父、押し返す
「ワッカ、大丈夫ー?」
「あ、ああ。もう大丈夫だ。悪かったな心配かけて」
最初の勝負が決着してから、おおよそ一〇分ほど。やっと正気を取り戻したワッカが、心配して鼻先でツンツンしていたゲーノにそう答える。
「情けないなぁ……と言いたいところだけど、君がそんなになるなんて一体何をされたんだい?」
「ノケモノ人のおっさんに酷い事されたー?」
「いや、そう言われると……別に何かされたってわけじゃないんだけどよぉ」
あまりの得体の知れなさに恐怖で混乱してしまったが、冷静になって思い返せばニックにされたことはただひたすらに自分の先回りをされただけだ。それはつまりあれだけ煽ったくせに徹頭徹尾自分が負けていたことを意味し……今更それに気づいてしまったワッカは思わず自分の顔を両手で隠してしまう。
(うわ、あれだけ大見得切っておいてこの結果とか、超恥ずかしい奴じゃん!)
「ワッカー?」
「な、何でもない! 何でもないから、もう少しだけ俺を一人にしておいてくれ!」
「ハァ、こりゃ仕方ないね。それじゃ次はどっちが行く?」
「むー、ならおいら! おいらがワッカの敵をとるよー!」
意気込んだゲーノが、ズンズンと大地を鳴らしながら二人の元を離れて行く。だがそこに待っていたのは、何故かしょぼくれた顔の筋肉親父であった。
「あれー? 何か元気ない? ひょっとして疲れちゃった?」
「ああ、いや、そんなことはないぞ?」
不思議そうに鼻を曲げたゲーノに、やや疲れた顔のニックが答える。子供には割と好かれる方だっただけに、悪党でもない相手にあそこまで怯えられるのはニックからすると少々ショックだったのだ。
『長い人生、そういうこともあるであろう。あまり気にするな』
「そうだな……よし、では次の勝負といくか!」
そんなニックの有様に最初は軽くお説教モードだったオーゼンまでも慰めに回ったことで、ニックは心機一転とばかりに自らの頬をバシバシと叩き気を取り直す。
「それで? お主はどんな勝負を望む? 何が得意なのだ?」
「おいらの得意なこと……大食い?」
「大食い!? それは……どうなのだ?」
ゲーノの答えにニックがその場で振り返ると、背後にいたコサーンが呆れた顔で首を横に振る。
「駄目に決まってるだろ。他のことにしろゲーノ」
「えー? 大食いが駄目なら、力比べ?」
「おお! それなら儂も大得意だぞ!」
「おっさん、さっきも大得意って言ってたー」
「ふふふ、まあな。体を動かすことは大抵大得意なのだ」
得意げに言うニックに、しかしゲーノも動じない。のんびりとした口調や優しげな見た目から勘違いされがちだが、ゲーノもまた百獣戦騎の候補として選ばれた戦士であり、戦いとなればその巨体は無敵の楯に、その拳は無双の槌へと変わる。
「むー、ノケモノ人のくせにやっぱり生意気ー! なら、ワッカの代わりにおいらがとっちめてやるぞー!」
そう言いながら、ゲーノが両手を振り上げニックの方に突進してくる。体の大きさから一見鈍重に見えるその走りは実は冒険者などではない平均的な基人族の成人男性とほぼ同じ速度であり、その速度で繰り出される体当たりの威力はコサーンであっても気合いを入れなければ受け止められないほどだ。
「ははは、待たんか。きちんと勝敗の条件を決めておかねば勝負にならんぞ?」
「ええーっ!?」
だが、そんな巨体をニックは軽々と受け止める。歯を食いしばることも足を踏みしめることも無く、本当に小さな子供が飛びついてきたくらいの感覚でゲーノの突進を受け止めたニックに、ゲーノ本人のみならずワッカとイタリーもまた絶句してその光景を見つめている。
「嘘だろオイ!? ゲーノを受け止めるって……」
「ハハ、ワッカの時は姿が消えただけだったけど、こうしてその力を目の当たりにすると、こりゃまた凄いね」
「むぅぅー! おいら負けないぞー!」
「お、続けるのか? ならこのままお主を押し返せば儂の勝ちでいいのか?」
「やれるもんならやってみろー!」
何処か素朴な物言いとは裏腹に、ゲーノは本気でその四肢に力を込める。途端に踏みしめる大地にピシリと僅かに亀裂が走り、そのただでさえ太い腕が更に一回り太くなる。
「おぅおぅ、これはなかなか!」
「ぐぅぅ、な、なんでー?」
「ワッカにも同じように聞かれたが、何でと言われても答えようがないな。儂はただお主の力を正面から受け止めているだけだ」
「だから、なんでー!?」
笑みすら浮かべて答えるニックに、ゲーノの頭は混乱する。確かに目の前のおっさんの体はノケモノ人にしては鍛え上げられているとは思う。だがそれでも五〇〇キロを超えるゲーノの体とそこから生み出される剛力を受け止めるにはあまりに小さく非力……そのはずだ。
なのに、事実としてゲーノの力はニックに余裕で抑え込まれている。なまじ常識的な考えがあるだけに、ゲーノにはその理由がどうしても理解できなかった。
「うぅぅ、ずる! きっと何かずるしてるー!」
「ずるなどしておらん。儂はただ必死に体を鍛えただけだ」
「おいらだって頑張ってるのにー!」
「そこはまあ、必死さの違いであろうな。どんな手段を用いても、どれほどの犠牲を払っても、絶対に守り抜きたいと思う存在……そういうものとの出会いがお主にはあったか?」
「そんなのわかんないー!」
力比べの真っ最中だというのに、それを一切感じさせない優しく寂しい笑みを浮かべたニックに、ゲーノは必死に踏ん張りながらそう答える。三人のなかでも最年少、一七歳のゲーノにはそこに込められた想いの深さを理解できるだけの人生経験が足りなかった。
「そうか……ならば覚えておくといい。いずれお主の人生でそういう出会いがあるかも知れんし、あるいは無いかも知れん。だが人が真に強くなれるのは、きっとそういう想いが自分を限界の先に連れて行ってくれるからだと儂は思う。
友を愛せ。家族を愛せ。お主の周りにいるお主を愛してくれる者、お主が愛しいと思える者こそがお主の力の源となる。その剛力を己以外の者の為に振るおうとしたその時こそ、お主は真に強者となることだろう」
「うわわーっ!?」
不意にニックの右手がゲーノの腹の辺りに当てられ、そのままグイッとゲーノの巨体が空高く持ち上げられる。「他人に持ち上げられる」という生まれて初めての経験にゲーノは手足をバタバタとさせたり自分を持ち上げるニックの腕に鼻を巻き付けて抵抗したりしてみたが、ゲーノの体を支える腕は深く根を張る大樹の如く小揺るぎすらせず、やがてゲーノは諦めと共にその言葉を口にした。
「うぅ、もう駄目ー。おいらの負けだよぅ」
「そうか。お主もなかなかの強さだったぞ」
そっと地面に降ろされたゲーノの鼻を、さっきまで自分を持ち上げていたニックの手が優しく撫でる。その感触が気持ちよくて一瞬顔をほころばせたゲーノだったが、すぐにブンと鼻を振ってニックの手を弾くと、そのままワッカ達の方へと走っていった。
「うわーん、ワッカー! イタリー! 負けちゃったよー!」
「よしよし、泣くなゲーノ。あと寄りかかるな! マジで潰れるから! 俺はあのオッサンとは違うんだからな!」
「うぅ、ごめんワッカー」
「だから泣くなって、全くしょうがねぇなぁ」
たかだか二つ年下なだけなのにまるで小さな弟のようなゲーノに、ワッカは苦笑しながら慰めの言葉をかけ続ける。そしてそんな二人を尻目にニックの方へ歩いてきたのは、他ならぬ三人目の挑戦者、イタリーだ。
「フゥ。ワッカより足が速くて、ゲーノを持ち上げるほどに力が強い? お師匠様もとんでもないノケモノ人を連れてきてくれたものだね。こうなると普通に身体能力を競うんじゃボクに勝ち目はなさそうだ」
そう言って肩をすくめて見せるイタリー。だが言葉とは裏腹に、その顔には未だに自信が満ちあふれている。
「ならばお主はどのような種目で儂と戦う? どんな勝負でも相手になるぞ?」
「そうだねぇ。なら今まで付き合った女性の数とかどうだい? ちなみにボクはモテモテだよ?」
「ぬぅっ!? いや、それは……」
予想外に過ぎるイタリーの言葉に、ニックは思わず言葉を詰まらせる。振り返るまでもなくコサーンが渋い顔をしているのがわかるが、それを確認するよりも早く――
「フッ、冗談だよ。でも、とりあえずこれでボク達の全敗ってことは無くなったかな?」
「……お主、なかなかの悪ガキだな?」
してやったりと笑うイタリーに、ニックもまたニヤリと笑って答えた。