父、新たな道を歩き始める
獣王カールとの会話を終えて、三日後。自分で無ければ片付けづらいであろう大きな瓦礫の撤去をほぼ終えたニックは、宿の部屋にて旅立ちに向けて身支度を調えていた。
「ふむ、まあこんなものか」
『思いのほか長い滞在期間となったな」
「だなぁ。最初は預かった武具を返却して、後はちょっと挨拶をする程度のつもりだったからな」
腰の鞄から語りかけてくるオーゼンに、ニックは微笑みながら同意の言葉を返す。
「それより、すまなかったな。遺跡の場所は結局聞けずじまいとなってしまった」
『国がこの状況では仕方あるまい。我としても別に急ぎというわけではないからな。また落ち着いた頃に訪れて、その時に聞くのでも十分だ』
「ふふっ、そうか」
言って、ニックはそっと鞄の上からオーゼンを撫でる。ニックに渡すはずだった情報をまとめた資料が城の崩壊に伴って紛失してしまったというのを、ニックはウメェコットから聞いていた。
甚大な被害を受けたのはあくまでもマンナーカーンだけなのでニックが要請すればもう一度情報を集め直してくれはするだろうが、どうしても必要というわけでもない情報を復興の手を止めさせてまで要求するくらいなら、そもそもニックは自分で国中を走り回っていたことだろう。
そうして雑談をしながら身支度を終わらせると、ニックは主人に挨拶をしてから宿を出る。そうして大通りを歩けば、今日も復興のために頑張る町人の声が心地よくニックの耳を叩いていく。
「あー、オジサンだ!」
と、そんなニックに声をかけてくる相手がいた。長い耳と赤い目を持つ兎人族の百獣戦騎、ハネルナだ。
「こんにちはオジサン。いつもと違う格好だけど、今日は遠くにお出かけとか?」
「はは、お出かけというか、そろそろ町を出て旅を再開しようと思ってな」
「っ!? ふ、ふーん。そう。町、出て行っちゃうんだ……」
ニックの言葉に、ハネルナは驚きで耳をビクッと震わせる。僅かに視線を逸らしつつ言うその声には、僅かな戸惑いが混じっている。
「ま、そうよね。オジサンはノケモノ人だし、ずっとこの町にいるってわけじゃないわよね。もしそうだったら、私が史上初のノケモノ人の百獣戦騎に推薦してあげてもよかったけど」
「はは、それは光栄だが遠慮しておこう。その称号を得るのはこの国を愛し、今も努力を続けているケモノ人の若者であろうからな」
「わかってるわよ! 言ってみただけ!」
「ふむ……ああ、そうだ。ハネルナよ、例の勝負の件だが……」
ニックがそれを口にすると、ハネルナはニックの眼前にビシッと指を突きつける。
「今は! 今は町がこんなだから、勝負は保留にしておいてあげる! でも、町がきちんと復興して、みんなが笑顔で暮らせるようになったら……その時は勝負してあげるわ! 絶対絶対負けないから、だからまたこの町に戻ってきなさいよね!」
「ふっ……ああ、わかった。ではいずれ、またな」
微笑みながら立ち去るニックの背に、「絶対負けないんだからーっ!」とハネルナが叫ぶ。その負けん気と向上心が、ニックの胸を温かくくすぐる。
「あれはまだまだ伸びるな。ああ、若いというのは本当に素晴らしい」
『うむ。我としても若者の成長というのは楽しみだからな。次に情報を受け取りに来る日を楽しみにさせてもらおう』
自然と微笑みが漏れるニックに合わせて、オーゼンの声も楽しげに弾む。そのまま町の門まで辿り着くと、そこでもまたニックを待ち受ける一人の男の姿があった。
「行くのか、ニック」
「コサーンか」
すっかり戦士としての険がとれ、優しい老人のような雰囲気を纏う剛猿族の男にニックは微笑みながら答える。
「陛下への挨拶はすませたのか?」
「問題ない。この前会ったときにそれとなく話しておいたからな」
「そうか……お前がいなくなると、寂しくなるな」
そう言って、コサーンは己の手に視線を落とす。そこには本当の意味で戦う力が残っておらず、まるで赤子のように弱々しく感じられる。
「せめて俺の引退式に出て欲しかったが……」
「この状況ではな」
コサーンの引退式は、あの日から延期されたままだ。町の復興が最優先であるのは勿論として、最後まで獣王を守って戦った真の英雄として引退ではなく新たな称号を作り、それを授けるのはどうかという話なども出ているため、いつ行われるのかは目処すら立っていないのが現状なのだ。
ニックとしても友の最後の舞台は見ておきたいと思う反面、流石にいつになるかわからないものを延々と待ち続けることはできなかったが故の旅立ちということになる。
「ワッカ達はどうした? 元気にしておるのか?」
「ああ。今日も元気に復興作業を手伝っているはずだ。お前の見送りに行くかと聞いたら、『復興作業を投げ出してまで見送りなんてしたら、逆に先生に怒られる』と言われてしまった。一日でも早くマンナーカーンを建て直し、そこに暮らす人々に笑顔を取り戻すことこそがお前に対する一番の恩返しだ、とな。
本当によく出来た弟子達だ。あいつらは間違いなく、俺の誇りだよ」
「そうか」
感慨深げに言うコサーンに、ニックもまた深く頷く。師のために敵わぬ敵に立ち向かい、死にかけてなお折れることなく戦士であり続け、自分よりも他人に気を遣って努力し続ける。今はまだ力及ばずとも、その背には確実に偉大な英雄の生き様が継がれているのは確実だ。
「あいつらのせいで、俺は死に損なった。だがあいつらのおかげで俺は生き延びた。最初はどうしたものかと悩んだものだったが……」
「答えは出たのか?」
ニックの問いに、コサーンは静かに首を横に振る。
「わからん。俺は戦いのなかでしか生きてこなかったからな。信じられるか? 復興作業を手伝おうとしたら、俺を知らない兵士の男に『お爺ちゃんは無理をしないでくださいね』と言われたんだぞ?」
「それはまた……というか、お主を知らぬ者などいるのか?」
「そりゃあいるさ。そして、それでいいんだ。戦士としての俺は、もう完全に死んだ。だが無くして初めて、俺は戦士でなくても生きていられることに気づいた。ずっと誰かを守ってきた俺が、誰かに守られる立場になることを許された。世界がひっくり返ったみたいな衝撃だったが……これはこれで悪くない」
そう言うコサーンの表情は、今までになく柔らかい。それは決して何かを捨てたり諦めたりした者では成し得ない、穏やかな顔つきだ。
「ここから先は、ワッカ達が時代を背負って立ってくれる。俺は精々そいつらに口やかましい年寄りとして説教をしてやればいいくらいだ。ふふふ、何とも楽しいじゃないか。ずっと恐ろしかった老いがこんなに楽しいものだとは……」
「ははは、まあほどほどにな」
快活に笑うコサーンに、ニックは思わず苦笑いを浮かべる。自分が子供の頃、村にいた年寄りの一人がやたらと口やかましかったことを思い出したのだ。
「死んでも悔いはないと思っていた。だが俺は生かされた。ならもうしばらくはのんびりと余生を送らせてもらうさ。だからニック、お前も達者でな」
「ああ。お主も元気でな、コサーン」
差し出されたコサーンの手を、ニックはガッチリと握り返す。掴み返してくる力は以前とは比べるべくもないほどに弱々しかったが、そこから感じる命の温かさは幾分も変わることはない。
「さらばだ!」
最後に誰にでもなく、そして関わった全ての人々に向けてそう口にすると、ニックは町に背を向け歩き始める。
「さあ、後はちょいと寄り道をしてから、次はいよいよ儂の初めての昇級試験だ! 気合いを入れていくぞオーゼン!」
『ま、やり過ぎぬようほどほどにな』
春の温かく柔らかい日差しが、ニックの行く先をキラキラと照らしていた。