父、鍛え上げる
ニックとコサーンによる、短期集中特別訓練。その内容はなかなかに過酷なものであった。最初こそ地味で辛いが最も重要な基礎の筋力、体力トレーニングと実践を交えた組み手というまあまあに穏当な内容であったが、「せっかくならば色々体験させてみるのがいいのではないか」というニックの思いつきにより、まずそこにサバイバル訓練が加わった。
その結果本来ならば道中いくつかの町に立ち寄るはずだった予定が全て白紙になり、更に「どうせならもっと過酷な環境に慣れておくべきでは?」という考えから街道を外れ森の中を進むことになる。
加えて「この際だから緊急時の対応力や咄嗟の判断力も鍛えるのがお得そうだ」という悪魔の発想が加わり――
「なあ、いいだろ? 俺は急いでるんだよ」
「そんな!? 私だってずっとここで並んでいるわけで……」
そこは獣人領域の中央にして、ニック達の目的地である王都マンナーカーン。日々多数の人々が訪れるその町の入り口、入町審査の待機列にて犬人族の商人の男が如何にも柄の悪い獅人族の男に絡まれていた。
「ならもう一回並び直せばいいだろ? それとも何か? 怪我でもして一生並べない体にされる方がいいのか?」
「ひぃ!?」
これ見よがしに口を開けて牙を晒す獅人族の男に、犬人族の商人は怯えたような声を出す。
そんな様子に、近くの者は誰も何も言わない。そこには単純に怯えていたり厄介事に関わりたくないという者も勿論いるが、その多くはすぐに衛兵がやってくると知っているからだ。王都の門の前という明らかに警備が厳重な場所でこんなことをやらかすのは事情を知らない田舎者か恐れを知らない愚か者、あるいはその両方を兼ね備えた本物の馬鹿だけなのだから。
だが、ここにそんな「事情を知らない田舎者」が新たにやってくる。そしてその若者達は、この状況を見過ごさない正義感も持ち合わせていた。
「おい、やめろ」
「アァン!? 何だテメェ?」
不意に背後から声をかけられ、獅人族の男が振り返る。するとそこには年若い豹人族の男が立っていた。
「割り込みなんて大人のすることじゃねーだろ? ちゃんと列に並べよ」
「ハッ! 随分と調子に乗ったこと言ってくれるじゃねーか! まあ確かに多少体つきはいいようだが」
そう言いながら、獅人族の男は目の前の男の体つきに嘲りの視線を向ける。本来豹人族は若干細めのしなやかな体躯をしているはずなのだが、目の前の青年は何故か全身がムキムキであったからだ。それは長所である動きの速さ、柔軟さを捨て短所である力を多少伸ばしたという、典型的な「失敗作」の形だ。
「そうだよー? ズルはよくなーい!」
「うぉっ!? チッ、テメェもコイツの連れか?」
次いで現れた象人族の男に、獅人族の男は軽く舌打ちをする。そいつが歩く度に軽くとは言え土埃が舞うということは、見た目よりもずっと体が重いということだ。つまり目の前の象人族は、間の抜けた喋りに反して全身筋肉の塊……こちらは単純に厄介だと判断する。
「そういうこと。子猫じゃあるまいし、外見相応の落ち着きくらいは持っておいた方がいいと思うよ?」
「誰が子猫……うぉぉぉぉ!?!?!?」
更に続けて現れた人影に、獅人族の男は今度こそ驚愕の声をあげてしまう。そこにいたのは狐人族の男。だがその小柄な体が、どういうわけだかムキムキだったのだ。
それは明らかな異常だった。筋肉ムキムキの狐人族など見たことも聞いたこともないし、そもそも狐人族はケモノ人の間では珍しく魔法関係に秀でた部族だ。だというのにそれがムキムキであるという事実が男には理解できない。
「何だお前等! いや、ホントに何なんだお前等!?」
突然目の前に現れた、やたらムキムキの三人の若者。正直なところ関わり合いになりたくなかったが、ここで引き下がるような精神性があるならそもそもたかだか順番待ちの列に割り込みをかけたりはしない。
「くそっ、訳がわからねぇが、俺様のやることに口を出すなら痛い目に遭わせてやるぜ!」
短絡的な思考の末、獅人族の男が豹人族の男に向けて爪を振るう。象人族は明らかに分が悪く、狐人族の方は正直手を出したくなかったからだ。
「ふっ、遅ぇ」
「何!?」
が、男の爪はあっさりと豹人族の男に止められる。明らかな失敗作の体なのに、豹人族の男の腕はしなやかに動き、男の爪を軽々と受け止めていた。
「つーか、軽っ!? え、これで全力なのか?」
「ふっ、ふざけんな! ならテメェ!」
馬鹿にするような……本人は本気で驚いていただけなのだが……豹人族の言葉に、男は対象を象人族に変え、渾身の力で殴りつける。
「ぐぁぁ!?」
「大丈夫ー? 最近のおいらは、大分硬いよー?」
だが、それでダメージを受けたのは獅人族の男の方だった。殴りつけられた象人族の男が心配そうに鼻を曲げているのを横目にしつつ、男は自らの拳にフーフーと息を吹きかける。
「ほらほら、もう互いの実力差くらいわかっただろう? これに懲りたら悪さはやめて、ちゃんと列の最後に並ぶんだね。さ、ボク達も列に並ぼう」
たしなめるような口調で狐人族の男がそう言うと、仲間二人を連れてその場を去って行こうとする。その無防備な背中を見て、獅人族の男は怒りにまかせた拳を叩き込むが……完全に不意を突いたはずの攻撃はあっさりと空を切る。
「うおっ!?」
「馬鹿だなぁ。たかだか背後をとったくらいの攻撃が当たるわけないじゃないか。ボクの不意を打ちたいなら、せめて音と気配くらいは消せないと……うっ」
そこまで言って、狐人族の男が不意に口を押さえる。その脳裏に浮かぶのは、深夜の森、眠気と疲労で一瞬でも警戒を切らした瞬間目の前に現れる笑顔の筋肉親父の姿。それは恐怖の象徴であり、それを意図せず思い出してしまったのだ。
「大丈夫かイタリー?」
「あ、ああ。平気さ。ちょっと先生との訓練を思い出してね」
「うぅぅ、今思い出すだけでおいらオシッコちびりそう……」
何故か青い顔をしながら、若者達が去って行く。そんな彼らを口をあんぐりと開けて見送った獅人族の男が、やってきた衛兵に捕まるのはそれから五分後のことだった――
「おお、やっときたか!」
「お待たせしました先生」
王都の入町待ちの列に並んでいたニックとコサーンの元に、ワッカ達が笑顔で戻ってくる。
「どうだ? ちゃんと問題は解決できたのか?」
「バッチリですよ先生! 多分もう悪さはしないと思います」
「…………ちゃんと手加減はしたのか?」
「やだなぁお師匠様。手加減もなにも、ボク達は手なんて出してませんよ。あの程度の相手に拳を握る必要なんてありませんしね」
「……………………そうか」
「ふふーん。おいら達、偉いー?」
「おう、偉いぞ。手を出さずに解決できたことも含めれば、満点だ!」
「やったー!」
ニックと弟子達の微笑ましいやりとりに、しかしコサーンは少しだけ引き気味でそれを見つめている。
(何故だ? どうしてこうなった……?)
訓練を始めて一週間後は、何の問題もなかった。単純に強くなっていく弟子達の姿に喜びを噛みしめるだけの日々だった。
だが、二週間したところで「おや?」と思い始めた。だが強くなっているのは間違いないので、特に何も言わなかった。
三週間後、これはおかしいと感じ始めた。だが弟子達は以前より明らかにやる気が増していたし、強くもなっていた。結果が伴っている以上、今更口など挟めない。
そして一ヶ月……何故かムキムキになっている弟子達の姿に、コサーンはただ遠い目をするしかなかった。
「いやー、それにしてもアイツ滅茶苦茶弱かったですよ。ちょっと体を鍛えるだけでこんなに違うなんて思いませんでした! フンッ!」
「おいらも殴られたけど、全然痛くなかったー! ムフンッ!」
「こうしてみると、筋肉ってのも意外と悪くないのかも知れないね。ハッ!」
得意げにマッスルポーズを決めるワッカに、ゲーノとイタリーも追従する。
「はっはっは、肉体の鍛錬は心の鍛錬にも通じる。儂の特訓はこれで終わりだが、これからも日々の鍛錬を怠ってはならんぞ?」
「「「はい! 先生!」」」
笑顔で言うニックに、ワッカ達が声を揃えて返事をする。その実に理想的な師弟関係に、コサーンはなんとも言えない微妙な笑顔を浮かべることしかできなかった。