父、思い出す
「なん……だと……?」
キョードーにとって、その決着はあまりにも予想外だった。剣であれ刀であれ、初めと終わりに制止する瞬間があるのは当然だ。だが既に斬り始めた刀の切っ先を摘ままれるなど、人生をかけて剣士として過ごしてきたが故にとてもでは無いが信じられるものではなかった。
だが、刀の間合いにいたはずのニックの顔は自分の顔のすぐ側にあり、その手は間違いなく自分の刀を摘まんでいる。渾身の力を込めてみるが、自分の分身とまで思えたはずの刀が今はピクリとも動かない。
そして当然、ニックの強さを信じるからこそ殺すつもりで放った奥義は、その途中で効果を失っている。実体を持つ必殺の一刀と共に『斬った』という妄想を世界すら騙せる程に昇華させることでその全てを本物の斬撃と化す奥義『夢幻八奔刃』だが、刃を振りきることが出来なければ当然何も斬ることなど出来ない。
結果ニックの体に向かって伸びていた銀線はその体に届くことすら無く露と消え、残ったのは無様な姿を晒す自分のみ。その結果にキョードーは全身から力が抜けていくのを感じていた。
「ふむ。これで終わりか?」
「……ああ。奥義をこんなあっさりと、しかもあり得ない方法で止められたとあっちゃあ、俺の勝ち目なんてもうこれっぽっちもありゃしねーよ」
「そうか……本当にこれが奥義なのか?」
「アン? どういう意味だ?」
「いや、お主と同じ技を使う者と以前に戦ったことがあるのだが、その者はもう一つ先の技を『奥義』と呼んでいたので、気になっただけだ」
「なっ……!?」
軽く投げやりになっていたキョードーだったが、ニックの発言に大きく目を見開いて驚く。
「アンちゃん、まさか師匠と……シハンの親父と会ったことがあるのか!?」
「ああ、そう言えばそんな名前の男であったな。うむ、会ったぞ。十五年程前の話だがな」
「アンちゃんが、あの親父と……」
シドウにとってキョードーが頭の上がらない人物であるように、キョードーにとってもシハンは自分が絶対に越えられない壁であった。仰ぎ見る背はあまりにも高く、いつか届きたいと思う憧れの存在。
「……いや、待て。戦った? しかもあの頑固親父が『奥義』を使っただと!? 何でそんなことに? その結果はどうなったんだ!?」
「戦った理由は……何であったかな? 正直もう覚えておらぬが、そう大した理由ではなかったはずだ。今お主と戦った理由と大差ないであろう。そして勝負の行方だが……」
「……っ」
ニックの言葉を、キョードーは固唾をのんで待つ。空気に釣られてキレーナやその護衛達も真剣に話を聞いているが、それはそれだ。
「引き分けであった」
「引き分け!? あり得ない! そんな馬鹿なこと……あ、すいません」
何故か声を上げたマモリアに、周囲の冷たい視線が突き刺さる。そんな顔を真っ赤にしてうつむいたマモリアから視線を外すと、キョードーはニックに向き直って言った。
「機先を制されちまったが、実際俺も同じ気持ちだ。あの親父と引き分けるなんざ正直想像もつかねー。一体どんな勝負だったんだ?」
問われて、ニックは遠い目をする。思い出されるのは十五年前。娘がまだ二歳の頃で……ニックが死に物狂いで強さを求めるようになってから一年後の出来事だ。
「そうだ、思い出してきたぞ……あの当時、儂は何者にも負けぬ強さを求めておった。どんな障害でも打ち砕く拳を、どんな敵でも殴り飛ばせる力を、どんな過酷な運命であろうとその全てを粉砕できる程の、圧倒的な力を。
そうして力を求め己を鍛える日々のなかで、シハン殿に出会ったのだ。シハン殿もまた己の剣を極める道の途中だとかで、それで意気投合し一手試合ったのであった……」
「ほぅ。お前さんニックってぇのか。なかなか強いみてぇだが……随分と不格好な強さだな」
巌のような壮年の男性が、若き日のニックを見て言う。その体は引き締まってはいても今ほどの筋肉は無く、その強さもまたまだまだ常識の範囲内であった。
「はっはっは。そうだろうな。でも俺は不器用な男だ。こんな手段でしか強くなる方法がわからない。こうすることでしか強さを高められない。だから仕方ないだろ?」
「ハァ。何をそんなに生き急いでるんだか知らねぇが、そんな様子じゃお前さん、死ぬぜ?」
「かもな。でもよ、ならこれで死ななかったら……俺は最強になれると思わないか?」
ニヤリと笑ったニックに、壮年の男……在りし日のシハンは呆れた口調で言う。
「最強? お前さんそんなものが欲しいのか?」
「欲しい。俺は最強になりたい。だってそうだろ? 俺が一番強いなら、世界の全てが俺より弱くなる。そうなりゃ誰だって……どんな相手だって守り放題だ。
だから俺は最強を目指す。俺が最強じゃなきゃ、俺が守りたいものは守れないんだよ!」
それはニックの魂の叫びであった。娘が勇者になることが運命づけられている以上、その強さはいずれ世界最強に至る。だがそれではいつか自分が守られる存在になってしまう。娘が一番辛く苦しい時、世界の命運をかけた最後の死闘をするときに、自分は足手まといになってしまうのだ。それはニックにとって絶対に許容できない未来だった。
「ふぅ……こいつぁ言っても聞かない奴だな。ならそうだな……俺と手合わせをしてみねぇか? 俺はこれでも最強の剣客を目指してるんだ。俺に勝てないようじゃ、到底世界最強には届かねぇぜ?」
「それは願ってもない。でも、いいのか? そういう奴は戦ってもらうのに大金を積まなきゃ駄目だって聞いたことがあるんだが……」
「クハッ! 金もらって剣を振るう奴なんざ、精々二流の半端者よ! 俺をその辺の雑魚と一緒にするんじゃねぇ!」
短い叫びと共に、シハンの体から強烈な気が放たれる。それはニックの体に物理的な衝撃を感じさせるほどに叩きつけられ、だがニックはその全てを受け止めた。
「おーぅ、これで気絶しねぇなら、最低限戦いって形は取れるかもな。なら早速やるか。お前さん、武器は?」
「無い。俺の武器はこの拳だ」
そう言ってニックはギュッと拳を握りしめる。将来においては「思い切り振るうと壊れるから」という理由で武器を持たないニックだったが、この段階においては単に金が無くてまともな武器が手に入らないため、必然拳で戦う以外にはなかった。
「そうかい。鍛え上げた玉鋼に拳ひとつで立ち向かうってのがそもそも無謀なんだが……その程度のことが越えられないなら最強なんざ口にするのもおこがましい。手加減はしねぇし、場合によっちゃ死ぬ。覚悟はあるかニイちゃん?」
「覚悟? そんなもの無い! 死ぬ覚悟なんて甘えだ。俺はどんな手段を使っても、絶対に生き延びる!」
「……いや、それはそれで覚悟だろ?」
「……ん? ああ、そうか? じゃあ覚悟はある!」
あっさり言い直したニックに、シハンは思わず体の力が抜けそうになる。だがニックの目を見た瞬間、そんな気持ちは吹き飛んだ。
狂ったように燃え盛る、命と決意の炎を宿した瞳。常人ならば気が触れるほどの荒行を乗り越えてなお進み続ける、決して揺るがぬ魂の色。
「本気だ。俺は本気でお前さんを斬る。そうじゃなきゃその目に失礼だ」
「そうか。なら俺も本気でアンタを殴る」
もはや問答は無用と、ニックは左半身の構えを取る。なればこそシハンもまた刀を構え、静かにその口を開いた。
「我が一太刀は一刀八斬。閃く刃は偽にして真。描く軌跡は奇跡を起こし、理すらもねじ伏せる……『夢幻八奔刃』!」
瞬間。ニックの体に走った八筋の切り傷より、勢いよく血が噴き出した。





