竜神官、振り返る
そうしてフレイ達が益体もない話に花を咲かせている頃、ロンは今日も教会の人達と共に奉仕活動に従事していた。今は貧民街での炊き出しの準備中で、火にかかった大きな鍋の中身をぐるんぐるんと掻き混ぜていく。
「申し訳ありません、勇者様のお仲間の方にこのような雑事を」
「何を申されるか。これは拙僧が無理を言って参加させていただいていること。むしろこちらが感謝したいくらいですぞ」
恐縮した表情の神官に、ロンが上機嫌で答える。この数日行動を共にしたことでロンが本気でそう言っていることを理解している神官は、そのまま一礼すると自分の持ち場へと戻っていった。そうして一人になったロンは、黙々と目の前の鍋を焦がさぬように混ぜ続ける。
「ロン様は今日も奉仕活動をお手伝いしてくださっているのか。勇者様からは連日ご喜捨もいただいているのに、偉いものだなぁ」
「本当に。やはり勇者様と行動を共にするような方は相応の人格者だということだろう」
少し離れた所で交わされる神官達の声を、ロンの優れた聴覚が否が応でも拾い上げてしまう。だがそんな賞賛の言葉が、今のロンにはどうにも痛い。
(拙僧は未熟だ。いつの間にかまた初心を忘れていた。もっともっと精進せねば)
きっかけは先日のピースとのやりとり。勇者パーティとして行動することで周囲から賞賛と羨望を浴び続け、気づかぬうちに思い上がっていた自分を冷静にさせてくれた聖女の言葉は、ロンの心に強い衝撃を与えた。
(あの境地に、あの祈りに、拙僧はまだ一歩たりとも近づけていない。この体たらくで何を誇る! あんなものはただの驕りだ! 愚かなり愚かなり。心を、魂を磨かねば)
そうして、ロンは思い起こす。己が何者なのか、どうしてここにいるのか。全てはあの日から始まっていた――
竜人は分類上は獣人族となるが、その存在は獣人族とは一線を画すものだ。獣人族、基人族、精人族がそれぞれの間で子を成せるのに対し、竜人だけは竜人の間でしか子供が産まれない。また竜人の国は獣人領域より更に奥、魔族領域に大きく食い込んだ場所にあり、本来ならばその位置に国があるならば竜人は魔族の側の存在であるはずだった。
そうならなかった理由は二つ。竜人の国は高い山、深い谷などの自然に囲われた難攻不落の地であり、竜人が自ら出てこない限りは外からの干渉が恐ろしく難しかったことと、竜人には征服欲などがなかったため、二代目魔王の誘いに応じなかったからだ。
そんな外界とは隔絶した竜人の国だが、そこは意外にも宗教色の強い穏やかな国であった。元々恵まれた身体能力を持ち、外部から犯される心配の無い地で暮らす竜人達は肉体よりも精神を磨くことに重きを置き、その結果が独自の宗教を生み出すという結論に至ったためだ。
そしてそんな国で、ロンは産まれた。父と母、三人の兄弟と沢山の同胞に囲まれた何不自由ない子供時代。それを経て一五で成人の儀を済ませると、ロンは周囲の勧めもあり神官としての道を歩み始める。それはなかなかの出世コースであり、周囲の期待を背負いながら更に一〇年の研鑽を重ね、齢二五にしてロンは国を出て修行の旅に出ることを許された。
勿論、許しが出たからといってすぐに出られるわけではない。基本的には一人旅となるため、戦士の技を身につけた先達から教えを請い、更に五年の歳月をかけて己を磨き上げていく。そうして三〇になったロンは、遂に竜人の国を後にして世界を巡る旅路へと歩み出す。
そこには様々な出会いがあった。善人もいれば悪人もいる。よいこともあれば悪いこともある。この世界で旅をするのにもっとも有効だと思われる冒険者の資格をとり、活動すること二〇年。酸いも甘いも噛み分け金級冒険者にまで至ったロンに待っていたのは、正しく運命と言える出会いだった。
「お呼びですかな? マスター殿」
「おお、来たかロン! 実はお前に引き合わせたい人がいてな」
懇意にしていたギルドマスターから呼び出しを受け、その日ロンは冒険者ギルドへと顔を出していた。金級ともなれば様々な所から引く手あまたではあったが、こちらに来てすぐの頃に世話になった相手からの呼び出しとなれば、無碍に断るのは心苦しい。
「拙僧に会わせたい方、ですか? 有望な新人でも見つけたのですかな?」
「ははは、有望も有望! 超有望だぜ! さ、こっちだ」
ギルドマスターに促され、ロンがギルドの奥へと入っていく。そうして待合室の扉の先に待っていたのは、微妙にちぐはぐな印象を受ける三人の人物だった。
「お待たせして申し訳ありません。こいつがさっき話してたロン、俺の知ってる中では最高の神官です」
「初めまして、ロンと申します」
何故かギルドマスターが下手に出ていることから、ロンも一応敬語で対応する。すると集団の代表らしき少女が立ち上がり、ロンに向かって頭を下げてきた。
「こちらこそ、初めまして。アタシはフレイ。えっと……勇者、やってます」
「勇者!? この娘……いえ、この御仁がですか!?」
その自己紹介を受けて、ロンは思わずパクッと口を開けてしまう。初対面の他種族にこれをやると大抵驚かれるか、下手をすると食われるなどと騒がれることすらあったため普段は自重していたのだが、この時ばかりは口が開くのを抑えることができなかった。
頼りない。それが勇者に対する第一印象の全てだ。年端もいかぬ娘であるということ以上に、そもそも専業の戦士ではないロンから見てすら足りないものがいくつもあるように見受けられる。そんな相手があらゆる人類の希望を背負い、魔王を倒す世界最強の存在であるなどとは、ロンには到底信じることができなかった。
逆にとんでもない強者だと感じたのが、勇者の父を名乗った巨体の男だ。その圧倒的な存在感はロンの知る如何なる相手よりも強く、もし彼が勇者を名乗ったのであれば無条件でそれを信じられるくらいには強いと感じた。
また、魔術師を名乗る妙齢の女性もくせ者だと感じる。基人族の使う魔力感知よりもよほど鋭く魔力を見抜く『竜眼』を用いれば、全身を色濃い靄のような魔力が覆っていることがわかる。もし自分が同じ事をやろうと思えば、半分どころか二割程度の濃さの魔力をほんの数分纏うのが限界だろうとロンは推察する。
「――でな、勇者様達がこの先の腐れ森を抜けたいってことなんだが、あそこは毒だの何だのがとんでもないだろ? あそこに癒やし手を連れずに突っ込むなんて無謀極まる。なわけでロンを呼んだってわけさ」
「つまり、拙僧は勇者様達と同行すればよいと?」
そんな事を考えている間も、ギルドマスターの話は進んでいた。その内容を確認するロンに、勇者の少女が声をかけてくる。
「そうなんです。お願いできますか?」
「儂からも頼む。殴って倒せる相手ならどうにでもなるが、流石に毒だの何だのはどうにもならなくてな」
「私からもお願いするわぁ。森を全部燃やし尽くすわけにもいかないしねぇ」
「……わかりました。拙僧でお役に立てるなら、是非力をお貸し致しましょう」
微妙に物騒な発言が聞こえた気もしたが、ロンはその申し出を受けることにした。相手が勇者だということもあったが、それよりも助けを求められたならばそれに答えるのが神官の勤めだろうと思ったからだ。
「やった! ありがとうございます、ロンさん!」
そんなロンに、勇者が軽く跳び上がって喜ぶと笑顔で右手を差し出してくる。
「宜しいのですか? 拙僧の手は――」
「そんなの気にしないわよ! 宜しくね、ロンさん!」
「こちらこそ、宜しくお願い致します。勇者殿」
冷たい鱗と鋭い爪に覆われたロンの手は、人によっては触れたがらない者もいる。その最初の小さな壁を笑って吹き飛ばしギュッと手を握ってきた勇者の少女に、ロンもまた笑顔で答え――
「怖っ!? え、それ笑ってるのよね?」
「え、ええ。そうですが……」
「ちょっと! 失礼よフレイぃ!」
「娘が申し訳ない。悪気はないのだが、どうも思っていることをすぐに口にしてしまう質でな」
「ハハハ……いえ、お気になさらず」
なんとなく前途多難な予感を感じながらも、ロンはこうして勇者一行と町を出る事となった。