娘、身もだえる
「勇者……」
「あ、勿論本物の勇者じゃないですよ? アタシがそう思ってるってだけで」
呟くような女性の言葉に、フレイは慌ててそう返す。そんなフレイを前に、白いもこもこの毛並みをした犬人族の女性は楽しそうに笑う。
「ふふ、それは勿論わかるわよ。今代の勇者様はとっても可愛らしい女性だって話しですもの」
「か、可愛い!?」
「あら、違ったかしら?」
「いや、それは……あはははは……」
小首を傾げる女性に、フレイは誤魔化すように笑う。通りすがりの一冒険者が勇者の容姿を否定するのは違うだろうし、かといって素直にそれを受け入れるにはフレイはまだまだ純朴であった。
「でも、貴方が勇者と認めるような方なら、さぞ素晴らしい父親なんでしょうね。はぁ、うちの旦那様にも見習ってもらいたいものだわ……ああ、ありがとう」
運ばれてきた料理を礼を言って受け取りながら、女性が軽くため息をつく。
「見習うって……どんな旦那さんなんですか?」
「あの人は……貴方に習って一言で言うなら『可愛い』人ね」
「可愛い、ですか……?」
女性の言葉に、今度はフレイの方が首を傾げる。獣人の年齢は今一つわかりづらいが、仕事を任せられる年齢の子供がいるならそれなりに年を取っているのだろう。であればその旦那と呼ばれる人も同じくらいの年齢の男性だと想定すると、そこに「可愛い」という言葉を当てはめて想像するのはなかなかに難しかった。
「そう! あの人は凄く可愛いの! 私よりも小さな体で、毛並みも私と違ってとてもつやつやのフワフワなの! ああ、あのお腹に顔を埋める至福といったら……」
「はぁ……」
うっとりとした表情で語る女性に、フレイはなんとも言えない生返事を返す。確かに目の前の女性の白い毛並みはフワフワというよりはモコモコした感じで、やや固そうな印象を受ける。
が、果たしてそれは褒めポイントなのであろうか? 小さな子供ならばともかく、おそらくは自分の父と同世代か上であろう獣人の男性がそう言われて喜ぶのか否かはフレイには判断できなかった。
「ただ、そのせいでどうしても威厳というか貫禄というか、そういうのが今一つ足りないのよ。かといって若い頃のように無茶をされるのもそれはそれで困るし。本当にどうしたらいいのかしら?」
「さぁ……すみません、アタシには何とも」
「ああ、ごめんなさい。単なる愚痴よ、気にしないで。それに私は別にそれが悪いことだとは思ってないもの。周りの皆もそう。どんな見た目であろうと、あの人は誰からも愛され、尊敬されている。その事実に変わりは無いわ……あ、これ美味しい」
「……凄い旦那さんなんですね」
自分と同じデザートを口にして頬を緩める女性に、フレイはほのかな羨望を込めて声を漏らす。
(今のアタシは、そんな風に誰かに思ってもらえるような人物なのかな?)
勇者として活躍し、世界中の人々から『勇気』を集めるのが自分の役目。それを理解しているからこそ、フレイはいつも一生懸命に頑張っている。
だが、自分が頑張ることと他人が評価してくれることは別だ。目に見える結果を出してなお、人から得られる評価というのは大きな揺らぎがある。「よりよい結果」を求める気持ちに際限はなく、普通なら五〇点の結末を七〇点にまで引き上げても「何故一〇〇点じゃないのか」と罵る輩もいれば、一〇〇点の結果を出してすら「勇者なら一二〇点を出さなきゃ駄目だろ」と嘲る者もいる。
そして今、フレイは今までの勇者とは違う動きをしている。世界の真実に迫り、真に倒すべき敵を見定める旅……それは他人からどう見えるのか?
(余計な寄り道だって言われるのかな? こんなことをしているならさっさと魔族を倒せ、そして世界を救えって思われるんだろうか? でも、アタシは……)
「……どうしたの? 随分難しい顔をしているけど」
「いえ、何でも……何でもないです……はぐっ!?」
無言になって考え込んでしまったフレイを見て、女性が優しく言葉をかけてくる。それに対してフレイは誤魔化すように笑って見せたが……その口の中に、不意に女性がスプーンを突っ込んでくる。
「誤魔化しても駄目よ。私はこれでも三人も育てたお母さんですもの。子供がそんな顔をしていたら悩んでいるのなんてすぐにわかるわ。
話すだけでも話してみたら? 自分の中だけにため込むより、きっとずっといい結果が待ってるわよ?」
「それは…………」
優しい女性の言葉に、フレイは口の中に広がる甘酸っぱさを嚥下して答える。とても見ず知らずの人に話すような内容ではないが、逆にそういう相手だからこそ言えることもある。
「アタシは……その、やらないといけないことがあるんです。でも、今はそれから少し離れたことをしているというか、アタシはそれが絶対必要だって思うんですけど、他の人からみたら『余計なことをせずにさっさと使命を果たせ』って思われるんじゃないかって……」
「使命ねぇ……そんなの、言いたい奴には好きに言わせておけばいいんじゃない? 気にしなくたっていいのよ」
「えっ!? いや、でも、それは流石に無責任って言うか……」
「無責任というなら、そもそもその責任って何? 貴方はどうして責任を背負っているの?」
「え? えええ……?」
改めて問われて、フレイは自分の頭が混乱しているのを感じる。自分の背負う責任が何かと問われれば、それは勿論勇者として世界を救うことだ。だがどうしてそれを背負っているかと言われれば、勇者に生まれたからとしか言えない。
「責任って、二種類あると思うのよ。自分で背負った責任と、誰かに背負わされる責任ね。このうち自分で背負った責任には誠実でなければ駄目よ? だってそれは『約束』だもの。そこを歪めてしまったら、きっと胸を張って生きられなくなってしまうわ。
でも、誰かに背負わされた責任に関しては、適当でいいのよ。だってその責任は、背負った側だけじゃなく背負わせた側も一緒に取り組むものなんだから」
「背負わせた側の、責任……?」
「そう! 勝手に誰かの肩に責任を押しつけるなら、それをした人だって責任を負うべきだと思わない? 『後は任せた、自分は知らない』なんて通るわけないじゃない! そんなことを言う奴には肉球パンチを食らわせてやればいいのよ!」
「……………………」
今まで自分の中に存在しなかった価値観に、フレイはただ言葉を失う。目の前でシュッシュッと拳を振るう女性が、何だかとても遠くて近い。
「忘れないで。貴方の小さな肩に背負うべき責任なんて、ほんのちょっぴりで十分なのよ。それ以外の大多数は、貴方に責任を押しつけた人達に任せなさい。それを無視して自分勝手なことを言う奴がいたら……」
そこで一旦言葉を切ると、つぶらな瞳の女性の顔がニヤリと笑う。
「貴方の素敵なお父様に、ぶん殴ってもらいなさい! 貴方が直接やらなかったら大丈夫よ、多分!」
「多分って……ふふっ」
力強く断言されて、フレイは思わず小さく笑う。お腹の出っ張った嫌みな貴族を父が殴り飛ばす様が、ありありと頭に浮かんでしまったからだ。
「貴方が今何をしようとしているのか、私は知らないけど……でも、貴方を応援してくれる人はきっと貴方が思うよりも沢山いるわ。だから安心して自分の道を突き進みなさい」
そう言うと、女性は食事を終えて席を立つ。そのままフレイの横を通り過ぎようとして……
「今日は貴方とお話ができて楽しかったわ。では、またね。フレイさん」
「あ、はい。私も楽しかったです…………あれ?」
すれ違い様に名前を呼ばれ、フレイは虚を突かれた表情で首を傾げる。とはいえ考えて答えが出ることでもなかったのでその後は気にせず食事を終え、更に数日たって目的の「世界樹の雫」を手に入れた帰り道。
「あっ!?」
「ちょっ、どうしたのフレイ!? いきなり大きな声を出してぇ?」
突然立ち止まって大声を上げたフレイに、ムーナが怪訝そうな声をあげる。だが遂に事実に思い至ったフレイはそれどころではない。
「王妃様! あの人王妃様だ! 獣王様の隣に座ってた!」
「獣王陛下の王妃……ツブラメニア様のことですかな? フレイ殿、何故突然そのようなことを?」
「あー、やっちゃった! うわー!」
「フレイ殿? ムーナ殿、これは一体?」
「私が知るわけないでしょぉ! ちょっとフレイ、本当にどうしたの?」
頭を抱えてしゃがみ込むフレイに、ロンとムーナがどうしたものかと顔を見合わせ……そんな仲間の言葉も視線も、今のフレイには届かない。
「なんですぐ気づかないかなー。これ父さんの事なんて言えないじゃない! 次にどんな顔で会ったらいいんだろう。うわぁ…………」
自己嫌悪と恥ずかしさで、フレイは両手で顔を覆ってイヤイヤと首を振る。そんな彼女の周囲では役立たずの精霊の一種「ワスレテ・ネーヨ」が楽しげに踊り回り……それを見たムーナは「何だかわからないけど、やっぱり貴方、ニックの娘よねぇ」としみじみとため息をつくのだった。
※はみ出しお父さん ワスレテ・ネーヨ
役立たずの精霊ことネーヨ族の一種。大事なことを思い出した時にのみその姿を現すが、忘れている段階では出現しないため当然なんの役にも立たない。とある研究者が「大事な記憶そのものに宿る精霊であり、そのため忘れている状況では顕現できないのでは?」という考察を出したりもしたが、どちらにしろ役に立たないことには変わりはないのでそれ以上論議されることはなかった。