捕り兎、続きも思い出す
「おぉぅ、これはまた……」
阻む敵を全て蹴散らし、パクリットの気配を頼りに宝物庫のすぐ側までやってきたパパンだったが、そこで目にしたのは何とも言いづらい光景であった。
「ほらほらぁ! 無駄な抵抗はやめてさっさとヤラれるですぅ!」
「やめっ、やめるのだ! ええい、屈せぬ! 俺はゴーダッツの王、こんなことには絶対に屈せぬぞ!」
割と広めの部屋の中には何人かの兵士が気絶し倒れ伏しているが、それはまあいい。問題は部屋の中央付近で楽しげな声をあげながらマールゴットの服を剥ぎ取っているパクリットと、必死に己の股間部分の鎧を死守しているマールゴットとのやりとりだ。もしこの場面だけを見たならば、パパンは間違いなくマールゴットを救出したことだろう。
『おい貴様よ、いつまでそうしているつもりだ?』
「っと、そうだな。互いに色々と限界であろうし、手早く片付けるか」
股間から聞こえる声に、パパンは無造作に部屋に入っていく。その際に入り口付近で何かがやたらバチバチと弾けていたが、パパンがそれを気にとめることはない。
「ほれ、いい加減にせんかパ……あー、怪盗ラビッツ・アイよ」
「誰ですか? 私の邪魔をする……っ!?」
背後から声をかけられ、パクリットが振り向く。するとその真っ赤な瞳が驚愕に見開かれ、次いでその口から涎がこぼれる。
「男、男です……こんなしょぼくれ親父とは比較にならないくらい上等な雄です……」
パクリットの下から「誰がしょぼくれ親父だ」とか「こんな変態に俺が劣るとでも言いたいのか」などと抗議の声が聞こえたが、興奮しきったパクリットの耳には入らない。その瞳に宿る月は既に八割ほど満ちており、圧倒的に強化されたその身体能力によって一気にパパンへと飛びかかる。
「お前のぉ! 子胤をよこすですぅ!」
「わかったから落ち着け!」
「はぐっ!?」
パパンの拳が飛びかかってきたパクリットの腹部に命中し、その口からコロンと赤い物体が吐き出される。すると急速にパクリットの体から力が抜けていき……意識が無くなるその最中、パクリットの頭には祖母の話の続きが走馬灯のように浮かんできていた――
「うぅ、何だか可哀想です……」
「おうおう、パクリットは優しいねぇ。でも実は、この話には裏があるんだよ」
「裏? 何ですかそれ!? 聞きたいですぅ!」
「ほほほ、いいとも。バーバがお話してあげようねぇ。まずはそうだね、この女の人、私達は巫女って呼んでるんだけど、幼馴染みの男の子が獣王になって他の女性と結婚した時、巫女は確かに嘆き悲しんだんだけど……その時の第一声は『こんなことならさっさと既成事実をつくっておけばよかった!』だったんだよ」
「えぇぇ……」
その世知辛い魂の叫びに、当時幼かったパクリットはどう反応していいかわからない。そんな困惑顔の孫に、パクリットの祖母は優しく言葉を続ける。
「ふふふ、このお話は獣王様が冷たいお人だったとかそういうことじゃなくて、単純に遠距離恋愛が上手くいかなかったってだけの話だからねぇ。もし先に妊娠していたりましてや里に子供がいたりすれば、獣王様は普通に迎えに来ただろうってことさ。実際獣王様は巫女とは結ばれなかったとは言え、普通に幸せな家庭を築いていたからねぇ。
だから、巫女が月に込めた願いもちょっと違うんだよ。確かに自分の無力を嘆いたのも間違いないんだけど、実際には『そういうことなら自分がもっと強くなって、今度こそ自分が相手を組み伏せてやろう』って感じだったらしいね。
ああ、ちなみに月を宿すべく閉じたのは左目だけだったから、昼間は右目を開けて普通に生活していたって話だよ」
「ええっ!? でも、里の人達が不憫に思ってたって……」
「そりゃあ、失恋を機にそんな訳のわからないことをやり始めたら誰だって気にするさ。もっとも、巫女本人は落ち込むよりもさっき話した目標に向かってやる気を見せていたから、そんなに悲壮な感じじゃなかったらしいけどねぇ」
「じゃ、じゃあ周囲から孤立したって言うのは……?」
「その辺は、巫女本人の性格の問題だねぇ。若いうちならまだ失恋からの気の迷いですむけど、獣王を組み伏せるなんて本気で何十年も言い続けられたら、周囲だって扱いに困るだろう? 子供の頃だけとはいえ獣王様と恋仲だったせいか妙に異性の理想が高くて、歳を重ねるごとに里の者達との折り合いが悪くなったのも一因だねぇ」
「うううぅぅ……」
難しい顔で唸るパクリットに、祖母は苦笑しながらも更に話を続ける。
「それと、巫女の最後。暴走したっていうのは間違いないんだけど、その実態は里の若い衆に『子胤をよこせぇ!』って叫びながら飛びかかったって事件なんだよ。多分それが一番の望みで、叶わなかった夢だったんだろうねぇ。
そうして若い衆の心に甚大な被害を与えた巫女は、流石にこっぴどく怒られて一週間の自宅謹慎を言い渡された。その時の無理が祟ってそのまま自宅のベッドで世話をしに来てくれた人に看取られて死に眠る……というのがこのお話の結末だねぇ」
「……何かもう、さっきまで頭の中にあった巫女様? の想像の姿が全然違っちゃってるですぅ」
祖母から聞かされた悲しい伝説の真実に、パクリットはしょんぼりと肩を落とす。その頭の中では儚く美しかった巫女の姿が、もの凄く元気ではた迷惑な老人の姿にすっかり置き換わっていた。
「でも、何でそんな風に昔の話を変えちゃったんですか?」
「言い伝えなんてのはそういうものなのさ。パクリットだって誰かに秘宝の由来を語る時、最初の話と今の話なら最初の話の方がいいだろう?」
「うっ、それは……でも、じゃあ何で今のお話も残ってるですか?」
祖母の言葉に納得しつつも、パクリットはそう聞いてみる。誰かに語るのに都合がいい話があるのなら、それ以外も残す必要が思い浮かばなかったからだ。
そんな孫の疑問に、祖母は膝の上にのせたパクリットの耳を優しく撫でつけながら答える。
「ふふふ、それはね……巫女の想いを無碍にしたくなかったからだよ。確かに人から見れば褒められた行為ではないし、中には巫女のことを兎人族の恥だなんて言う口さがない者もいるけれど、たった一人の男に心底惚れ込み、その生涯をかけて愛を貫いた生き方を無かったことにしてしまうのは、あまりに忍びない。
巫女を巫女と呼ぶのもそうだねぇ。本名を残してしまうのはちょっと問題があるけれど、ただの名無しにしてしまうのは悲しい。だから巫女という彼女だけの呼び名を与え、私達はそれを里の娘の間でだけ語り継ぐことにしたんだ。
パクリットも自分に娘が産まれたらこの話を聞かせてあげるんだよ? 悲しくも可笑しい人生を歩んだ我らの同胞の娘、その数奇な生き様とそれによって生まれた秘宝『赤い月』の物語をね」――
「うぅ……」
「お、目が覚めたか?」
ひんやりした床の感触にパクリットが目を覚ますと、そこにはほぼ全裸に仮面という明らかに不審者としか思えない人物……怪盗パパンが座っていた。彼の纏っていた外套が自分の体にかけてあり、そのせいでパパンの変態度が余計に増していたが、流石にそれを指摘するほどパクリットは恥知らずではなかった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ないですぅ」
「はは、気にするな。まあ事前にそうなると聞いていなければ些か対処に困ったであろうがな」
パクリットはパパンに自分が追い詰められたら『赤い月』の力を使うだろうということや、それによって自分がどう変わるかなどを事前に伝えていた。だからこそパパンの手により体内から『赤い月』が排出され、今は耐えがたい倦怠感以外は平常に戻っている。
なお、体毛にこそ血が付着しているが、怪我自体はもうどこにもない。そちらに関してはパパンが回復薬を使ってくれたおかげだ。
「あそこまで強烈なのは、私としても予想外でした。もうちょっと抑えが効くと思ったんですけど」
『赤い月』の本来の使い方は、水を張った桶に『赤い月』を沈め、それを月の光に当てることで魔力のにじみ出た水の方を飲むというものだ。三日当てたものなら軽い滋養強壮に、七日当てたものならより強めの精力剤などに、そして一五日当てたものなら戦士達が大きな戦いの前に使う興奮剤となる。それ以上のものだと先ほどのパクリットのように本能に訴えかける力が強くなりすぎるため、どうしても子供が欲しい夫婦などがごく稀に必要とする程度だ。
「初めてならばわからぬことがあっても仕方あるまい。それよりも、ほれ」
そう言って、パパンがパクリットに手を差し出す。そこに乗っているのは、赤くて丸い兎人族の秘宝。
「これはお主が取り返したものだ。もう離すんじゃないぞ?」
「……ありがとうございます、ニッ……じゃない、怪盗パパン」
手にした秘宝の温もりに、パクリットは一粒涙をこぼしながらそっとそれを胸に抱く。徐々に視力の戻りつつある左目には、優しく笑う筋肉親父の顔が映っている。
「我ら兎人族の秘宝、『赤い月』。遂に……遂に取り返しました」
静かなその呟きには、パクリットの万感の思いが込められていた。