捕り兎、潜入する
時間は少し戻り、怪盗パパンが城の門を突破して少しした頃。辺り一面に倒れ伏す兵士達を尻目に、こっそりと侵入する小さな影があった。
「ふふーん、侵入成功ですぅ! さっすがニッ……じゃない、怪盗パパンですね。というか、これもうこっそりする必要性すらなさそうですぅ……」
パパンの通った後に、動く者は何もない。いや、正確には全員気絶しているだけなのでピクピク動いたりはしているが、少なくともパクリットの侵入を阻むことのできる者は一人もいない。
とは言え、ここは敵地。無断で王城の敷地に侵入したとなれば、どんなに楽観的に考えてもその場で斬り殺される未来しか見えない。だからこそ慎重に慎重にその足を進め……
「ぐひょっ!?」
「ひゃっ!? え、この人ひょっとして意識が!? それに何か、お酒の匂いがするような……?」
あまりにも倒れている人が多すぎることと、かがり火のいくつかが消えて暗闇が出来ていたこともあり、パクリットの足がうっかり倒れている兵士を踏んでしまう。声を出した兵士にパクリットが驚き目を向けると、件の兵士から必死な声が聞こえてきた。
「ち、違うぞ。俺はパパンにやられて気絶しているんであって、酒を飲んで倒れている訳じゃないぞ! 隣の奴が起きている可能性は否定しないが、俺は絶賛気絶中だ!」
「ちょっ、酷いッスよ先輩!? 俺も凄い勢いで気絶中ッス! そりゃあもう何も見えないし聞こえないし、なんならちょっと遠くまでコロコロ転がっていくくらいの気絶中ッス!」
「ええ……ま、まあいいです。あー、でも、一応。私の事を誰かに話したりすると、後で怪盗パパンがやってきて――」
「知らん! 俺は気絶中だから何も気づいてないぞ!」
「俺も何も気づいてないッス! 意識が朦朧としてゴブリンと先輩の区別すらつかないッス!」
「ニコシタお前……」
「たとえッス! そのくらい何もわからないっていう、あくまでたとえッスから!」
「…………もういいです。じゃ、そういうことで」
謎の掛け合いを繰り広げる二人の兵士を無害と判断し、パクリットはそのまま前庭を抜け城内へと入る。するとそこには多数の兵士が溢れかえっていたが、その意識は一人の例外も無く広間の中央で暴れるパパンの方に吸い付けられていた。
(これなら行けそうですね。こっそりこっそり……)
人混みの後ろをそっと歩き、パクリットは誰に目にとまることもなく城内への潜入に成功する。とは言えまだ気を緩めることはできない。むしろ本番はこれからだ。
(ここから先には普通に警備兵がいるはずですし、騒ぎを聞きつけてこっちに移動する兵士と鉢合わせする可能性も高いです。慎重にいかないと……)
城の内部はあらゆる通路の照明が灯されており、深夜だというのに暗闇という死角がほとんどない。だが幸いにして今夜唯一想定されているパパンという侵入者が広間で暴れていることが周知の事実なため、常駐の警備兵の警戒心は思いのほか薄い。
(角の向こうから二人……こっちは無理ですね。なら違う通路を通ってみるです)
パクリットが頼りとするのは、微細な音すら聞き分けて見えない位置の人の動きを判別できる自慢の長耳と、秘宝の位置を示してくれる魔法道具だ。城の内部構造など如何にメッタであっても入手できるものではなかったので、ただ秘宝のある方向を目指してパクリットは適当に通路を進む。
(うぅ、曲がり角ばっかりです。何でお城ってこんなに通路がグネグネしてるんですか!? まあ行き止まりが少ないのは助かりますけど……うーん、ここは右? 見張りがいるっぽいですけど……)
「ん? 何だ?」
(ひょわっ!?)
パクリットが角の向こうを覗き込もうとしたところで、不意にそこにいた見張りの兵士がそんな声を出す。はえている位置の関係上、チラリと片目で確認するために顔を出すだけでも長耳が丸出しになってしまうのだ。
「どうした?」
「いや、今なんかそこに白くて長い棒みたいなのが見えたような……」
「気のせいだろ?」
(そうです、気のせいですぅ!)
「うーん。でもなぁ……一応確認してくるかな?」
(何でこんな時だけ真面目なんですか! 仕方ない、引き返して……って、そっちからも人が来てるですぅ!?)
「さっさと戻って来いよ? ちなみに俺は何もない方に銅貨一枚」
「ケッ、言ってろ。さてさて……」
警備兵がコツコツと足音を響かせながら、角の方へと近づいていく。そうして角を曲がったところで、不意にふわりと甘い香りが漂ってきて……
「…………あれ?」
「どうした? 何かいたのか?」
「いや、何もいない……うん、何もいないな」
「なら俺の勝ちだな。あとでちゃんと金払えよ?」
「チッ、わかってるよ……ふぁ、何か眠いっていうか、ボーッとするな」
「まあ真夜中だしな。俺も何だか……ふぁぁ……っと、危ない危ない」
あくびをする二人の警備兵の足下を、黒い塊が音も無く駆け抜けていく。地を這うように身をかがめ素早く通路の奥まで辿り着いたパクリットは、そこでようやくホッと一息ついた。
「ふぅ、ヤバかったですぅ。でも備えあれば憂い無しですぅ」
パクリットが使ったのは、軽い幻覚作用のある香水。蓋を開けて匂いを振りまけば吸い込んだ相手の思考を一分ほど鈍らせることができるという代物で、パパンから託された「怪盗七つ道具」の一つだ。
その後もパクリットはパパンから託された道具を駆使し、幾度かのピンチも乗り越え城の通路を進んでいく。そうして遂に秘宝があると思われる場所に辿り着くも、そこにあったのは巨大な金属製の扉と、その前に立つ二人の警備兵の姿だった。
(うーん。反応的にはあそこで間違いなさそうですけど、流石にこれは無理ですね)
兎人族の里にいる間は狩りなどもしていたが、パクリットは戦いの専門家でもなければましてや盗賊でもない。完全武装の警備兵二人を正面から倒すのはかなり難しいし、明らかに厳重そうな扉の鍵を開ける手段など持ち合わせていない。
(なら、ここで待機ですね。パパンの計画通りなら、きっと……)
だが、幸いにして宝物庫の扉の少し手前には割と広い待合室がある。そこならば身を隠すことも可能だったため、パクリットは豪華な家具の影に隠れてこっそりと息を忍ばせ機会をうかがう。そうしてしばらく待っていると、やがて扉とは反対側の通路からバタバタと幾人もの大きな足音が聞こえてきた。
その人物は陛下と呼ばれ、警備兵に命じて宝物庫の扉を開けさせていた。そうして扉が開ききるより早くその身を宝物庫の中にねじ込んでいき、少し遅れて護衛の騎士達まで宝物庫に入ってしまう。中に人がいるだから、当然扉は開きっぱなしだ。
(ここです!)
パクリットは兎人族としての強靱な脚力を最大限に発揮し、一気に宝物庫の中に飛び込む。入り口を警備していた二人の兵の眼前を一瞬黒い影が走ったが、内部にいる王の様子の方が気になって仕方が無いため、パクリットには気づかない。
そうして中に入ってしまえば、様々な宝物がある関係上隠れる場所には困らないし、ここまで近づけばもはや魔法道具に頼らずとも秘宝の気配は感じられる。今すぐにでもそれを奪って逃げたいが、残念ながらマールゴットのすぐ側に置かれている秘宝を手にするには周囲に人が多すぎる。
「フハハハハ! そうだ、俺が! この俺こそが! 偉大なるゴーダッツ帝国の王、マールゴット・ゴーダッツこそが常に一方的に奪うことを許された存在なのだ! お前の希望も命も、すぐに俺の手で奪い取ってくれる!」
だが、機会はやってきた。まるで自分が盗りやすいようにしてくれたかのように、マールゴットが秘宝の入った箱を手に持って掲げたのだ。
「捕ったですぅ!」
故に、パクリットは雄叫びを上げて秘宝を奪い取る。呆気にとられるマールゴット達を前に、パクリットはその身に纏った姿隠し用の黒い布きれをシュバッと脱ぎ捨てると、溜まりに溜まった鬱憤を発散するかの如く耳を震わせ宣言した。
「兎人族の秘宝『赤い月』、この怪盗ラビッツ・アイが確かに頂いたですぅ!」