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竜神官、祈る

「ご老人……」


 死を悲しみ涙を流す老人。そんなものを目にすれば、いつものロンであれば迷うことなく歩み寄り、その悲しみに寄り添おうとしただろう。だが胸に迷いを抱える今のロンは、その言葉を発するだけで足が動かない。


「お爺ちゃん……」


 そんなロンの複雑な内情など知る由も無いフレイがいち早く老人の側にしゃがみ込むと、そっとその背中を撫でる。背に感じた優しい感触に老人が一瞬だけフレイの方を振り返るも、すぐに倒れた馬の方に顔を戻すとぽつりぽつりとその心情を語り始めた。


「この馬っ子はワシが赤子の時から育ててきた馬でのぉ。この子の母親の代からずーっとワシの馬車を引いてくれておったんじゃ。馬ってのは本来臆病な生き物なんじゃけど、この子は物怖じしない性格でな、よーくワシの懐に鼻先をつっこんじゃぁ懐に隠してたリンゴを囓って、小憎たらしく鼻を鳴らしおるんじゃ。ほんに要領のいいお調子者で……」


 両目から止めどなく涙をこぼしつつ、それでも穏やかな表情で老人が馬の体を優しく撫でる。


「突然道の横から魔物が襲ってきて、馬車が横倒しになったんじゃ。その時ワシも一緒に倒れて頭を打ったのか、意識が朦朧として手も足も上手に動かなんだ。そこに魔物が寄ってきて、こりゃあもう駄目かと覚悟したんじゃが……この子が突然暴れ出してのぅ。


 最後の力で留め具を外して尻をひっぱたいてやったのに、逃げんのじゃ。逃げずにずっとワシの側で鳴いて暴れて……ワシを守ってくれたんじゃ。お調子者じゃというなら、それこそ逃げればよかったろうに! ワシが意識を失うその瞬間まで、ずっとずっと……」


 震える老人の言葉が、やがて嗚咽に飲まれて意味を成さなくなる。だがその悲しみは万言よりも明確にその想いを聞く者に伝え、その場にいた全員の胸に深い悲哀の帳が降りる。


「のぅ、神官様よ。この子はこの通り馬じゃが、それでもワシを守って戦ってくれた、ワシの大事な家族なんじゃ。どうかこの子のために祈りを捧げてはもらえぬじゃろうか?」


「勿論です。拙僧で宜しければ……」


 すがるような老人の言葉に、ロンは内心の迷いを悟られぬよう精一杯の平静を取り繕って答える。今の自分がそのような大役を果たせるのかという不安はあれど、ここで己の未熟を理由に老人を突き放してしまえば、もはや二度と神官は名乗れないだろうという確信がロンのなかにはあった。


「死体はどうする? 埋葬するか? それとも燃やす方がよいか?」


「ワシの家で死んだなら庭に埋めてやるところじゃけど、こんなところで一人で眠るのは寂しかろうて。ならば出来れば燃やしてやって天に返してやりたいと思うんじゃが……」


 ニックの問いに、老人が申し訳なさそうな顔でそう答える。埋めるのも燃やすのもどちらも老人自身では出来ないことを気に病んでのことだが、そんなことを気にする心根の持ち主はこの場にはいない。埋めると言われればニックがあっという間に穴を掘っただろうが、燃やすというのであれば……


「わかった。ムーナ、頼めるか?」


「いいわよぉ。じゃ、危ないから少し離れてねぇ」


 ニックに促され、ムーナが静かに呪文を唱え始める。その間にニックが近くの地面を軽く掘り、そこに馬を横たわらせて離れたところでムーナの魔法が完成。いつもなら敵を焼き尽くす猛々しい炎が、今は優しく馬の体を包んで燃やしていく。


「では、ロン殿。お願いできるか?」


「承知致しました」


 煌々と燃える葬送の炎に、ロンは一歩前に出て祈りの言葉を口にする。


「天に座します大いなる神よ。貴方の元から生まれ落ちた命が、今ここにその使命を終え貴方の元へと戻ります。かの者は――」


 パチパチと火の爆ぜる音と聖句の響きだけが場を満たすなか、ロン以外の全員がその場で目を閉じ祈りを捧げている。本来ならばロンもまた彼らと同じく神に祈りを捧げるところなのだが……チラリと視界の端に映ったそれ(・・)を目にしたことで、ロンは思わず絶句してしまった。


「……………………」


 それが勇者フレイであったなら、ロンは納得しただろう。あるいはこの老人が実は高名な聖職者であったりするのならば、それも当然と理解したはずだ。


 だが、実際はそのどれでもない。倒れた馬車の積み荷からおそらく農夫だと思われる老人が、死したる家族のために祈っている。そこには作法も何もなかったが、代わりにロンが求める全てがあった。


「……ああ、神よ。どうぞこの純粋な祈りをお受け取り下さい。そして願わくば、死者と生者の両方にその慈しみをお与え下さい」


 ロンの口を突いて出たのは、本来の聖句とは違う言葉だった。だが心から生じたその言葉は世界に溶け込み、ロンもまた両手を合わせて一人と一頭のために祈る。その静謐な沈黙は、馬の体が全て焼け落ち煙が天に昇るまで続くのだった――





「さあさあ、熱いから気をつけてくだされ。おかわりもありますぞ!」


 出来上がったスープを配りながら、ロンは笑顔でそう口にする。流石に聖都だけあって炊き出しは頻繁にあるためか、この手の場所ではありがちな割り込みなどの諍いが起こらないため、その作業は実に順調だ。


「勇者様のお仲間の神官様にお恵みをいただけるとは! ありがたやありがたや……」


「ははは、確かに勇者殿と同行はしておりますが、拙僧はまだまだ修行の身。そんなに大層なものではありませんよ」


 拝むようにしながらスープを受け取る老婆に、ロンは思うがままの言葉を伝える。そんなロンから皿に入ったスープを受け取った老婆だったが、不意にその指が震えて皿を落としてしまう。


「ああっ!?」


「おっと、大丈夫ですか? 火傷はしませんでしたかな?」


「も、申し訳ありません。手が震えてしまって……」


「謝ることはありません。それよりも少し手を見せていただけますか?」


 恐縮する老婆の手を取り、ロンはそこに火傷がないことを確認する。


「怪我はなさそうですね。ですが念のため……清浄なるは御霊(みたま)叢雲(むらくも) 正常なるは身体(みかど)病苦悶(やくも) 正しきを纏い正し気を宿し ただあるがままにその身を(ただ)せ。『癒やしの光』」


「おおおぉぉ……」


 老婆の手を優しい緑色の光が包むと、その手から慢性的な痛みやしびれがスッと引いていく。その感触に驚いた老婆が顔をあげると、そこには静かに微笑むロンの姿があった。


「あくまでも応急処置ですから、病を根治させるようなものではありません。今の拙僧ではこれが精一杯で申し訳ないのですが……」


「何をおっしゃられますか! ああ、ありがたやありがたや……」


 再び拝み始めてしまった老婆に、ロンは同族にしかわからないであろう苦笑いを浮かべる。


 あの日以来、ロンは本当に必要なとき以外は回復魔法で短縮詠唱や詠唱破棄を用いることをしなくなった。実質の効果があろうとなかろうと、その力を行使する度にその胸の内で祈りを捧げているからだ。


 祈りとは、心の所作。聖句や作法などというのは単に多くの人にわかりやすく、祈りやすくするための形式というだけに過ぎない。腕がなくとも手は合わせられるし、声が出ずとも祈りは届く。そうしたいと思うことこそが重要なのであり、目の前の老婆の祈りもまた誰にも否定することなどできない「本物の祈り」なのだ。


 あの日、己の未熟と真なる祈りを見たロンは、勇者フレイと行動を共にすることを決意した。この世でもっとも過酷な旅路を歩き、より多くの人と寄り添い、そして祈ることこそが己の成すべきことだと思ったからだ。


 そしてその旅路は、まだまだ道半ばにすら届いていない。先日のようなこともあり、果たして自分が前に進んでいるのかすらよくわからない。


 だが、歩みを止めるつもりはない。立ち止まりさえしなければ道は必ず何処かに通じ、そして自分がどんな場所にいようとも、祈ることはできるのだから。


「さあ、まだまだスープは残っておりますぞ! どんどん来てくだされ!」


 最初はその素性と見た目から軽く敬遠されていたロンの周囲には、今や多くの人が集まっている。中には物珍しさで顔を出す者もいるが、そんなことは問題ではない。触れ合うことから全ては始まり、相手の存在を知ればこそその人のために祈れるのだ。


「ありがとう! トカゲのおじちゃん!」


「あー、拙僧は竜人であって、トカゲでは……いや、何でもござらん」


 聖水を必要量受け取り、フレイ達が旅立つその日まで続いたロンの奉仕活動。だが満面の笑みを浮かべた子供からトカゲ呼ばわりされたときだけは、ロンの笑顔はちょっとだけ引きつっていたという。

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