獣王、命令する
時は少し遡り、場所は王都マンナーカーン。いつでも賑やかなこの町が、しかし今はいつもと違う喧噪に包まれていた。
「町の様子はどうだ?」
「多少ざわついてはおりますが、概ね平穏です。やはり既に百獣戦騎の方々を救出に向かわせたというのが大きいようですな」
謁見の間にて獣王カールに問いかけられ、ウメェコットが白くて長いアゴ髭を擦りながら答える。彼らが執務室ではなくここにいるのは、ココマデルの町への救出部隊に戦士を出してくれる幾多の部族の者達が頻繁に挨拶に来るからだ。
「そうか。なら引き続き民の間に無用な混乱が広がらぬように心を砕いてくれ。兵の召集具合の方はどうなっている?」
「王都内部、及び近隣の町や集落などからの兵士、戦士達はおおよそ集まりきっております。ただ一定以上に距離のある場所からは如何ともし難く……全体としては未だ六割ほどとなっております」
「ふむ。まあ移動時間に関してはどうしようもないからな。繰り返しになるが、招集に応じてくれた部族の者達に無理をさせてはいないな?」
「勿論です。皆同胞を救出せんと張り切っておられますぞ」
「それが問題なのだ。その気持ちは嬉しいが、先の戦での被害も未だ癒えきってはいないだろう? ここで無理をして戦士を出されてはその部族の、ひいてはこの国の根幹が弱ってしまう。各部族の代表には重々無理はしないようにと伝えてくれ」
「畏まりました、獣王陛下」
カールの言葉にウメェコットが恭しく頭を下げるが、特に何かをするというわけではない。それは既に繰り返し伝えられていることで、いくら何でも同じ内容で毎日伝令を走らせるようなことはしない。
「報告致します!」
と、そこに部屋中に響くような声で一人の兵士が声をあげる。それを受けカールは軽く玉座に座り直すと、できるだけ威厳を込めた声で兵士に言う。
「ん、何だ?」
「犀人族の里より戦士の方々が到着されました! つきましては代表の方が陛下に挨拶をしたいと申しております」
「わかった。すぐに手配を――っ!?」
ここ数日で幾度となく繰り返したやりとりに対応しようとしたカールだったが、不意にその背筋に怖気のようなものが走る。見れば自分のみならず隣に控えたウメェコットや報告に来た兵士も同じだったようで、その場にいた全員が理由のわからない不快感に顔をしかめた、まさにその時。
『コーツコツコツ! 聞こえるでアールか?』
「声!? 何だ、外か!?」
突然響いた不審な声にカールは瞬時に謁見の間から飛び出し、催し物などの際に獣王が姿を見せるためのバルコニーに走り出ていく。
「お、お待ちください陛下! おい、お前達! 陛下の身辺をお守りしろ!」
「「「ハッ!」」」
慌てたウメェコットの指示によりすぐに謁見の間に控えていた近衛兵達がカールの後を追い、次いでウメェコットも必死の形相で走ってカールを追いかけると、目の前に広がった外の風景の上空に、小さな人影のようなものがぽつんと浮いていた。
「何だ今の声!?」
「見て! 何か浮いてる……?」
「人……か? 妙に白くてスカスカしてる気がするが……」
『コーツコツコツ! お初にお目にかかるでアール! ワガホネは……ああ、よく見えないでアールか? じゃ、ちょっと待つでアール』
町中の人々が見上げるなか、空に浮かんだ人影らしきものはそう言って何やらゴソゴソと身動きをする。すると次の瞬間には無数の骨が組み合わさった不気味なスケルトンの姿が空に大きく浮かび上がった。
『これで見えるでアールか? じゃ、改めて……ワガホネは偉大なる魔王軍四天王が一人、泰山狂骨・ボルボーンでアール!』
「あいつが……っ!」
その名乗りに、バルコニーの端で空を見つめていたカールが思いきり歯噛みをする。前回と今回の二度にわたって同胞を傷つけた敵の首魁を目の前にしたとなれば、その心情はとても穏やかではいられない。
『さて、今回ワガホネがこうして姿を見せた理由でアールが、正面からの力押しばかりはあまりにも芸が無いということで、今回は少し趣向を変えてみようかと思ったのでアール。ということで、毛むくじゃらの民達よ。存分に楽しんで欲しいのでアール!』
そう言うと、ボルボーンは顔の前で両手を組み合わせ、指に挟むことで両手の指先第一関節までの骨を外す。そうしてそれを挟んだまま、両手を大きく振りかぶると……
「いかん! ウメェコット、すぐに――」
『目覚めよ、我が軍勢! 「骨兵士 万軍召還」!』
放られた指先の骨片が空中で砕け、その粉末がマンナーカーンの町中に振りまかれる。すると町中のありとあらゆる道路や地面から見覚えのある骨の兵士がその姿を現し始めた。
「そんな!? 広大なマンナーカーンの町中にゴーレムを召還するなど、一体どれほどの――」
「そんなことはどうでもいい! ウメェコット、今すぐ城内の近衛を含めた町中の全ての衛兵達に住民の避難誘導をさせろ! ココマデルへの援軍に招集した戦士達と現在町に滞在している百獣戦騎の戦士達には、町中に湧いた魔物の討伐を急がせるのだ!」
「全てですか!? それでは陛下の護衛が――」
「ウメェコット! 余は誰だ?」
仕えるべき主を無防備にする命令に異を唱えようとするウメェコットだったが、鋭く叫んだカールの声、そこに込められた強い威圧に全身の動きが止まる。
「余は獣王! あらゆるケモノ人のなかで最強の存在だ! ならば余の護衛など必要ない! 最強の余を守るくらいなら、一人でも多くの力なき民を守れ!」
「陛下……っ」
「お前達もだ! 獣王マメ・シバーヌ・シッポカールが王威を以て命令する! この町の民を、同胞達を、ただ一人でも死なせるな! 行けっ!」
「「「ハッ!」」」
「……陛下、ご武運を!」
これ以上無いほどに綺麗な敬礼をして、近衛の兵達がその場を走り去っていく。その後を後ろ髪を引かれる思いで振り返りつつウメェコットも走って行くと、カールは一人謁見の間へと戻っていった。緊急事態に自分がいるのは、この国の玉座しかあり得ないと思ったからだ。
「…………ふぅ」
そうして長い沈黙の後、カールは苦しげに息を吐く。本当ならば今すぐにでも町へと飛び出し骨兵士の討伐に加わりたいが、獣王という地位がそれを許さない。
「随分と険しい顔をされておりますな、陛下」
と、そこに一人の男がやってくる。老齢の剛猿族の戦士の姿は、この国の者ならば誰もが知っている英雄だ。
「コサーン? どうしてこんなところに? 余はいいから、早く避難するのだ」
長い時を国のために戦い続け、休むことを決めたはずの英雄にカールはそう言葉を投げる。だがそれに対する英雄の答えは、静かに首を横に振るというものだ。
「そういうわけにはまいりません。お忘れですか? 私の引退式は途中で中断となってしまいました。つまり私は未だ百獣戦騎の一人であるということです」
「それは……いや、しかし……」
「ふふ、陛下のお側に誰もいないというわけにはいかないでしょう? この身はもはや大した力も無い老骨ではありますが、ならばこそ我が忠誠は陛下の、そしてこの国に生きる同胞の側に」
その場で跪き臣下の礼を取るコサーンに、カールはフッと小さく笑みを漏らす。たとえ力を失っても、英雄の魂はやはり英雄のままだ。
「わかった、許可しよう。余と共にあり余を守れ。百獣戦騎が一人、『黒腕』のコサーンよ」
「謹んで拝命致します、獣王陛下」
仰々しくそう告げると、顔を上げたコサーンとカールは互いに見つめ合いニヤリと笑う。カールが獣王になる前から百獣戦騎であったコサーンは、カールにとっても尊敬すべき英雄、先輩であり、獣王となってからは最も頼りとする部下だった。
そしてそれはコサーンにしても同じで、なりたての若き獣王を光に影に支え、その成長を見守る日々は何者にも代えがたい充足であった。
「しかし、本当にいいのか? お前の弟子達は――」
「あいつらならば先ほど避難するように指示してきました。なーに、あの者達は私が見込んだ子らです。私がいなくなったとしてもそれを糧に立派に成長してくれるでしょう」
「そうか……ならば言うまい」
笑顔でそう言うコサーンに、カールは深く玉座に腰掛けて息を吐く。敵の狙いが町を混乱に陥れこの状況を作ることならば、次にどう動くかは予想がつく。
だからこそカールは動かない。ただジッと敵の登場を待つ。
「……どうやら、来たようですな」
そしてそれは、コサーンも同じ。自分に最高の死に場所を与えてくれた獣王カールに心から感謝しつつ、コサーンはそっと拳を握って構える。
「コツコツコツ。随分と寂しいお出迎えでアールな」
騒然とする町中と比べ、奇妙なほどに静かな謁見の間に現れたのは、つい先ほどまで空に浮かんでいたはずの醜悪な骨の悪魔であった。