父、機を逃す
「懐かしいな。遂に戻ってきたか……」
ミミル達の村を旅立ってから数日。道がわかっていることもあり、ニックはすんなりとアリキタリの町の側まで辿り着いていた。今回は襲われている馬車に遭遇することもなければ身分証であるギルドカードもきちんと所持しているため何の問題も無く町へと入ることができ、その足で早速冒険者ギルドへと向かう。
「邪魔するぞ」
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
扉をくぐったニックを、聞き覚えのある受付嬢の声が出迎えてくれる。そのまま列に並んで待てば、すぐにニックの順番がやってきた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「むぅ、儂のことはもう覚えておらんか……まあ旅立ってから大分経つからなぁ」
「えっと……」
残念そうな声を出すニックに、受付嬢はなんとも言えない苦笑いを浮かべる。
冒険者ギルドの受付嬢ともなれば、それこそ毎日何十人もの冒険者を相手にすることになる。この町を拠点として活動するような者ならばともかく、何らかの理由で短期間立ち寄っただけの冒険者の顔まで全て覚えるというのは、如何に優秀な受付嬢であったとしても不可能に近い。
ならばこそニックのことを自意識過剰な男か、あるいはナンパのよくある手口かと思った受付嬢だったが……改めて目の前の人物の顔を見つめたことで、その瞳が驚きに見開かれる。
「あっ、嘘、ニックさん!? ニックさんじゃないですか!」
「おお、わかるのか?」
「そりゃわかりますよ! この町を救ってくれた英雄の顔を忘れるわけないじゃないですか!」
「そうか? さっきまではまるで知らぬような感じだったが?」
「それは……その。だって、ニックさん凄く立派な装備をしてるじゃないですか! だから頭に残っていた印象に合わなかったというか……」
「あー、それは……まあ、そうか。うむ」
ばつが悪そうに言葉を濁す受付嬢に、今度はニックの方が苦笑する。ここで活動していた当時のニックの装備は、とりあえずそれっぽく見えるようにするためだけの間に合わせ装備だった。町を旅立った最終日こそエルダーワイバーンの皮鎧を身につけていたが、別れ際にちらっと見ただけの装備など印象に残りようが無い。
対して今のニックは、高名なドワーフの鍛冶屋であるメーショウの打った金属鎧に加え、伝説の魔剣をエルフとドワーフの技術によって鍛え直した新たなる伝説の魔剣『流星宿りし精魔の剣』を身につけている。その装いと風格は白金級冒険者と比べてすら見劣りするものではなく、一年前の姿と結びつかないのはむしろ当然と言えるだろう。
「っていうか、本当に凄い装備ですよね。一体何処でどんな活躍をしてきたんですか?」
「何処と問われると困るな。ほぼ世界中を回ってきたぞ」
「世界!? 世界って……でも、ニックさんなら……あっ、失礼しました! それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
ついつい雑談に花を咲かせそうになったことに気づき、受付嬢が慌てて仕切り直す。浮かべた営業スマイルを引きつらせたのは、その背後を足音を立ててギルドマスターであるヘイボンが歩き去ったことと無関係ではなさそうだ。
そんな様子に思わず笑みを浮かべつつ、ニックは満を持して己の用事を口にする。
「うむ。今回は昇級試験を受けにきたのだ! ここで冒険者登録をしてからやっと一年経ったからな!」
「あー…………」
「な、何だその反応は? 儂が何か変なことを言ったか?」
あからさまに困り顔になった受付嬢に、ニックは慌ててそう問いかける。それに対する受付嬢の答えは、予想通り辛辣なものだ。
「実はですね。この支部での昇級試験って、丁度一週間前に終わったばっかりなんです」
「なんと! それは確かに間が悪かったな……では、次の試験はいつなのだ?」
「それがですね……大体三ヶ月後くらいなんです」
「三ヶ月!? それは……遠いな」
正確な日程など知る由も無かったニックとしては、一、二週間……何なら一ヶ月くらいまでは待つつもりでいた。だが流石に三ヶ月となると長い。特にこの辺りでは以前の滞在中に近隣の古代遺跡探しなども終わってしまっているため、本格的にすることがないのだ。
「申し訳ありません。うちは割と頻繁な方なんですけど……もうちょっと田舎にいくと、年に一回とかになりますしね」
「ぬぅ。儂の印象ではどこも月一くらいでやっていると思ったのだが……」
「それは大きな都市だけですよ。冒険者の活動が活発な地域であればそれだけ回数も増えますけど、このくらいの町で昇級試験を毎月やっても参加者がいない月の方がずっと多くなっちゃいますからね」
「そうか。そうなると……ふーむ」
受付嬢の言葉に、ニックはその場で考え込む。この町で三ヶ月待機するのはあまりに迂遠であるが、かといって半端に遠征してしまうとまた何らかの問題に巻き込まれて期日に戻ってこられないという事態にもなりかねない。その結果更に追加で三ヶ月先延ばしなどになったら、もはや昇級試験を受けられる気がしない。
「もしニックさんが宜しければ、サイッショまで出向かれてはどうですか? あちらならば即日とまでは言いませんけど、割とすぐに対応してくれると思いますよ?」
「そうなのか? いや、しかし確か最初の昇級試験は登録したギルドで受けるという慣例があったと思うのだが……」
「ああ、それは単に銅級冒険者が拠点とする町以外に遠征なんてしないからですよ。冒険者になりたての子達が遠征費用を賄えるような強敵と戦って勝てるわけないですし、護衛依頼も基本的に鉄級からですからね。そうなると最初に登録した町を出る理由がないので、最初の昇級試験は必然的に登録したギルドで受けることになるわけです」
「なるほど、そういう理由だったのか!」
受付嬢の説明に、ニックはこれ以上無いほどに納得する。必然を積み重ねた結果が慣例となったというのは実にわかりやすい。
「ということなので、別に他のギルドで昇級試験を受けたとしても、それによってニックさんが不利益を被ることは一切ありません。まあ私としてはニックさんが昇級する瞬間をこの目で見られないのはちょっとだけ残念ですけど」
そう言って受付嬢が悪戯っぽく笑う。実はこの慣例には「自分が受付した冒険者の一人前になった姿を見たい」あるいは「見て欲しい」という冒険者とギルド職員双方の想いもあって成り立っているのだが、それを明文化するような野暮な人物は幸か不幸か今まで存在していない。
「ははは、そこは次以降で勘弁してもらうしかないな。たとえば白金級の昇級試験をここで受けるというのはどうだ?」
「ふふ、それが実現したらアリキタリの町総出でお祝いになりますよ」
「ほほぅ、それほどか。ではその時を楽しみにしておいてもらおう」
「はい、期待させていただきます」
ニックの言葉を冗談だと受け取りつつも、受付嬢の胸の中には「この人ならばひょっとして……」という淡い期待が存在する。そんな思いを背に受けて、ニックは冒険者ギルドを後にすると入ったばかりの町を出て、一路サイッショへと進み始める。
『せっかく懐かしい町に訪れたというのに、休む間もなく出発か。何とも忙しないことだ』
「言うなオーゼン。儂もそう思うのだが……なんとなく、ここでアリキタリに滞在するとサイッショに行くのがとんでもなく遅くなりそうな予感がしてな」
『あー……貴様だからな。何の根拠も無いというのに、我としてもそれには同意せざるを得ない』
「ということで、さっさとサイッショに向かうぞ! ふふふ、これも当時を思い出すな」
『当時……? 我、我が風に……アワアワアワ……』
「お、オーゼン!? どうした、大丈夫か!?」
『ゆっくりだ! ゆっくりと人の進む速度で歩くのだ!!! いいな!!!!!!』
「お、おう……」
かつての恐怖体験を思い出して強い言葉で要求してくるオーゼンに若干たじろぎながら、ニックはそこそこの速度でサイッショへと向かって進んでいった。