父、日常に戻る
「ふーむ。大した依頼は無いな……」
ワイバーン騒動からしばし。すっかり平穏を取り戻したアリキタリの町の冒険者ギルドにて、ニックは今日も張り出された依頼票を見て独りごちていた。
「せっかく冒険者になったのだから、もっとこう血湧き肉躍る依頼があっても良いと思うのだが……」
『貴様が興奮するような依頼が平然と張り出されるなど、どんな人外魔境なのだ。大人しく……ほれ、高難易度がお望みであれば、そこに薬草採取の依頼があるぞ?』
「ぐっ……それは儂が求めているのとは違う奴だ。ま、まあ今日はこの辺にしておくか」
『逃げたな』
オーゼンの皮肉を空とぼけ、ニックは一枚の依頼書を手にいつもの受付の所へ持っていく。
「おはようございますニックさん。本日はどのようなご用件ですか?」
「うむ、これを頼む」
「確認致します。えっと……フォレストウルフの毛皮五枚の納品ですね。フォレストウルフは五から七匹の群れを作るので、銅級冒険者であれば五人程度のパーティが推奨の依頼ですけど……まあニックさんには関係ないですよね」
「無論だ。何の問題も無い」
一応規則だからと苦笑いしながら問う受付嬢に、ニックは当然余裕の笑みで頷く。安物の革鎧程度なら噛みちぎるフォレストウルフの牙も、ニックからすれば子猫の甘噛みと大差ない。
「もうちょっと難易度の高い依頼を受けられればいいのだがな」
「規則ですから我慢して下さい。まあでもニックさんなら、来年になれば昇級は間違いなしじゃないですか?」
「だといいのだがな。では、手続きは問題無いか?」
「はい。それでは、気をつけていってらっしゃいませ」
丁寧に一礼する受付嬢に手を振って応え、ニックは冒険者ギルドを後にした。そうして門への道すがら、オーゼンがニックに話しかけてきた。
『おい貴様。来年とはどういうことだ?』
「ん? ああ、そう言えば説明してなかったか? 銅級から鉄級に上がるには、最低でも一年の活動実績が必要なのだ」
冒険者ギルドとは、旅から旅の根無し草のような冒険者の身分を保障する機関だ。だからこそ冒険者の昇級には実力だけではなく実績や信頼度なども重要視され、それを見るためにも最初の一年はどんな実力者でも……金枠は別だが……昇級することはないのだ。
『そうなのか。貴様ほどの規格外であれば飛び級で昇級したりしそうに思えたのだが』
「かつてはそういうこともあったらしいがな。だが考えてもみろ。飛び級など下位の冒険者にしか発生せぬのだから、それこそ今の儂のように強さ以外のことがわかっていない奴をいきなり銀級などにするということだぞ?
そいつがまともに仕事をこなすかもわからぬし、あるいは強さを笠に着て狼藉を働くような犯罪者まがいの者かも知れぬ。そんな奴にギルドが『銀級』という保証を与えたとなれば、冒険者ギルドの権威が失墜してしまうであろう。
級はあくまで能力の最低保障であり、『銅級とは思えないほど強い』はあっても問題無いが、『銀級とは思えないほど仕事ができない』は駄目なのだ」
『然もありなんだな。確かにそう考えれば貴様を飛び級させないことこそが冒険者ギルドが信頼に値する組織である証となるわけか』
「そういうことだ。さ、町を出るぞ」
そこでニックは一旦会話を打ち切り、正規の手続きを経て町の外へと出た。向かうのはいつもの森であり、迷う余地も無ければ脅威となる対象も無い。ニック的には近所に散歩に行くくらいの気持ちで森へと分け入ると、そこで先日知り合ったばかりの顔を見つけた。
「む? おお、ソーマ達ではないか」
「ニックさん! お久しぶりです!」
「いや、久しぶりって言う程でもなくね?」
「そうよね。でもこういう時何て言うのが丁度いいのかって、ちょっと迷うわよね」
「失礼だよベアル君、カリンちゃんも! えっと、どうもですニックさん」
「出たなオッサン! 今日こそ僕の魔法で焼いてやるからな!」
「ハッハッハ! 挑戦ならいつでも受けるが、流石にこの程度の日数でそこまで強くはならんであろう」
聞く人が聞けば殺人罪に問われそうなシュルクの言葉を、ニックは笑って受け流す。他のメンバーも苦笑しながら見ているが、これは勿論相手がニックだからだ。
「シュルク、お前オッチャンだからいいけど、他の人には絶対そんな事言うなよ?」
「馬鹿にしてるのかベアル! 僕がそんな常識の無いことをすると思ってるのか!?」
「いや、常識があったらニックさんにも言わないでしょ……ホント、シュルクは頭いいけと馬鹿よね」
「カリンにそんな事言われたくない!」
「もーっ、落ち着いてよ三人とも! ここ森の中だよ!?」
「ははは……すみませんニックさん。騒がしくしてしまって」
「ハッハ。元気があるのはいいことだが、町の外で警戒を切ってはいかんぞ? いつ何時魔物が襲ってくるかわからんからな」
「はい! ほら、みんないい加減にしろ! 今襲われたらどうするつもりなんだ!」
「ぐっ……わ、わかった。悪かったな」
「はーい。反省しまーす」
「だな。でもオッチャンがいると思うと、どうも緊張感が抜けちゃうんだよな」
「ニックさん、強いですもんね」
せっかく一度気を引き締めたというのに、やはりすぐに雑談を始めてしまうあたりまだまだソーマ達は駆け出しの新人ということだろう。そのやりとりに微笑ましいものを感じつつも、万が一を考えてもう一度重ねてニックが注意したことでやっと全員が大人しくなった。
「それで? お主達も依頼を受けてきたのか?」
「はい。今日の依頼はこの近くにあるゴブリンの巣穴の掃討です」
「巣穴……集落では無いのか?」
「はい。流石に集落は俺達の手には余るので……」
「その点巣穴なら入り口から火で炙って、出てきたところを次々叩いちゃえばいいものね」
「ああ。カリンの罠もあるし、シュルクの魔法もある。いざって時はホムの回復魔法もあるから、よっぽどのことがなきゃ大丈夫なはずだぜ!」
「そうか。きちんと自分達の実力を自覚し、そのうえで準備を整え戦略を練っているというのであれば、儂から言うことはないな。精々頑張るといい」
たかがゴブリンと侮り狭い巣穴に突撃して力押し……と言うことであれば止めようかと思ったニックだったが、ソーマ達の説明を聞いて納得する。無論それでも不測の事態は発生するものだが、そこまで言ってしまえば冒険者などできるものではない。
「儂もしばらくはこの森で狩りをしておるから、何か困ったことがあれば大声をあげるなり何なりするが良い。気づけば助けてやるからな」
「ご心配ありがとうございます。それじゃ、僕達は向こうなので……」
「うむ。頑張れよ!」
「おう! 任せとけオッチャン!」
「またね、ニックさん」
「失礼します」
「戦闘前じゃなければ……次! 次こそ焼くからな!」
最後までぶれないシュルクの言葉に苦笑しつつ、ニックはソーマ達を見送る。
『相変わらず賑やかな子供達だな。大丈夫なのだろうか?』
「あれならまあ、問題あるまい。巣穴の規模を聞かなかったが、集落を避けている以上無謀な数ということもないだろうからな」
『ならば良いが。では我らは我らの依頼を片付けるのか?』
「そうだな。では行くとするか」
ニックの力であれば、多少周囲に意識を向けておく程度でもこの森の中で助けを呼ぶ声を聞き逃すことなどあり得ない。そして森の中程度の距離などニックにはあってないようなものだ。見捨てるつもりは無いが過保護すぎては駄目だというのを身をもって学んだニックからすれば、このくらいが丁度いい妥協点だった。
「さーて、それでは軽く運動するとするか!」
『程ほどにな。くれぐれも程ほどにな』
「お、おぅ。わかった」
大事なことらしく二回繰り返したオーゼンにそう答えながら、ニックもまた森の奥へと足を踏み入れていった。





