父、プニられる
無事試練を乗り越え、その後いくつかの町を経由したニックは、その日遂に獣人領域へと足を踏み入れた。エルフの国と違って普通に繋がっている街道を進めば、やがてそれなりの規模の町が見えてくる。
『おい貴様よ、これが獣人の町なのか?』
「ん? そうだぞ。ここはまだ入り口の方だから、奥に行けばもっと大きな町や王都があるがな。それがどうかしたか?」
まだ町に入る前だというのに聞こえたオーゼンの言葉に、ニックは軽く首を傾げて問う。
『いや、獣人の町というと、我と貴様が出会ってすぐに出向いた村を思い描いていたのでな。まさかこれほど発展しているとは……』
「ああ、そういうことか。確かに一部族でまとまって暮らす小さな村などはああいう感じの場所も多いが、それとは別に多種多様な種族が集まる都市がきちんと存在するのだ。これは当然そっちだな」
『なるほど、そういうことか』
ニックの説明にオーゼンが納得の声を返す。獣人という言葉の印象からなんとなく野山で暮らす感じを想像してしまっていたが、獣人という一大勢力として認められている以上相応の文明が築かれているのは当然だ。
「獣人は部族ごとで体つきから生活に必要な環境まで大きく違うこともあるから、どうしても画一的な都市では暮らしづらい。故に都市はあくまでも仕事や公共の場所としての機能を重視され、長く住むなら自分たちの集落で……というのが基本だと聞いたことがあるぞ。以前出会ったミミルやこの前のパクリットのような者であれば問題ないのかも知れんが、たとえば……ほれ」
そう言いながら、ニックが町の側にいた一人の獣人の方に意識を向ける。そこにはニックを遙かに凌ぐ巨体と長い鼻を持つ獣人……象人族の男の姿があった。
「おやかたー、これはここでいいのー?」
「オウよ! 全部積み終わったら早速出発するからな!」
「あーい」
明らかに細かい作業には向かなそうな太い手は添える程度で、長い鼻を器用に使って象人族の男が馬車に木箱を積んでいく。ちなみに親方と言われた方はニックの腰ほどの背の高さの鼠人族という獣人だ。子供のような大きさの者が大人より巨大な相手に上から指示を出しているのは知らない者が見れば何とも奇妙な光景に映るが、これこそがこの国の日常である。
「あの体格差の者が一緒に暮らすのはどう考えても不便であろう? どちらかに合わせればどちらかが困る。故に根本的な生活圏は別に用意し、町には仕事のために通うような感じなのだろうな」
『実に理にかなったやり方だ。だが何よりいいのは、そういう者達がきちんと共生していることだ。獣人は力を尊ぶという話だったが、単純に強き者が弱き者をねじ伏せるような文明でないことは本当に素晴らしい』
「そこは初代から脈々と受け継がれる獣王の治政の賜だろうな。誰よりも強いからこそ力を律する法を敷くことができる。それもある意味力による統治なのだろうが、その結果がこの光景に繋がっているのだから大した物だ」
絶対強者である獣王が好き勝手をやってしまえば、それを止められる者は早々いない。なので時には暴君が獣王となって国が乱れることもあったが、そういう事例を知っているからこそほとんどの獣王は無難で堅実な統治を成す。
それは先人の知恵であると同時に、結局の所国が平和で安定していることが獣王本人にとっても最も楽に生きられるのだという事実を歴史が証明しているからである。
国を、民を導くというのは単なる喧嘩屋に務まるような重責ではないし、かつての教訓から今はそういう「戦いたいだけ」の者のための居場所なども確立されているため、尚更だ。
『平和というのは一度崩れると取り戻すのは容易ではないからな。それをきっちり理解し実践している今代獣王もなかなかの傑物と見た。これは会うのが楽しみだ』
「ふふ、そうだな。儂も再会は楽しみだ……っと、順番だな」
「はい次の人ー! 基人族の方ですね。何か身分証のようなものはお持ちですか?」
町に入る順番待ちの列が自分の番になったことで、門番である犬人族の男性がニックに声をかけてくる。ニックがギルドカードを差し出すと、それにさっと目を通した門番の男がすぐに笑顔でニックを町中へと迎え入れてくれた。
「はい、大丈夫です。では、『コッカラ』の町にようこそ!」
「ああ、ありがとう」
歓迎の言葉を口にした門番に礼を言い、ニックは町に入って通りを歩いて行く。
『ふーむ。ここから見る分には今までの町と大差はないな』
「それはそうだ。ここはあくまでも獣人領域の入り口。儂のような基人族がまず訪れるのがこの町なのだから、その入り口は基人族が過ごしやすいように出来ていても不思議ではあるまい?」
『むぅ、そう言われればそうだな』
基人族との交易も念頭に置かれている町の作りが呼び込む客に対応した作りであるのは当然だ。言われて納得するオーゼンに、ニックが更に言葉を続ける。
「もっと獣人領域の奥まで行けば特徴的な町もあるが……とりあえずここに来たからには、まずはあそこに寄らねばな」
そう呟いてニヤリと笑うと、ニックは迷い無く町中を歩いて行く。すると正面に冒険者ギルドが見えてきて……だがニックはその前を素通りする。
『む? 冒険者ギルドでないなら、何処に行くのだ? 先に宿をとるのか?』
「それでもいいのだが、違う。今儂が目指しているのは……ほれ、ここだ」
言いながらニックが足を止めたのは、一件の店の前。店の正面上には大きな看板が掲げられており、そこには獣人の手のひらの絵と「プニり屋」という文言が書かれている。
『プニり屋? おい貴様よ、プニり屋とは何だ?』
「説明するより見た方が早い。おーい、やっておるか?」
「いらっしゃいませー!」
ニックが店の扉をくぐると、その先では店員と思わしき猫人族の女性が出迎えてくれる。妙に体の線が見える如何にも扇情的な格好だが、その程度のことでニックが動揺するはずもない。
「ひとプニ頼みたいのだが、大丈夫か?」
「はーい、大丈夫ですよー。プニり師のご指名はありますか?」
「特に無いが、強いて言うなら多少力の強い者の方がいいな。何せ儂の体はコレだからな」
言ってニックが力こぶを作って見せると、店員の女性が笑いながら答える。
「わっかりましたー! それじゃ奥までご案内しますので、こちらへどうぞー!」
先導する女性に促されるまま、ニックは店の奥へと進んでいく。するとすぐに薄い布で軽く仕切られただけの小部屋に通され、そこで服を脱いでベッドに寝そべり待つように言い渡された。
『……おい貴様、これはどういうことだ? 別に貴様がいかがわしい店に寄るのは構わんが、そこに我を巻き込むのはやめてもらいたいのだが』
「そういうのではないわ! いいから黙って……っと」
「お待たせしたニャー、お客様」
ニックが下着一枚になってうつ伏せにベッドに寝転んでいると、部屋の奥から猫人族の男性がやってくる。そのまま軽く雑談を交わしつつニックの体にヌルヌルする脂のようなものを塗りたくると、男性は徐に自らの肉球でニックの筋肉をプニッと押した。
「おおぅ……相変わらず丁度いい加減だな」
「相変わらず? お客様は以前にも当店をご利用だったニャー?」
「うむ。と言ってももう何年も前になるのだが……おふっ……この感触がなんとも言えず気持ちよくてな。久しぶりにこの町に来たからには是非ともまた体験したいと……ふっ……思ったのだ」
「それはそれは、光栄だニャー」
専用のオイルを塗られテカテカと光るニックの筋肉が、男性店員の肉球によりプニプニと揉みほぐされていく。その独特の感触はここでしか味わえない至高の悦楽であり、ニックの口から度々気持ちよさそうな吐息が漏れ出す。
「おお、そこ! そこはいいな……」
「こっちニャー? それにしてもお客さん、凄い筋肉だニャー。しかも全然こってないとか意味がわからないニャー」
「ははは、日々鍛錬は怠っておらんからな……おっふ……」
「プニり甲斐があるのか無いのかわからない手応えニャー」
「そうか……ところで、何故そのようなしゃべり方をしているのだ? いや、生来のものであったなら無礼な質問かもしれんが……」
「ああ、これニャ? 語尾に『ニャー』とつけると何故かノケモノ人のお客さんは喜ぶんだニャー。お客さんは違うニャー?」
「特に口調に拘りはないな。猫人族の知り合いも何人もいるが、誰もそんなしゃべり方は……ふぉっ……していなかったしなぁ」
「そうなのニャー。ま、ここではこういう感じだから、気にしないで欲しいニャー」
「そうしよう……くふぅ……」
『プニり屋とは、要はオイルマッサージの店というところなのか? 完全に健全なはずなのに、何故これほどまでに目をそらしたくなるのであろうか……』
腕や足、背中を押す肉球の感触に夢見心地のニックを見て、オーゼンは言葉に出来ないモヤモヤした気持ちをその内に抱え込むのだった。