父、裏技を使う
「あの……ニック様? ちょっと宜しいでしょうか?」
「……ん? 何だ?」
ニックの引き抜いた「ただの草」が三〇本を超えたところで、メーガネットが再びニックに声をかける。振り向いたニックの顔はまるで幽鬼のようにげっそりとしており、持ち前の精神力でメーガネットはかろうじて一歩下がるのを我慢した。
「このままですとらちが明きませんし、それ以上トゲトゲ草ばかりを引き抜かれると群生地への影響が無視できません。なので提案なのですが、試験官……つまりは私ですが、私に対する助力を要求するのはどうでしょうか?」
「うむん? どうと言われても……それはやってもいいことなのか?」
メーガネットの言葉に、ニックは思わず首を傾げる。試験中に試験官に助けを求めるような行為が許されるなど考えてもみなかったからだ。
「勿論大幅な減点対象となりますが、それでも未達成で失格となるよりはいいかと。以後の試験の内容によっては合格できる可能性も残りますので」
「そうか……わかった、ではそれを頼みたい」
メーガネットの提案に、ニックはほんの少しだけ考えてから頭を下げた。できないことをできないと認めるのは勇気の必要な行為だが、幸いにしてニックの体には筋肉が溢れんばかりに満ち満ちている。
ちなみに、本来この制度があるのはどうしてもパーティメンバーと一緒に試験を受けられなかった後衛職や、あるいは専門の荷物持ちを目指すような人物が戦闘の試験を補助してもらうためであり、薬草採取で補助を申請したのは、長い冒険者ギルドの歴史上でもニックが初めてのことであった。
「畏まりました。では、こちらをお使いください」
そう言うと、メーガネットは自身の左目につけていた単眼鏡を外してニックに手渡す。
「これは?」
「これは魔力を可視化する魔法道具です。使い方としては、左右どちらかの目……基本的には左目用ですので、左目につけるのがいいと思いますが……に装着し、ここの根元の部分の輪を動かすと水晶板を隔てた視界で魔力を視ることができるようになります。やってみてください」
「わかった。こうか?」
説明を受けたニックが、早速単眼鏡を目に装着して起動する。だがその段階では特にこれといった変化は見られない。
「……特に何の変化もないが?」
「魔力が見えるといっても、ごく微弱な効果しかありませんから。ですが、薬草程度なら十分に見分けられるはずです。お試しを」
「ふむ……お、おお? おおおおお!?」
言われてニックは地面に生えた薬草を凝視する。すると今まで全く同じにしか見えなかった薬草が、淡く青い光を纏っているものとそうでないものとに分かれて視える。
「これか!? この青いもやもやに包まれているのが……!?」
「一つ採取してみてください」
「うむ!」
丁寧に丁寧に、まるで宝石を扱うようにニックの太い指先が薬草を摘み取る。そうしてそれをメーガネットに見せれば……
「おめでとうございます。間違いなくトゲアリトゲナシトゲトゲ草……薬草です」
「いやったぁぁぁぁぁぁ!!!」
僅かに微笑むメーガネットに、ニックは渾身のガッツポーズを決めながら雄叫びをあげる。それはニックが初めて薬草採取に成功した瞬間であった。
「では、単眼鏡の方は回収させていただきます」
「ああっ!?」
そしてその喜びは、すぐに消え去ってしまう。グリフォンに獲物をかっさらわれた狼のような情けない声をあげるニックを余所に、メーガネットは取り戻した単眼鏡を自らの左目につけ直す。
「では、その一本を見本としてあと二〇本薬草を採取してください。それで試験は条件付き合格となります」
「ぐぬぅ…………」
助力はあくまで助力であり、それだけで試験が達成となるわけではない。見本を手に再び薬草群とにらみ合うニックだったが、実物が隣にあってもやはり見分けはつかない。
「なあメーガネット殿。その単眼鏡は如何なる由来のものであろうか? もしよければ売ってもらったりはできないか?」
「これですか? 申し訳ありませんが、これを手放すつもりはございません」
「そうか。まあ確かに便利な品物だしなぁ。何処かの町で売っているのか? それとも遺跡からの発掘品であろうか?」
眉をひそめて薬草を凝視しつつも会話を続けるニックに、メーガネットは少しだけ目つきを柔らかくしてそっと単眼鏡に指を添える。
「これは祖父からの贈り物なんです。実は私もニック様と同様魔力視が苦手でして、そんな私が冒険者ギルドに就職すると話したら、せめてこれくらいはと魔法道具の技師であった祖父が手ずから作ってくれたもので……」
「ほぅ、祖父殿からか! ということはその御仁に注文すれば、儂の分も作ってもらえるのだろうか?」
「それは……申し訳ありません。五年ほど前に、祖父は他界しておりまして」
「む……そうか。それは悪いことを聞いたな。すまぬ」
「いえ、お気になさらず。天寿を全うしたのですから、祖父も悔いを残したりはしていないでしょうし」
メーガネットの言葉……とりわけ「天寿を全うした」という言葉に、ニックはホッと胸をなで下ろす。だが同時に是非とも欲しい魔法道具の入手が不可能になってしまったことは純粋に残念だった。
優れた技術に金を払うことに、ニックは何の躊躇いもない。金貨の数百、あるいは数千枚だろうと出すつもりはあったが、大事そうに思い出を語る娘から祖父の形見を金で買いたたくなど外道の所業だ。そんなことをニックがするはずもない。
「しかし、そうなると……ん? なあメーガネット殿。今の行為で思ったのだが、課題達成に際して魔法道具の力を用いることで試験が失格になるようなことはあるのか?」
「いえ、ありません。どのような魔法道具であっても使用は自由です」
ニックの問いに、メーガネットはきっぱりとそう答える。魔法道具の力は持ち主の力であり、冒険者ギルドはそれを否定しない。でなければ魔法のランタンがあるのにわざわざ松明を片手に洞窟を潜ったり、魔剣があるのに木の枝で敵と戦ったりしなければならなくなってしまう。
ごく稀に「道具に頼る力など本人の力では無い」と主張する輩もいるが、今現在手にしている力を有効活用しない方がよほど間抜けであるというのがほぼ全ての冒険者の共通見解であった。
「そうかそうか! では……あー、すまぬが、ちょっと用を足してきていいだろうか?」
「構いません。ただし私の視界から消えるほど離れるのは禁止となります」
「わかった。ではちょっと失礼して……」
そう言うと、ニックがいそいそと森の方へと歩いて行く。そのままゴソゴソと体を動かして用事を済ませると、戻ってきたニックは満面の笑みで薬草の側にしゃがみ込んだ。
「さあ、集めるぞ! これと……これと……これか!」
「これは一体……!?」
妙に元気になったニックが、その宣言通り薬草だけを的確に引き抜いていく。まるでこれまでの苦悩が嘘だったかのようなその結果に、普段は表情をあまり動かさないメーガネットですら驚きで軽く目を見開いてしまう。
「ほれ、集め終わったぞ! きっちり二〇本だ!」
「……確認しました。確かに薬草のみ二〇本ですね。では、これにて最初の試験は終了となります」
「よーしよしよし! そうだな。やはりこういうのは協力してやらんとな!」
「? そうですね?」
ニックの発言の意図がわからず、メーガネットは軽く首を傾げる。なお、はしゃぐニックの手の中に不思議な水晶玉のようなものを見つけたが、メーガネットがその正体を知ることはなかった。