捕り兎、使う
「警備兵! 宝物庫の扉を閉めろ!」
「うわっ、反応が早いですぅ!」
突然現れた謎の美少女怪盗の名乗りに一切の反応を示さず、マールゴットは即座にそう指示を出す。それを聞いた警備の兵が宝物庫の分厚い扉を閉め始めるが、巨大な質量だけにそう簡単に閉めることはできない。
とは言え、閉められてしまえばここは密室。パクリットは素早く踵を返すと、両の足に力を込めて一気に宝物庫から脱出するべく走る。王の側にいた護衛の騎士達は言うに及ばず、扉の側でこちらを待ち構えていた警備兵の脇も見事にすり抜け、パクリットは見事宝物庫を脱出することに成功した。
「ふふーん、兎人族の脚力を舐めるな、ですぅ!」
「ええい、誰でもいい! そいつを捕まえろ!」
苛立つマールゴットの声を背に受け、パクリットは宝物庫手前の待合室も一気に駆け抜ける。そうして通路に出ようかというところで……突然その正面に新たな人影が現れた。
「くそっ、何で俺がこんなこと……ん?」
「うわわわわっ!?」
それは王を追うために他の護衛騎士達が捨てていった盾を拾い集めて運んできた、最後の一人の護衛騎士であった。全身の三分の二を覆うほどの巨大な盾を自分の分と合わせて三つも手にしているが故に、その騎士は細い通路を一杯までふさいでしまっており、高速で走るパクリットは回避も停止も間に合わない。
「ぐあっ!? な、何だ!?」
「ぐぅぅ……い、痛いです……」
圧倒的な質量を手にした騎士に体当たりしてしまい、パクリットの小柄な体が吹き飛ばされて手前の床に倒れる。その正面では体当たりされた騎士もまた盾を落とし尻餅をついているが、そちらは大したダメージを負った様子は無い。
「よくやった!」
そして、宝物庫から出てきたマールゴットはその光景に賞賛の声をあげ、その手に幾つもはめている指輪の一つを撫でる。すると城内にどこからともなくけたたましい音が鳴り響き、待合室と城内を繋ぐ唯一の通路がバチバチと光る魔力の壁によって塞がれた。
「ふぅ。いたずらにしては少々度が過ぎるのではないか? ええ? 怪盗ラビッツ・アイとやら」
慌てて外した魔導鎧の籠手をもう一度はめ直してから、マールゴットがゆっくりとパクリットに近寄っていく。すぐにパクリットも立ち上がり飛び退いて距離を取ろうとしたが、その背後にあるのは壁だけだ。
「うぅ、しくじったです……」
「おっと、そう怯えずともよかろう? どのみちもう逃げ場はない。今発動したのはここに不届き者が侵入した時用の警備装置だ。出力が高い分魔石の消費が多くてな。宝物庫だけは絶対に入らせないようにしたものだが……今はそれがお前を閉じ込める牢獄となったわけだ。
で、お前は何者だ? この状況で怪盗と名乗ったり、宝物庫にある数多の財のなかから『赤い月』のみを奪っていったことといい、ジュバン卿……いや、パパンの関係者か?」
「奪ったなんて人聞きが悪いですぅ! これを奪ったのはそっちの方じゃないですか! 私はただ部族の秘宝を取り返しに来ただけですぅ!」
「ほぅ。お前、あの里の者なのか。だがそれこそお門違いというものだぞ? 俺……ふぅ、余はその宝を正当な対価を払って商人から買ったに過ぎない。商人がそれをどうやって入手したかは知らんが、そんなことは余には関係のないことだ。お前は畑から作物を盗まれたとして、それを食った善良な家族に復讐をするのか?」
間違いなくパクリットを閉じ込めたことで少し冷静さを取り戻したマールゴットの余裕の言葉に、パクリットはピンピンと耳をいきらせ反論する。
「白々しいにもほどがあるですぅ! お前がカッサラーウとかいう泥棒に盗むように指示を出したってことは既に丸わかりなんですぅ! 知らずに買ったらそりゃその人も被害者かも知れませんけど、お金を払って盗む依頼をしたなら立派な当事者で、クロクロの真っ黒クロスケですぅ!」
「ふん、下らん。裏の経緯がどうであれ、表向きは余が正当に買ったという事実に変わりはない。そして世界ではその表の契約こそが重要なのだ。誰が何と言おうとその秘宝の正当な所有者は余であり、城内に無断で侵入しそれを奪ったお前は重罪人! 今この場で首をはねて、パパンの奴に見せつけてくれるわ! お前達、やれ!」
「「「ハッ!」」」
元から王に着いていた二人に加え、先ほど倒れていた護衛の騎士も既に立ち上がっており、三人の騎士がパクリットを取り囲む。ニックに出会った時に比べれば人数は一人少ないが、その代わりここは逃げ場も無く、相手の装備も練度もあの時とは桁違いだ。
(時間さえ稼げば、きっとニックさんが助けに来てくれるです。でもそれじゃ結局私は何もしていないのと同じ……せっかく私のために活躍する機会をくれたのに、そんなの……)
「そんなの、我慢できないですぅ!」
パクリットは強く床を蹴り、まずは目の前の騎士に飛び……だがその体は騎士の手前で勢いを失う。
「何だ? まともに体当たりすら――」
「ウサ・キーック!」
「ぐはぁっ!?」
パクリットの両足が、騎士の胸を思いきり蹴りつける。兎人族の脚力は極めて強力だが、それは格闘技として相手を蹴ることに向いた強さではなく、あくまでも強い力で地面を踏みしめ高く跳んだり速く走ったりするためのものだ。
ならば普通に蹴るのではなく、あえて空中に飛び上がり敵を「地面」に見立てて踏み切れば。宿で過ごす暇な時間にニックと相談していた戦い方を、パクリットはぶっつけ本番で再現してみせた。
「貴様! 調子に乗るな!」
「あうっ!?」
だが、それだけだ。不意打ち気味の一撃だったからこそ一人を蹴り飛ばすことができたが、床に着地してからもう一度跳び上がる隙を残りの二人は与えてくれない。蹴り飛ばした相手にしても痛痒を与えはしても意識を奪うほどではなかったらしく、すぐに怒りの表情を讃えてパクリットの方に切りつけてくる。
「おらおら、どうした!? 威勢がいいのは最初だけか?」
「獣人は強いと聞いていたが、こんなものか!」
「ほーれ兎ちゃん。ちゃんと逃げないとその耳切り落としちまうぜぇ?」
「ぐっ、うぅぅ……」
みるみるうちに、パクリットの白い体に赤い血がにじんでいく。手や足には無数の切り傷が刻まれ、自慢の耳も力なく垂れ下がっている。フワフワだった尻尾も背中の傷から流れた血でゴワゴワだ。
「フン。パパンの仲間だというからどれほどの強者かと思ったが、この程度か。見苦しい、さっさと殺して……いや、むしろこの程度なら生け捕りにしてパパンに対する人質にでもするか? あの男の目の前で刻んでやれば、さぞかし愉快な表情が見られることだろうな、クックック……」
もはや勝ちを確信し、マールゴットが邪悪な笑みを浮かべている。実際パクリットには、この状況を動かす方法はたった一つしか思い当たらない。
「やっぱり使わないと駄目ですか……正直気は進まないんですけど……」
「何だ? 諦めて降伏するつもりか? 言っておくが、命乞いなど認めんぞ? 余から奪うというのはお前のような獣の命程度で償えるほど軽い罪ではないからな」
「冗談はそのヘンテコな鎧だけにして欲しいですぅ。それに、これはお前達ノケモノ人にとってもいい取引かも知れませんよ?」
「ん? どういうことだ?」
いぶかしげな表情を浮かべるマールゴットを尻目に、パクリットはずっと大事に懐に入れていた鉄箱を取り出す。その蓋を開ければ中に入っているのは血の如き濃い赤の中に、銀色の月の魔力が浮かぶ兎人族の秘宝『赤い月』。
「『赤い月』の本当の力……お前達に見せてやるですぅ!」
「なっ!? お前、何を!?」
マールゴットが止める間もなく、パクリットが『赤い月』を飲み込む。するとその体がピクピクと震え始め、白い全身からほのかに赤い煙が立ち上り始めた。