父、別れる
その後しばらくして意識を取り戻したキョードーは、疲れた面持ちで町の中へと帰っていった。その足取りがいくらかおぼつかなかったのは無理からぬ事である。
「あのキョードーという男はどうしたのだ? 急に無口になったと思ったら挨拶もせずにフラフラ帰っていったが……」
『師が人生を賭けて追求し、己もまた新たなる目標と定めた技をこうもあっさり使われたのだ。あの反応も致し方あるまい……』
「そうか? ふむ、思ったよりも線の細い男だったか」
『……まあ、貴様に比べれば世の知的生命体のほとんどはそうであろうな』
「そう褒めるな。照れるではないか」
『褒めとらんわ愚か者!』
「あの、ニック様?」
オーゼンと微妙に噛み合わない会話を交わすニックに、背後から声がかかる。ニックが振り向けば、そこには衝撃から脱した護衛達に囲まれ、静かに佇むキレーナの姿があった。
「おお、キレーナ王女か。どうしたのだ?」
「はい。ガドー達が回復したようなので、私達もそろそろ町に入ろうかと」
「そうか……この時間でも町に入れるものなのか?」
一般的には町の門は八の鐘と共に閉まる。巨大な商業都市のような一部の例外はあるが、そもそも暗い夜中に馬車を走らせるものなどいないので、これを不便に感じるのは余程不規則な生活を送る者か犯罪者くらいである。
「姫様が名乗りさえすれば、少なくとも国内ではいつ何時だろうと問題にはなりません。とは言え通常ならば事を荒立てないためにも壁の側で野営をするところですが……本日は多数の冒険者の方々が出入りしておりましたから、おそらく大丈夫かと」
「そう言えばそうだな。今ワイバーンを回収しに行った輩とて戻ってくるのは明け方近くであろうしな」
ニックが戦っていた場所からここまで、馬車で二時間ほどかかっていた。昼間ならばもうちょっと早く移動できるだろうが、暗闇のうえにワイバーンの素材を満載した荷車を押すとなればもっと時間がかかることだろう。
なお、ニックがここから馬車が襲われていた場所までたどり着くのに要した時間は探索を入れても一〇分ほどであった。無機物のオーゼンすら絶叫させた速度は伊達ではないのだ。
「そういうわけで、私は今から町に入り、今日一日を休養に充てて、明日には王都の方へと戻ることになります。ですので……」
「ふむ。ならばここでお別れだな」
勇者パーティとして各地をまわり、出会いと別れになれているニックがサバサバとした笑顔を浮かべているのに対し、キレーナの表情は誰が見てもわかるほどに沈んでいる。
「そんな顔をするなキレーナ王女よ。あの時たまたますれ違うだけだった縁が、こうして再び結ばれたのだ。ならば次もまた何処かで会うこともあろう」
「そ、そうですよね! いつかきっと……」
「うむ。故にそれまで息災でな。きっと弟を助けるのだぞ?」
「ニック様……はい! ニック様から受けたご恩、決して無駄には致しません!」
「よしよし。その意気だ」
ヌッと手を突き出したニックが、キレーナの頭を撫でる。王女の頭を村人が撫でるなど不敬極まる行為だが、誰の目も無いこの場所でそんな無粋を語る者はいない。
「ニック様、あまり子供扱いしないでください。私これでも十四歳なんですよ?」
「む、そうか。儂の娘が十七だから、三つ下だな。確かにフレイもそのくらいの年頃になると『子供扱いしないで』と良く言っていたものだ」
「そうですよ! 十二歳を過ぎれば立派な淑女だと教育係も言っておりました。なので扱いの訂正を要求します!」
「ハッハッハ。では、これでいかがかな?」
ニックはその場に跪くと、そっとキレーナの右手を取ってその手の甲にキスをした。
「ひゃっ!?」
「む? 駄目だったか? 娘とはこうやって遊んだりしたのだが……」
「だ、駄目では! 駄目では無いです、けど……」
首を傾げるニックに、キレーナのは思わず口ごもる。一般人であるニックやその娘のフレイにとっては単なる貴族の真似事、それこそ「お姫様ごっこ」の一環の行為であったが、本物の姫であるキレーナにとっては違う。
(て、手を……手を許してしまいました……ど、どうしましょう……)
社交界に出る十五までであれば、特別に意味のある行為ではない。それでも初めて手にキスをされ、キレーナの顔は火が出そうな程に真っ赤に染まっていた。
『貴様という奴は、本当に……』
(む? さっきから何なのだオーゼンよ?)
『何でも無い。言っても無駄であろうからな』
(むぅ?)
「あの、姫様? そろそろ町に入りませんと……」
「あ、はい! そうですね! で、ではニック様! いつかきっと、またお会いしましょう」
「ん? ああ。では、またな」
ドレスの裾を摘まみ綺麗なカーテシーをしてから、キレーナが馬車の中に戻る。その際馬車の中の空気が未だに生臭く、一瞬乙女にあるまじき顔のしかめ方をしたが、護衛もニックもそこには一切触れなかった。
「では、ニック殿。これにて失礼致します。謝礼の件は後ほどこちらの冒険者ギルドに……で問題ありませんか?」
「うむ。大丈夫だ」
「わかりました。では、そのように」
頷くニックを見てガドーが一礼し、そして馬車が動き出す。その姿を見送ると、ニックもまた巨大なエルダーワイバーンの死体を背負い直し町へと戻っていくのだった。
一方、ニックより一足先に無事門を通って町に入ったキレーナ王女一行は、宿を取るために町中を静かに進んでいた。
「いやー、入れて良かったですね隊長。町を目の前に野営とか悲しくなっちゃいますし」
予想通り、門での手続きは昼間とさして変わらなかった。安堵に胸をなで下ろすシルダンに、ガドーも頷いて応える。
「そうだな。我々はともかく、姫様にはできるだけ快適な生活を送ってもらわねば」
「あの、ガドー? そう思うなら扉を開けたまま馬車を走らせることはできませんか? 正直ちょっと臭いがきついのですけど……」
「それは出来かねます」
「そんな……」
悲しげな声を漏らすキレーナに、しかしガドーが折れることはない。扉を開けて中の要人を丸見えにするなど警備の観点からはあり得ないし、そもそも馬車は扉を開けたまま走るようには出来ていない。町中を並足で進ませる程度なら問題無いかも知れないが、万一扉が閉まってキレーナの指でも挟めば、それと一緒に護衛の首も物理的に飛ぶことだろう。
「すぐに宿を取りますので、もうしばらくお待ちください姫様」
「わかりました……はぁ」
「お疲れですか?」
ため息をつくキレーナに、マモリアが声をかける。
「まああれだけ色々あれば、疲れるのが当然ですけど……アタシももうクタクタです」
「いやいや、違うよマモリアちゃん。姫様がため息をついたのは、ニックさんと別れたからに決まってるじゃーん」
「なっ!? し、シルダン! 違います! そんな事ありません!」
否定するキレーナの声が若干うわずっていることを確認し、ガドーが苦い表情で大きくため息をつく。
「姫様……老婆心ながら、あのような得体の知れない男にお心をお許しになるのは些か問題があるかと」
「ですよね。ニックさんいい人っぽかったですけど、流石に姫様と釣り合うとは……」
「違うといってるでしょう! もうっ、二人とも酷いです!」
ガドーは若干本気も混じっているが、マモリアの方はからかっているようなものだ。そして二人の頭には、馬車の中で拗ねた顔をするキレーナの姿がありありと浮かんでいた。
ちなみに、ニックの年齢を気にする者はここにはいない。貴族、ましてや王族の結婚ともなれば家同士の力関係や繋がりによって成り立つものなので、十四の娘を四〇、五〇の男が娶ることも決して無いわけではないからだ。
(あれほどの短時間で、どうしてここまで……いや、あれだけの危機を救われたならば当然か? まあニック殿が姫様を見る目は子供に対するそれでしかなかったから、変に気を回す必要はないだろうが)
「減給! 全員減給です!」
「ええっ!? 酷いよ姫様、僕達こんなに頑張ったのに!」
「知りません! 減給と言ったら減給です!」
(しかしまあ、そうだな。弟君が病に伏せられてからずっと悲しげな表情しかしなかった姫様に笑顔を取り戻してくれたことに関しては、心から感謝しよう)
「隊長! 黙ってないで隊長も何か言って下さいよ!」
「ん? 姫様のご不興を買ったのであれば、減給程度は仕方あるまい」
「ひどっ! 隊長の方が給料がいいからって、そりゃないですよ!」
「フッ。お前も姫様の護衛なら、もうちょっと節制することを覚えるのだな」
「そうですね。先輩は我慢とか節度とか、あと常識とか女癖とか、他にも色々覚えることが山盛りだと思います」
「マモリアちゃん!? あー、ニックさん! 今すぐ戻ってきて僕の不幸を殴り飛ばしてくれよー!」
「不幸を殴り飛ばすか。それが出来るなら、確かに戻ってきて欲しいところだな……?」
自分の言った言葉に言い知れぬ何かを感じて、ガドーはふと背後を振り返る。だが当然そこに何かあることなどない。
「こうなりゃ自棄だ! 今日は昼まで寝て美味しいものを沢山食べて、それから更に寝てやる!」
「先輩……いえ、いいですけど」
深夜を過ぎた町並みに賑やかな声を響かせながら、馬車の一行は町の高級宿のある方へとその姿を消していった。





