父、寄り道をする
獣人領域から基人族の領域……アリキタリの町へと向かう道すがら。ニックは意図して街道から外れ、一人森の中を彷徨っていた。
「確かこっちの方だったと思うのだが……」
『「王の羅針」を使ってしまった方が早いのではないか?』
「それはそうなのだが、そこまでするほどでも……む?」
道なき道を行くニックの視界が、不意にやや開ける。不自然なほどに綺麗に木の生えていない円上の広場を前に、ニックの中には懐かしい思いがこみ上げてきた。
「おお、ここは!」
『これは……我が眠っていた「百練の迷宮」の入り口があった場所か?』
「懐かしいな……ふむ、あれから他の魔物が住み着いたりはしていないのか」
そんな事を呟きながら、ニックはそっと周囲に生えていた薬草を摘んでみる。
『……一応言っておくが、それは薬草ではないぞ? 薬草はほれ、その隣にある奴だ』
「ぬぐっ!?」
オーゼンの指摘に、ニックはそっと手にしていた薬草……ではないただの草を近くに放り、代わりに本物の薬草を摘んで腰の鞄に入れる。同時に鞄から『本当に貴様という奴は……』という呆れ声が聞こえた気がしたが、そんな事は一切気にしない。
「さーて、現在地がわかれば十分だ。であれば向こうだな」
『それで誤魔化したつもりか?』
「……なあオーゼン。ここで初心に返って『王の尊厳』で集落に向かうという手もあるのだが」
『よし、行くぞ! あの娘達が元気にしているといいのだが』
互いにいい具合にとぼけ合いつつ、ニックは森の中を進む。するとすぐに前方から人の気配を感じ始め、ほどなくして見覚えのある人物が道に立っているのに気づいた。
「おーい!」
「ん? 誰だお前!? ノケモノ人なんて珍しい……いや、何処かで見たことがあるような……?」
「何だ、忘れてしまったか? まあ一年前に数日滞在しただけと考えれば無理からぬことではあるが」
「一年前……あっ!? ニックさん! あんたニックさんじゃないか!」
少しだけ寂しげに言うニックに、村への入り口の番人をしていた男がそう声をあげて歩み寄ってくる。
「なんだよニックさん! そんな立派な格好しているからわからなかったぜ!」
「はは、あの時はほとんど裸だったからなぁ」
親しげに肩を叩く男に対し、ニックは苦笑して答える。かつてここに来たときは正しく裸一貫であり、ニックの所持品と言えば股間に装着したオーゼンただ一つであった。
「それで? 今日は何か用があって来たのか?」
「いや、そういうわけではない。が、以前にここを出るときにミミルに『また来る』と約束したからな。丁度近くを通りかかったこともあり寄ったのだ」
「そうかい。ミミルとシポリンの恩人であるあんたならいつでも大歓迎だ! さあ、どうぞ! おーい、みんなー! お客さんだぞー! この村の大恩人、ニックさんだー!」
番をしていた男がニックに先行し、声を上げながら村へと歩いてく。その後をニックがゆっくりと着いていけば、そこでは多くの村人達がニックを歓迎するため集まってくれていた。
「本当にニックさんだ! 随分と久しぶりだねぇ」
「元気だったかおっちゃん! また狩りしようぜ!」
「おじちゃーん!」
笑顔で出迎えてくれるご婦人や若者のなかから、ひときわ元気な声が響く。猫人族特有のしなやかな動きで飛びついてきたその小さな影を受け止めれば、そこにいたのは満面の笑みを浮かべるミミルであった。
「おお、ミミル! 元気だったか?」
「はい! 私もお母さんも元気いっぱいです!」
「そうかそうか! それは何よりだ!」
「きゃーっ!」
小さなミミルの体を両手で掴み、ニックがその場でクルクルと回ってみせる。楽しげに悲鳴をあげるミミルを三回転させたところで地面に降ろすと、ニックの目の前にはミミルによく似た妙齢の女性が立っていた。
「ん? お主は確か……」
「ミミルの母のシポリンです。その節は本当にお世話になりました」
「ああ。どうやら本当に元気になったようだな」
「はい! もうすっかり」
穏やかに笑う女性の顔に、病の影は一片も残されていない。別れ際の様子から大丈夫だとは思っていたが、実際に元気になった姿をみたことでニックの胸の奥底にあった小さなしこりが綺麗さっぱり消え去っていく。
「ふぉっふぉっふぉ。ようこそおいで下さりましたニック殿」
「これはオサノ老! 貴方の方もお元気そうで何よりです」
「ふぉっふぉっ。ニック殿がこの村に滞在していた間は、随分と新鮮な獲物が獲れましたからの。あれだけタップリ肉を食えば、寿命が一〇年は延びましたぞ」
「ほほぅ。そういうことであれば、今回も軽く狩りを手伝わせていただきましょう」
「ほ、それはありがたい! と言うことは、今回もしばらくこちらに滞在するご予定ですかな?」
「いや、前ほど長居をするつもりはありません。泊まっても精々一日か二日くらいか……アリキタリの町で用事がありますのでな」
「ならうち! 今度はうちに泊まってください!」
ニックとオサノの会話に、ミミルがピョンピョンと跳ねながら割り込んでくる。
「前はお母さんを助けてもらったのに、全然お返しができませんでした。だから今度はしっかりお礼をしたいです! ね、いいよねお母さん?」
「ええ、勿論。ニックさんさえ宜しければ、是非うちにお泊まり下さい」
「それは……いいのか?」
ミミルとシポリンの誘いに、ニックはチラリとオサノの方を見る。シポリンが旦那を亡くしていることを知っていたので、そこに自分のような者が泊まることに問題があるなら指摘してくれると思ったからだ。
「ふぉっふぉっ。シポリン達がいいというのであれば、何も問題はありますまい。ニック殿が宜しければ、二人の家にお泊まり下され」
「オサノ老がそう言われるのであれば。では短い間だが厄介になるとするか」
「わーい! それじゃ、早速おもてなしの準備をしてきますね! お母さん、行こう!」
「ふふ、待ってミミル。ではニックさん、お待ちしておりますね」
今にも走り出しそうに尻尾を揺らすミミルに微笑みかけ、シポリンが一礼をしてその場を去って行く。
「そういうことなら、何か追加で手土産を用意せねばな。お主達の中で、儂と共に狩りに行こうという者はいるか?」
「待ってました! そりゃ勿論行きますよ!」
「ニックさんとなら普段は狙えない大物も狙えますしね」
ニックの呼びかけに、その場にいた若者の何人かが声をあげる。実際猫人族の体躯で大物狩りは危険度が高く時間もかかるため、狩れる獲物はどうしても限られる。
その点ニックは長年煮え湯を飲まされてきた森の主をあっさりと仕留めた実績もあるため、若者達の興奮は言わずもがなだ。
「よーし! ならば今夜は宴会が出来るように、狩って狩って狩りまくるぞ! この村にいる全員の腹をパンパンにはち切れさせてみせよう!」
「「「おおーっ!」」」
「頼もしいねぇ! ならアンタ達が狩ってきた獲物は、あたし達が腕によりをかけて料理してやるよ!」
意気込むニックと若者達に、女性陣も大張り切りで答える。早々に竈に火を入れ始める姿を見れば、その期待に応えずにはいられない。
「では行くぞお主達! 狩りの始まりだ!」
「「「おおーっ!!!」」」
『張り切るのはいいが、ほどほどにな。間違っても獲物を狩りつくしたりするではないぞ?』
「っ……ほ、ほどほどの狩りの始まりだ!」
「「「おおー……?」」」
『はぁ、全く貴様という奴は……』
呆れた、だが何処か楽しげにも聞こえるオーゼンの呟きを聞きながら、ニックと村の若者達は意気揚々と森へと入っていった。