父、盤上遊戯に興じる
パクリットと別れ、再びバン達に教えられた遺跡を巡るニックとオーゼン。そのなかで遂に「当たり」を引いたニック達の前には、不思議な光景が広がっていた。
「何だこれは?」
『ほほぅ。これはまた珍しい試練を引いたな』
いつも通り小部屋に飛ばされたニックの正面にはテーブルと椅子が設置してあり、その上にはマス目の刻まれた石版と、その上には無数の駒が並んでいる。
「なあオーゼン。これは何だ?」
『盤棋だ。縦横九マスの盤上で様々な能力を持つ駒を動かし勝負する定番の遊びだな。全く同じものではないだろうが、この世界にも似たようなものはあるのではないか?』
「そういうことなら、あるぞ。戦盤がそれと似たようなものだな。もっとも駒は平たい板に兵種を刻んだ物が主流で、このような凝った造形の駒など儂は見たことが無いがな」
オーゼンの言葉に納得しつつニックが返す。この手の遊びはある程度発達した文明では自然と発生するものであり、この時代の盤棋……戦盤はニックも遊んだ経験があった。
「しかし、そんな遊びが何故この場にある? これで戦って勝つのが今回の試練なのか?」
『そのようだな。と言っても……いや、それは後でよかろう。まずは練習としてそれを遊んでみるのだ。相手は我がしてやろう』
「わかった」
オーゼンの言葉に従い、ニックは椅子に座って盤上に駒を並べ、それぞれの動きやらゲームの仕様やらを確認していく。そうして軽く一戦こなせば、盤棋の遊び方は大体理解できた。
「駒の動き方や役割が随分と特徴的だが、特別に複雑ということもないな。これならば戦えないということはないが……正直本物の玄人とこれをやって勝てる気は全くせんぞ?」
『それは頑張れとしか言いようがないが、貴様ならば問題あるまい。さ、準備が出来たら隣の部屋に進むのだ』
「むぅ……」
今一つ浮かない顔をしながらも、ニックが次の部屋への扉を開けて進む。すると転移陣に入ったときのような一瞬の酩酊感に襲われ、そうして進んだ先にあったのは先ほどの部屋と同じテーブルと椅子、それに既に駒の配置された盤棋であった。
『さあ、これが本番だ。この勝負に勝てれば試練達成となる』
「……これに勝つのか?」
オーゼンの言葉に、ニックは思わず眉をひそめる。目の前の盤上の敵側には、先ほどは見なかった駒も合わせて二四の駒が並んでいるのに対し、ニックの方には駒が一つしかなかったからだ。
「儂の方には駒が一つしかないのだが……」
『貴様は一人しかおらんのだから、当然であろう?』
「む? と言うことは……」
『そうだ。これはこの試練に挑んだ者が駒になる盤棋だ』
オーゼンの言葉に、ニックは改めて盤上の駒を見る。すると確かに自分のところに一つだけ置かれている駒は笑顔で力こぶを見せつける筋肉質の男の上半身を模しており、言われてみれば自分だと思えないこともない。
「ぬぅ、理屈はわかったが、儂一人で勝てるものなのか? 勝負にすらならん気がするのだが……」
これが現実の戦いであれば、たとえ万軍を相手にしようとニックには敗北など思い浮かばない。だが盤棋という遊びのうえであれば、駒一つで相手に勝つなどよほどの名人でもなければとてもできはしないだろう。そしてニックは現代の戦盤を多少やったことがある程度で、名人などと呼ばれるにはほど遠い腕前だった。
『心配するな。この特殊な盤棋には二つ追加されたルールがある。一つ目は己を模した駒が討たれると、その駒の主もまた死ぬことだ』
「それは……っ!?」
何気ない調子でオーゼンが口にした言葉に、ニックは戦慄と共に声をあげる。盤棋であれ戦盤であれ、捨て駒も無しで勝利など非現実的だ。にも関わらず討たれた者が死ぬとなれば、その意味はあまりにも重い。
『そうだ。王ともなれば命の取捨選択を迫られる機会は避けられぬ。そんなとき何を生かし何を殺すのか? 他人に流されるのではなく自分の意思でそれを決めねばならぬ。逆に言えばその程度の事が出来ぬ器では到底王たり得ないということだな』
「言わんとすることはわかるが……ふぅ。儂は今一人でここに来てよかったと心から思ったぞ」
自身が危険に晒されるのは問題ないが、自分の為に他人を死なせるなどニックとしては到底許容できることではない。もしここに親しい誰かが……ましてやそれが娘であったりしたならば、ニックは迷うことなくこの遺跡を完膚なきまでに殴り壊していたことだろう。
『奇遇だな、我もそう思っている。そしてもう一つの追加ルールは……』
オーゼンの口から語られる、更なる事実。それを聞いたニックはニヤリと凶悪な笑みを浮かべ――
「ふんっ! これで儂の勝ちだ!」
高らかな宣言と共にニックが駒を動かすと、椅子に座った瞬間に発動した両足と左手を拘束する魔法が解け、同時に首筋をチリチリと焦がしていた謎の違和感も綺麗さっぱりと消え去った。
「はっはー! 楽勝だ!」
『やはりこうなったか……』
ご機嫌なニックの腰で、オーゼンが憮然とした声をあげる。予想通りだったとはいえ、その戦いは何とも虚しいものだったからだ。
もう一つの追加ルール、それは「駒に主の能力を反映させる」というものだ。ニックの能力を反映された駒は子供でもそこまでやらないだろうというほどに強化され、ただの一騎で敵陣を蹂躙し、圧倒的な戦果を持ってニックに勝利をもたらしていた。
(単独で挑むなどという愚か極まりない選択肢が唯一の正解となるとは、何とも皮肉な話だな)
無邪気に喜ぶニックに、オーゼンは内心そんなことを思う。これは王を選定する試練であるため、盤棋の戦略も通常とは違ってただ勝ちを追求するだけではなく、たとえば負けそうになると意味も無く挑戦者側の駒を討とうとしたりする。
仲間の死を受け入れて敵を討つのか、それとも救うために勝利の機会を捨て去るのか? そういうところまで試されるのがこの試練であり、盤棋のルールに縛られて一度に一手しか打てないこの状況ではニックと言えども仲間が増えれば全てを守り切ることはできなかったであろう。
(いや、それともこの男であれば、更なる力を駒に覚醒させたのか? ……なんとなくそんな気がするが、それは考えないことにしよう、うむ)
「さあオーゼン! 試練達成となったのであれば、報酬を貰って帰ろうではないか!」
『……あ、うむ、そうだな。では行くか』
何だかとても恐ろしい妄想をしてしまったオーゼンが、ニックの呼びかけに我に返る。そうしていつもの手続きを終えて「百練の迷宮」を出れば、外はすっかり夜であった。
「入った時はまだ日が高かったと思ったのだが、もう夜か。意外と時間がたっていたのだな」
『で、どうするのだ? 前の町に戻るか? それともここで野営とするか?』
「ふーむ、町まで戻るのでも構わんが、最近は少しずつ暖かくなってきていることだし、たまには野営でもするか。星を見ながら寝るのもなかなかに乙であるしな」
『そうか。ならばさっさと準備をするがよい』
「おう!」
気合いを入れて答えると、ニックは手早く野営の準備を始める。幸いにして星明かりは十分な視界を確保してくれているため、準備に手間取ることも無い。
「そう言えば、また何処かで肉を調達しておかねばな。この辺に手頃な魔物がおらんだろうか?」
『そんな事我に聞かれても知らんぞ? それこそ近くの冒険者ギルドで聞けばよいではないか』
「まあそうなのだがな。いやそれとも、いっそ『王能百式』で肉を調達できるようなものを発現するか?」
『やめよ馬鹿者! そんな下らぬ事に偉大なる「王能百式」を使うでない!』
「ムキになるなオーゼン。ほんの冗談ではないか」
『貴様が言うと冗談に聞こえないのだ! 全く貴様という奴は……』
「ははは。まあこれで空きも二つになったのだ。何かよい利用法があるか、オーゼンも一緒に考えてくれ」
『フンッ、よかろう。アトラガルドの英知の結晶である我の知識、少しくらいなら貴様にも貸してやろう』
互いに軽口を交わしながら、まったりと時間は過ぎていく。そんな二人の頭上では、今夜も満点の星が楽しげに瞬いていた。
※はみ出しお父さん 盤棋の駒をちょこっとだけ紹介
・槍兵 前方及び斜めの三方向に一マス移動。移動先に駒があった場合はそれを討ち取る
・盾兵 前方及び左右に一マス移動。正面からの攻撃を防ぐ(横か背後からの攻撃でしか倒せない)
・弓兵 前方及び左右一マス移動。移動しなかった場合に限り、前後左右斜めを合わせた八方向、二マス先にいる敵を一騎討ち取ることができる。
・騎兵 前方一直線移動、もしくは左右一マス移動。三マス以上離れていた場合は盾兵を正面から討ち取ることができる。
・砲兵 前方及び左右一マス移動。移動しなかった場合に限り、正面直線上にいる相手を討ち取ることができる(弓兵と違って遮蔽物を超えて攻撃はできない。味方が前にいれば味方に当たる)
以後試練専用の特殊駒
・竜 前方、斜め前方、後方の四方向に一マス移動。「溜める」ことで次の手番で前方にブレスを放ち、直線上の駒全てを討ち取る。(ブレスの溜めは事実上一手捨てるのと同じで、かつ次の手番はブレスを打つことしかできないため、運用には先読みが必須)
・試練の王 周囲八方向に一マス移動。盤上に三体の「守護者」を初期配置し、それらが存在する限り王を討ち取ることはできない。また三手以上動かなかった場合、他の駒を飛び越えて二マス移動できる。
・肉王 盤上の開いている場所に何処にでも移動でき、移動元から移動先を結んだ直線上に存在する全ての駒、および移動先の周囲八マスにある駒を無条件で討ち取る。また五つ以上の駒が同時に攻撃範囲に収めていない限り討ち取ることができない。
なお肉王は味方の駒が討たれそうになると「覚醒」し、敵の全ての駒を物理的に吹き飛ばす隠し能力があるとか……あいてはしぬ。