大怪盗、刃を交える
「お前とは遠からぬうちに再会するとは思っていたが、まさかここまで数奇な形になるとはな。世の中とはわからぬものだと思わんか? ジュバン卿よ」
大上段から見下ろすマールゴットの言葉に、しかしパパンは首を傾げてみせる。
「ジュバン卿とは誰のことだ? 我は怪盗アヤシーヌ・パパン! 卿などと呼ばれる身分の者ではないわ!」
「フッ、そうか……ならば聞け! お前達の前にいるのは貴族に非ず、ただの薄汚い賊だ! ならばその首をはねることに何の憂いも必要ない! さあ、その不埒者を討ち取れ!」
「ハハッ! 皆、かかれ!」
「「「オー!!!」」」
マールゴットの命令が下り、隊長と思わしき男の指示で兵士達が一斉にパパンへと襲いかかる。だが多少練度が上がり装備が良くなったとて、数任せの攻撃で圧倒できるほどパパンは甘い存在ではない。
「邪魔だ!」
「「「ぐぁぁ!?」」」
「どけいっ!」
「「「ぎゃぁぁ!!!」」」
パパンが腕を一振りするたび、群がる兵が宙を舞う。あっという間に三〇人ほどが戦闘不能になったところで、兵士達の攻勢が一時的に収まった。
「ふむ、この場に集めたのは我が国でもそれなりの精鋭なのだが、それでもまだ届かぬか。ならば……」
「陛下、ここは是非私にお任せください」
マールゴットの呟きに、王のすぐ側で控えていた一人の騎士が名乗り出る。他の兵士達とはまるで違う白銀と赤の組み合わさった目立つ鎧を身につけたその男は、マールゴットの前で跪き騎士の礼をとった。
「トリタテスタン、お前か……そうだな、確かにお前ならばちょうどいい具合に余を楽しませてくれそうだ。よし、行け!」
「ハッ!」
マールゴットの勅命に、トリタテスタンが堂々たる歩みで階段を降りてくる。その進む先では兵士達がまるで海が割れるかのように道を作り、正しく英雄のような所作でトリタテスタンはパパンに対峙する。
「トリタテスタンは我が国最強の騎士だ。如何に貴様が強かろうと、相手になるものではない。もしもトリタテスタンに勝てたなら、こいつをくれてやってもいいぞ?」
そう言うとマールゴットはニヤリと笑い、懐から小さな赤い石を取り出して見せる。それは探し求めた秘宝『赤い月』……の偽物だ。いざという時のために要していた三つの偽物のうち二つ目であり、如何に勝利を確信していようともこんなところに本物を持ってくるほどマールゴットは馬鹿ではなかった。
が、マールゴットがその偽物を掲げた瞬間、パリンという小さな音がして偽物が砕け散る。
「何っ!?」
「フッ、怪盗パパンの目は正確に真贋を見抜く! 今更そんな偽物など手にする気はないわ!」
「お下がりください陛下! ここは私に!」
「う、うむ。では任せたぞトリタテスタン!」
パパンが遠隔攻撃を行ったという事実に、マールゴットは泡を食って側にいた大きな盾を持つ騎士達の後ろに隠れる。それを確認してから、トリタテスタンは改めて抜き身の剣の切っ先をパパンへと向けて言い放った。
「ここから先へは行かせんぞ賊め! 王国最強の騎士であるこのトリタテスタンが、貴様の命数を取り上げてくれよう!」
「ほぅ? あの王も言っていたが、王国最強とは随分と大きくでたものだ。本当にそんなことを言ってしまっていいのか?」
「……どういうことだ?」
パパンの言葉の真意がわからず、トリタテスタンが眉をひそめて問う。
「決まっておろう。たった一人に城門を抜かれ入城を許したばかりか、王国最強を名乗る者が無様に負けたりしたら、それこそこの国は成り立たなくなるのではないか? 『舐められたら終わり』は悪党共の常套句であろう?」
「貴様……っ! 言わせておけば!」
ギリッと歯を食いしばったトリタテスタンが、一瞬にしてパパンとの間合いを詰めて斬りかかる。だがパパンはその剣を余裕をもってかわし、風切り音を立てたトリタテスタンの豪剣は宙を切り裂き床に亀裂を入れるに留まった。
「図星を突かれて怒ったか? 怒りにまかせた剣では到底我を捕らえられぬぞ? 何せ我は華麗なる天下の大怪盗、アヤシーヌ・パパンだからな!」
「何が怪盗だ、この変態親父め! 貴様がジュバンを名乗る限り殺すわけにはいかなかったが、ただの盗人だというのなら好都合! 我が剣の露と消えるがいい!」
勇者の家名であるジュバンを名乗る相手を殺すのは、この国としてはすこぶる都合が悪い。正式に調査などされたらここぞとばかりに棄て先のない犯罪の証拠が大量に持ち込まれるだろうし、不慮の事故として処理するには相当な賄賂が必要になる。
だが、ここにいるのはジュバンではなくパパン。ただの盗人であれば死んだところで何の問題もなく、その死体は即座に処理され事件そのものも好きなように筋書きを整えることができる。それもあってニックがあくまでパパンを名乗った時点で捕縛から殺害に方針が転換されたのだが、それはトリタテスタンにとってこの上ない僥倖であった。
「たかだか一〇〇人や二〇〇人の犯罪組織の下っ端を蹴散らしたり、城門からここまでの寄せ集めの雑兵を倒した程度でいい気になっているようだが、そんなものこの私からすれば児戯にも等しい! 見よ、これが本物の強者の一撃だ!」
そう言ってトリタテスタンが剣を掲げるとその刀身が怪しげな紫の光に包まれ、そのままトリタテスタンがパパンに向かって鋭い突きを放つ。
(ふむ……)
その突きを、パパンはあえて体にかすらせた。かわすことは勿論トリタテスタンを倒すのも簡単だったが、目立って時間を稼ぐことが目的である以上、最強を名乗る相手を瞬殺するわけにはいかないからだ。
頑張れば攻撃が命中するとくらいは思われなくては、戦意を失い逃げてしまうかも知れない。それでは時間稼ぎにならないし、かすった程度でどうにかなるはずもない……その判断がパパンの体を狂わせる。
「ぬっ!?」
『何だ、どうした?』
突然よろけたパパンに、股間を守護する獅子頭が心配そうな声をかけた。そんなパパンの様子にトリタテスタンはニヤリと笑い……そのまま倒れ込むように膝をつく。
「なん、だと? まさかここまで持っていかれるとは……だが、フフフ。これはこの後が楽しみだ」
「お主、今何をしたのだ?」
「知りたいか? だが簡単には……ぐほっ!」
パパンの拳が、息を整え立ち上がったばかりのトリタテスタンの腹部に食い込む。そのまま派手に吹っ飛ばされたトリタテスタンは広間の柱に激突して床に落ちたが、パパンはそれを意に介することなく己の手を閉じたり開いたりすることを繰り返す。
「やはりだ。儂の……いや、我の力がほんの僅かではあるが増している。先ほどの紫の光、それは魔剣か? 相手を強くする魔剣など聞いたこともないが」
「ぐはっ! ゲホッ、ゲホッ……そりゃ、そうだろう、な……これは我がゴーダッツ王国が誇る魔剣だ。その効果は……すぐにわかる……」
パパンの問いかけに、床に倒れていたトリタテスタンがよろよろと立ち上がりながらそう答える。痛そうに腹をさすってはいるが、戦闘不能にはまだ遠そうだ。
「しかもその程度の痛痒で立ち上がるか……むーん?」
「は、ははは……貴様如きとは鍛え方が違うからな……さあ、まだまだ行くぞ!」
トリタテスタンの手にする剣が、再び紫色の光に包まれる。その顔は些か引きつってはいるが、戦意は決して衰えていないし、周囲にいる他の兵士達も特に騒いだりはしていない。
そう、これはトリタテスタンが戦うときのいつもの光景。流石にここまでトリタテスタンがやられることは珍しいが、それでも彼らは王国最強の騎士が劣勢であることに何の疑問も抱かない。
『状況から推測すると、斬った相手に力を分け与える魔剣か? 仲間に使うなら有用だとは思うが、この状況で貴様に使う理由がわからぬ……気をつけるのだ貴様よ。相手は確実に何かを企んでおるぞ?』
「フッ、お主が何を企んでいようとも、その全てを正面から粉砕……ではないな。何かこう……盗む? あー、とにかくどうにかしてやろう!」
「変態仮面は羞恥心の他に語彙力も低いようだな! 今のうちに精々吼えておくがいい!」
パパンとトリタテスタンの死闘は、まだ始まったばかりだ。