父、思い出を語る
「ぐぁっ!?」
何が起きたのかすらわからないまま、ニックはその場に膝を突いた。相手は一人、武器はひとつ。だと言うのにニックが気づいたときにはその体に八本の切り傷が刻まれており、そこからダクダクと血が流れ出していく。
「何だ……? アンタ一体何をしたんだ?」
「はっは! こりゃ凄ぇな。死なねぇとは思っていたが、まさか今の今でそこまではっきり意識が残ってるとは」
「まあ、傷つくのは慣れてるからな」
全身の筋肉をギュッと締め付け、ニックは切り傷から流れ落ちる血を止める。勿論完全にとまるわけではないが、それでも流れ出す命は最低限まで減った。
「知りたいか? なら教えてやる。見てろ」
そう言うと、シハンは刀を構え、目の前の岩に向かって振り下ろした。ぬるっと滑るようなその動きは微塵も抵抗を感じさせずに岩を切り裂くが、自分が食らった斬撃を思えばそこにニックが驚くことは無い。
「今のでわかると思うが、『斬る』ってのは極めて単純な行動だ。刀を振り上げ、振り下ろす。そうすると対象が斬れる。どうだ、笑っちまうくらい簡単だろう?」
「そりゃまあ、そうだな。だがそれが何だって言うんだ?」
「焦るな小僧。ならこれはどうだ?」
そう言って、今度もシハンは刀を振り上げ、振り下ろした。だがシハンが斬ったのは何も無い空間であり……そして斬れたのは、隣にあった木であった。
「……は?」
「不思議か? だが矛盾は無いはずだぜ? 俺は刀を振り上げ、振り下ろした。その結果木が斬れた。な? 何もおかしくねぇだろ?」
「いやいや、そんなわけないだろ! 刀が触れてもいないのに木が斬れたぞ?」
「そこがこの技の神髄よ。コイツは俺のお師さんが作った技でな、刀の軌道とは別の場所に意識を集中することで、自分も相手も、世界にさえも『その場所を斬った』と信じ込ませて斬る技だ。過程にも結果にも矛盾が無いなら、それが発生する場所なんてのは些細な問題ってことだな」
「そんな無茶苦茶な……」
「無茶だろうが何だろうが、出来るなら構わねぇさ。どうだ?」
「うーん……」
話を聞いて、ニックは近くの岩に意識を向けながら、宙に向かって拳を突き出す。だが拳は空を切るだけであり、当然岩は砕けない。それでも数度素振り……あるいは空振りを繰り返してから、眉根を寄せて呟いた。
「違うな」
「ん? どうした?」
「いや、何か違うと思ってな。確かに凄い技だと思うが……この技の先には、俺の目指す『最強』は無いと思う」
「クハッ! そうか! 小僧、お前さんもそう思うか!」
ニックの言葉に、何故かシハンは嬉しそうに声を上げる。
「俺もな、そう思うんだよ。確かにお師さんは凄ぇ剣士だったし、この技もとんでもねぇ。だが散々修行してここまで出来るようになったからこそわかるんだ。コイツは俺の夢には届かねぇってな」
「夢? アンタにも夢があるのか?」
「当たり前だろ! 男が夢を持たなくてどうする? 俺の夢はな……世界を斬ることだ」
「世界を斬る?」
オウム返しに問うニックに、シハンは見た目とは裏腹に子供のように瞳を輝かせて語る。
「応よ! 海は斬った。まあ所詮は水だしな。何処まで斬りゃいいのかわからねぇが、ぶっちゃけ水なんざ誰でも斬れるだろ。
山も斬った。あれも所詮は土だの岩だのの塊だ。海に比べりゃ難しいが、コツがわかりゃ大したことねぇ。
だがな……空が斬れねぇんだ」
「空? 単純に武器を振り回して斬ったことにする……とかじゃないよな? なら空を斬るってのはどういうことなんだ?」
「そう、そこからだ。俺は考えた。空を斬るってのはどういうことだ? 何が斬れれば空を斬ったことになる? 雲か? 風か? そんなもんじゃねぇだろ。ガキが棒きれ振り回しゃ斬れるものを斬って、空を斬ったなんて言えるわけがねぇ。
そうして考えに考えてたどり着いたのが……これだ」
これまでに無いほどに真剣な顔をしたシハンが、全霊を込めて何も無い空間に向かって刀を振り下ろす。すると何故だかカキンと小さな音がして、目の前の空間……空が欠けた。
「かはっ! はぁ……はぁ……どうだ? これなら、これが斬れれば空を……そして世界を斬ったって言えるんじゃねぇか?」
「何だ? アンタ一体何を斬ったんだ?」
「クハハ! これこそがさっきの技……『夢幻刃』のその先よ。目に見える何かじゃなく、目に見えない空を……世界を斬る。これこそが俺の目指す最強の一太刀、名付けて『常断』だ」
「世界を斬る……世界を殴る……」
ニックの拳に、力が籠もる。そのまま何も無いところを殴りつけるが、当然その拳は何も捉えること無く空回り、ニックの体が大きく前につんのめる。
「クハッ! そんなに簡単じゃねぇよ。だが小僧、お前さんならいつかはそこにたどり着くかもな。そうしたら……勝負しようぜ?」
ニヤリと笑ったシハンに、ニックもまた笑顔で応える。
「ああ、望むところだ。俺が目指すは最強無敵! アンタの剣も、それが斬った世界も、何もかもひっくるめて俺が全部殴り飛ばしてやる!」
「クハハハハッ! 大口叩きやがったな小僧! いいぜいいぜ! 今日の勝負は、その時まで預ける。いつか俺を殴りに来い! その時こそ……」
「最強の名を賭けて勝負だ!」
「とまあ、そんな事があったのだ」
「そうか……アンちゃん、あの頑固親父と会ってたのか……」
ニックの昔語りを聞いて、キョードーは崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。そうして空を見上げた先には、満天の星が輝いている。
「この年まで剣を振って、俺は自分の限界が見えた気がしてたんだ。だからここが俺の頂点、たどり着く最後の場所だってテメェで勝手に決めて、あの技を『奥義』と呼んでたんだ。
でもそうだよな、違うよなぁ! 憧れなら手を伸ばすんじゃなく足を踏み出すべきだ。追いかけるんじゃねー、追いついて追い越さなきゃ意味がねーだろ! それを勝手に立ち止まって、何が強ぇ奴と戦いてーだ! 馬鹿くせぇ!」
ダンと、キョードーが力一杯拳を地面に振り下ろす。その勢いのまま立ち上がると、憑き物が落ちたようなサッパリした表情でニックに向き直った。
「アンちゃんのおかげで目が覚めたぜ。あの頑固親父がまだ生きてるのかどうかもわからねーが、俺が進むべき道は決まった」
「ほぅ、どうするのだ?」
「決まってんだろ? 俺が先に世界を斬ってやる」
「フッ。そうか。精々精進するがいい」
挑戦的な笑みを浮かべるキョードーに、ニックはかつてシハンがそうしたように笑って返す。
「あ、そうだ。ちなみにこれが『世界を殴る拳』という奴だ」
まるでついでのようにそう言うと、ニックの拳が宙を殴った。するとパリンという甲高い音が響き、夜空が割れてその向こうに輝く暗黒が垣間見える。
「……………………は?」
「いやな、日課の正拳突きをやっていたら、ちょっと前に出来るようになったのだ。シハン殿との再会は未だ叶っておらぬが、これでいつ会っても大丈夫だな。ガッハッハ!」
高笑いするニックに、キョードーは今度こそ呆気にとられて言葉を無くす。
『何というか、哀れな……』
「あの、ガドー? 今のは……?」
「夢です。今宵のことは何もかも夢だったのです。目覚めれば私は家にいて、妻が焼きたてのパンを食堂に用意していて……」
「ガドー!? どうしたのですか突然!?」
「空を踏んで跳んだと思ったら、今度は空が割れた……ハハハ、僕もいよいよ頭がおかしくなっちゃったかな?」
「きっとあれです。神話とか英雄譚とか、そういうのですよ。何もかも作り話で、アタシは今劇場にいるんです」
「シルダン!? マモリアもどうしたのですか!? 私を一人にしないでください!」
「何だ何だ? 皆どうしたというのだ?」
『何もかも貴様が悪いと思うぞ』
「な、何故だオーゼン!? 儂が何をしたと言うのだ!?」
「お願い、みんな正気に戻って!」
「ぬぉぉ、ただ昔話をしただけなのに、儂の何が悪いというのだ!?」
静寂の帳に満ちた夜の闇に、少女と筋肉親父の悲痛な叫びが辺りに響きわたった。





