父、気を遣う
『まったく、我があのような不正行為に手を貸す羽目になるとは……』
「人聞きの悪いことを言うなオーゼン! メーガネット殿も問題ないと言っていたではないか!」
究極の難関である薬草採取の試験を無事に乗り越えたニック。その身は次なる試験のために、一人森の中にあった。
『それはそうかも知れんが……偉大なるアトラガルドの至宝である我をたかだか薬草を探すためだけに使ったのは、後にも先にも貴様だけだぞ、まったく。まったく!』
「そう拗ねるなオーゼン。しかし魔力を視るというあの単眼鏡は便利であったな……ふむ、空いている王能百式で似たような力を発現すべきであろうか?」
そんなニックの周囲には、先ほどから大量の魔物が群がっている。メーガネットが用意していた血袋の中身を周囲に振りまいた結果、その臭いに釣られたゴブリンやグレイウルフなどが次々とやってきていたからだ。
『む? その機能自体は何の問題も無く発現できるであろうが、無駄ではないか? 貴様が魔力を感知できないことによって不便を感じたのは、結局薬草採取の時だけであろう?』
「あー、言われてみればそうか。確かにそう考えると勿体ないな」
だが、そんな状況にあってニックは気楽にオーゼンと雑談を続けている。この程度の魔物など幾万の波となって押し寄せてこようともニックの脅威にはなり得ないのだから、むしろ当然だ。
「であれば、空きの二つはもう少し熟考することにしよう」
『うむ。それが賢明だな』
知らぬ者が見れば、増長と油断の塊のような戦闘風景。だが見る者が見ればそれがどれほどの高みにあるのかがわかる。そしてそんなニックを少し離れた所から見守るメーガネットは……
(なんて酷い戦い方でしょうか。集中力も散漫で、今一つ戦闘に身が入っていない……これは減点対象ですね)
気配や臭いなど、自分の存在を総合して薄くする効果のある魔法道具の布を頭から被りつつ、戦うニックの姿をメーガネットはそう評する。所詮は一介の受付嬢に過ぎないメーガネットでは、ニックの高みを理解することはかなわなかった。
(とは言え、魔物の殲滅速度には目を見張るものがありますね。増長するだけの実力はあるということですか……)
それでも、具体的に見える戦果を見誤ったりはしない。「先の失態の分を少しでも取り戻したい」という理由で本来ならパーティ用の方の血袋をニックが使ったため、その周囲には銅級冒険者一人が相手にするには多すぎるほどの魔物が集まってきている。
だが、その全てをニックは軽々と屠っていく。その実力は鉄級冒険者に昇級するに相応しいもので、より強い魔物の群れを相手にも同じような戦果を出せるのであれば銀級にすら届くかも知れないと思わせる奮迅っぷりだ。
「ふむ、こんなところか。おーい、メーガネット殿! 終わったぞ!」
と、そこで向かってくる敵を全て倒し終わったニックが、声をあげながらメーガネットの方へと歩み寄ってくる。
「っ!? よく私のいる場所がわかりましたね?」
姿隠しの布を外しながら、メーガネットが軽く驚きの声をあげる。それほど強い効果の魔法道具というわけではないので目をこらせば十分に見つけられる程度の隠蔽力でしかないが、逆に言えばチラリと視界に入る程度で見破られるほどのものではないからだ。
「ん? そりゃわかるに決まっているではないか。だから敵を倒すのにもきちんと気を遣ったのだしな」
「気を遣った……?」
笑いながら言うニックの言葉に、メーガネットは不審げに単眼鏡をクイッと持ち上げつつ自分の周囲を見回し……そして気づいた事実に目を見開く。
「まさか、こちらに血しぶきが飛ばないように戦った、と?」
「うむ! 如何に試験官と言えども、魔物の返り血など浴びたくは無いだろうからな」
言われて改めて見返せば、メーガネットのいた方向にだけ不自然に魔物の血や肉片が飛んできていない。これが自分を背に庇い正面から攻めてくる魔物を倒していたというのならわかるが、ほぼ全周から襲ってくる魔物に対し、離れた場所で隠れていた自分に被害が及ばないように倒すなど、一体どれほどの技能があればできるのか。
「…………訂正します。ニック様は予想以上に優れた戦闘技術をお持ちのようですね」
「ハッハッハ。まあ、こっちが専門だからな! 薬草を集めるのに比べれば造作も無いわ!」
「そうですか。普通は逆なんですが……いえ、わかりました。ではこれにて戦闘の試験は終了とさせていただきます。まずは場所を移しましょう」
そう言うと、メーガネットはニックを連れ立ち更に森の中へと入っていく。そうして先ほどの戦闘場所から十分に離れたところで足を止め、改めてニックへと向き直った。
「では、こちらが最後の試験……護衛の試験となります。私を護衛対象としてここで一晩野営をしていただき、明日町まで無事に送り届けていただければ、そこで試験終了となります」
「ほう、護衛か」
「はい。鉄級からは護衛の依頼が含まれるようになりますので、これをこなせない方を鉄級冒険者に認定するわけにはいきませんので。
なお、この試験の最中私は護衛対象となりますので、基本何もしません。天幕の設置や食事の準備などは全てニック様にしていただきます。また魔物に襲われた場合などでも、ギリギリまで私は戦いません。逆に言えば、私が戦った時点で試験は失格となりますのでご了承ください」
メーガネットが提示したのは、やや厳しめの条件。通常ならば町の外を旅する以上「自分の事は自分でする」が基本なので、仮に護衛依頼を受けたとしても用意する準備は自分の分だけだ。
だが、依頼を受け、使われる側である冒険者には、時として必要以上を要求されることもある。ならば最初に厳しめの条件を達成させることで、依頼主との不和が生まれづらいようにするというのがこの試験の隠れた目的となっていた。
「一応確認しますが、野営道具は所持していますか?」
「ああ、問題ない」
そう返事をしたニックに、メーガネットはまずは合格と内心頷く。試験内容を事前に伝えていないため、ここで「何の準備もしていない」と答える冒険者もそれなりにいる。
だが、それは鉄級冒険者としては失格だ。いつでも帰れる安全な場所に出向くからと一晩過ごせる準備すら軽視するようでは、とても冒険者はやっていけない。
それこそ足でも怪我をすれば人は容易く動けなくなるのだから、自分自身にいつでも起こりうるその程度の想定外すら想定できない人間に、他人の命を任せる護衛などという仕事をさせるわけにはいかないのだ。
「では私はニック様の後をついていきますので、野営場所の選定からお願い致します」
「ふむ……あー、一つ聞きたいのだが、いいだろうか?」
「はい、なんでしょう?」
「儂は魔法の鞄を持っており、そこに食料やら何やらを大量に備蓄しているのだが、それを使うのは問題ないのか?」
「す、魔法の鞄ですか!?」
ニックの言葉に、メーガネットは本日最大の驚きを表す。思わずぽろっと落ちそうになった単眼鏡を咄嗟に指で押さえつつ、それを用いてニックが肩から提げている鞄をまじまじと見つめてしまった。
「それが、魔法の鞄……?」
「おう、そうだぞ。何だ、実物を見るのは初めてか?」
「え、ええ。まあ。そのような高価な品物を所持できる人物は身近におりませんでしたので」
生涯見ることが無いと思っていた物品を前に、メーガネットは一見何の変哲も無いくたびれた鞄を食い入るように見つめる。
魔法の鞄はその利便性から、圧倒的に高価な魔法道具だ。だが現代の技術では作り出すことができないため、古代遺跡から発掘された僅かな数しか存在は確認されていない。
「あの、失礼を承知でお願いするのですけれど、触ってみても宜しいでしょうか?」
「お、おぅ。構わんぞ」
「やった! ……コホン、失礼致しました。では、少しだけ……」
固かった表情をほんの一瞬少女のように輝かせてから、メーガネットがほっそりとした指先でそっとニックの鞄を撫でていく。気づけばドンドン前のめりになっている姿勢は鼻先と鞄が触れるか触れないかの辺りまで来ており、見方によってはニックの股間にメーガネットが顔を埋めているようにも見える。
『恐ろしいほどに犯罪的な絵面だな』
「な、なあメーガネット殿? もう少し離れてみてはどうだろうか? 何なら肩から外して手渡すぞ?」
「うふふ……これが魔法の鞄……魔法道具技師の夢……」
「メーガネット殿? 儂の話を聞いておるか!?」
「はぁぁ……素敵……」
今までの無表情さなど何処に行ったのかと思うほどにうっとりとした表情を浮かべるメーガネットに、ニックは心底困り顔をしてしばし呼びかけ続けることとなった。