在も魔法都市マジス・ゴイジャンで作られておりますが、当然ながらその製法は門外不出となっており、外部の者が知る方法はありません。


 それに魔法の肉焼き器は基本的に野営具なので、町中で仕事をしている私達には下手をすると魔法の鞄(ストレージバッグ)より見る機会がないもので……まあ私はどちらも今日が初めてでしたが」


「そうか。言われてみると確かにそうかも知れんな」


 世に出回っている数は、それこそ魔法の鞄(ストレージバッグ)の方が圧倒的に少ない。だがそちらは町中でも普通に所持しているのに対し、魔法の肉焼き器を町中で広げるような者はまずいない。これを勝ち取った肉祭りのように特別な行事でもなければ、町中でいきなり肉を焼き出したりしたら流石に衛兵に捕まってしまうだろう。


「あの、ニック様? 先ほどに続いて非常に不躾なお願いなのですが……」


 と、そこでメーガネットが若干視線を逸らしつつ声をかけてくる。それは自分の役割と欲望の葛藤の表れであり、メーガネットが何を求めているか理解しているニックはニヤリと笑って答えを先読みする。


「ああ、いいぞ。流石にまだ時間が早いが、夕食時になったならば肉を焼くのはメーガネット殿にお願い……ん? 先ほどの説明からすると、それをしてはいかんのだったか?」


「あっ!?」


 自分の言ったこと……「食事の準備などはニックがしなければならない」という試験の規定を思い出し、メーガネットが思わず声をあげる。一瞬にしてその顔から色が抜け落ち、まるで地獄の底から響いてきたような冷たい声でニックの問いに答える。


「そう、ですね。私が調理を手伝うことはできません。規則ですので」


「そうか。それは残念だったな」


「……規則ですので」


 石像のような見た目から魔物へと変じるガーゴイルという魔物とは逆に、まるで人から石像へと変じてしまったかのように固く冷たい態度をとるメーガネットに、ニックはなんとも言えない苦笑を返す。その後は滞りなく野営の準備は整い、いよいよ夕食という段になると、ニックは微動だにせずジッとこちらを見つめ続けるメーガネットをそのままに、徐に魔法の肉焼き器にて肉を焼き始めた。


「ふんふふん、ふふふ、ふんふふーん…………ここだっ!」


 軽快な音楽の流れを見切り、ニックがここぞとばかりに焼けた肉を持ち上げる。ついさっきまで生肉だったはずのそれは見事なまでにこんがり焼き上がり、辺りにえもいわれぬ香ばしい匂いが漂う。


「よーし、いい出来だ! さ、メーガネット殿」


「……いただきます」


 あれ以来全く表情を変えなくなったメーガネットが、一度だけ単眼鏡をクイッと動かしてから受け取った肉に齧り付く。


「……美味しい」


「であろう? やはり魔法の肉焼き器は素晴らしいな! では次々焼いていくとしよう!」


「……あの、ニック様? 老婆心ながら申し上げますが、流石にこれは多すぎるのでは?」


 楽しげなニックを尻目に、メーガネットがそう告げる。今ニック達の目の前にはどう考えても二人では食べきれないほどの肉が山と積まれており、その正確な量はメーガネットにもよくわからない。


「そうか? このくらいは食えると思うが……確かに一度にこれだけだすと、一体残りがどれだけあるのか全然! まったく! これっぽっちも把握できんな! ガッハッハ!」


「はぁ……」


 高笑いするニックに、メーガネットは若干呆れたような声を出す。


(食料の管理がまともにできないのは、大きな減点対象ですね)


 魔法の鞄(ストレージバッグ)があれば問題ではないとしても、これはあくまで昇級試験。減点対象となるような行為を見逃すわけにはいかず、メーガネットは内心で冷静にニックの評価を少し下げる。


「では……っと、すまぬ。ちょいと催してしまったようだ。儂は用を足してくるから、少しこの場を任せても大丈夫か?」


「私が護衛対象であることを忘れなければ、問題ありません」


「わかった。では行ってくる……あー、そうだ。ここだけの話なのだが、実は儂は意外と恥ずかしがり屋でな。用を足す音が他人に聞こえたりすると我慢ならぬから、割と大きめに鼻歌を歌いながらそういうことをしたりするのだ。


 そのせいでこの場で何かあったとしてもこれまた何一つ気づかない可能性があるので、注意してくれ! ではな!」


 いきなりそんな事を言うと、ニックが立ち上がってこの場を去って行く。そうして後に残されたメーガネットは、そんなニックに更なる冷たい視線を向ける。


(生理現象はどうしようもありませんが、護衛対象に何かあっても気づかないから注意してくれなど、あまりにも酷い。これは大幅な減点を……?)


 と、そこでメーガネットの頭の中に、不意に一つの考えが閃く。


 幾つあるのかわからない肉……つまり、一つや二つ減っても気づかないということ。


 何があっても気づかない……つまり、何をしても気づかれないということ。


(ひょっとして、わざと……? 私に、この魔法の肉焼き器を使う機会をくれた?)


 たき火を挟んだ向こう側、揺らめく炎の奥で巨大な体を揺らすニックは、何やら楽しげに鼻歌を口ずさんでいる。男の小用ならばすぐに戻ってきそうなものなのに、その巨体はいつまでたってもこちらに振り返る様子をみせない。


「……………………」


 クイッと単眼鏡を動かしたメーガネットが、そっとその指を魔法の肉焼き器にかける。憧れだったハンドルをそっと握り、力を込めると……


「動いた……」


 流れ始めた軽快な音楽は、ニックが回した時よりも何処か優しく聞こえる。それに合わせてずっとずっと石のように固まっていた表情がほころんでいき……


「ここっ!」


 タイミングを見計らって持ち上げた肉は、ごく普通にこんがり焼けている。先ほど口にした肉の方が素晴らしい焼け具合だったというのに、手ずから焼いた肉の味はさっきよりもずっと美味しい。


「次はもっと……っ!」


 新たな肉をセットして、メーガネットの手が魔法の肉焼き器のハンドルを回す。こうしてニックの長い小用は、石像のようだった乙女の単眼鏡が脂でテカテカになるまで続くのだった。

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