父、掴まされる
「じゃ、今現物を持ってくるから、ちょっと待ってろ」
マールゴットはそう言うと、ニックの返事を待たずに席を立つ。そうして小部屋の外に出ると、廊下の壁を軽く三回ノックした。するとすぐに壁の継ぎ目が音も無く内側に開き、中から男が一人姿を現した。王たるマールゴットが密談に選ぶ場所が本当に密室なはずもなく、壁を隔てた向こうにある隠し通路に待機させていた護衛の一人だ。
「お呼びですか、陛下」
「ああ。帝国の奴らが下らん事を言い出した時のために用意したアレをもってこい」
「畏まりました」
如何なる理由も意図も問わず、男はただ了承の意を示して頭を下げると、すぐにその場から走り去っていく。そのまましばしそこで待ってそれを受け取ると、マールゴットは苦々しげな表情を作りながら小部屋の中へと戻っていった。
「待たせたなジュバン卿。これがその『赤い月』だ」
「ほぅ、これが?」
マールゴットが重厚な黒鉄製の箱を開いてみせると、その中には小さな赤い石が入っている。だがそこに特別な力は何も感じられず、少なくともニックにはそれが秘宝と呼ばれるほど大層なものには見えなかった。
『むぅ、確かに僅かな魔力は感じるが、話に聞いたような莫大な力とはほど遠いな。精々が貴様が以前乱獲したブラッドオックスの魔石と同程度くらいか?』
「ふーむ。私が聞いた話では内部に莫大な魔力を蓄えた宝石だと言うことでしたが、これからは何も感じられませんな?」
「それは俺に言われてもな。ウチの錬金術師が調べたところじゃ、普段は何か特殊な封印がかかっていて、何らかの手段でそれを解放するんじゃないかって話だぜ? もしくはぶっ壊せば一気に魔力が発生するようだが、流石にそれを試すなんて言わないだろうな?」
「まあ、それは……」
マールゴットのもっともらしい説明に、ニックは微妙に困り顔になる。部族の秘密ということでパクリットから必要以上の情報は聞いていないが、その少ない情報の一つである「兎人族にしか使えない」というものがマールゴットの説明を裏付けしてしまい、そういうこともあるかも知れないという判断に困る状況に陥っていたからだ。
「何だ、王であるこの俺を疑うのか? だが俺が手に入れた『赤い月』は間違いなくこれだ。こいつが偽物だったってことなら、俺もカッサラーウの奴に掴まされたってことになる。
で、どうするんだ? こいつを買うのか?」
「……わかりました、買わせていただきます」
マールゴットの言葉に、ニックはほんの僅かに思案してからそう答える。
先ほどまでのやりとりは、ニックが「如何にして兎人族達に支払える現実的な金額で秘宝を取り戻せるか」という観点からマールゴットに仕掛けた駆け引きだ。それはニックの勝利に終わり、だからこそここでは「買う」以外の選択肢はない。
そしてその答えを聞いて、マールゴットは満足そうな笑みを浮かべて秘宝と一緒に持ってきた書類をテーブルの上に広げる。
「そうかそうか! まあそうだよな。じゃ、こいつが秘宝の売買に関する正式な書面だ。ここには双方が合意の元、秘宝『赤い月』の売買を成立させたと記載されている。二枚あるから両方に互いが署名をして、最後に二枚合わせた中央に割り印を押すことで契約は成立となる。何か問題はあるか?」
『魔法的な仕掛けは感じられない。ごく普通の書面だ』
「……いえ、問題ありません」
出された書面の内容をつぶさに確認し、オーゼンからの確認も受けてニックはそう答える。ならばと二枚の書面に自らの名を書き入れると、マールゴットもまた同じように名を書き、二つの書状にまたがるようにそれぞれが押印する。
その後は互いに一枚ずつ書面を手にし、ニックが金貨を一〇枚、マールゴットが秘宝の入った箱をニックに渡すことで正式に商談は成立、終了となった。
「さあ、これで厄介ごとは終わりだ。で、どうする? この後まだ俺に武勇伝を語りたいってことなら歓迎するが?」
「いえ、待たせている者がおりますので、私はこれで失礼させていただきます」
「そうか。そりゃ残念だが……なあジュバン卿。最後に一つだけ教えてくれ」
早々に席を立ち部屋から出ようとするニックの背中に、マールゴットが問いかける。
「何でしょう?」
「お前、どうしてその秘宝が欲しかったんだ? お前がこんな手で買い取ろうとするなら勇者が必要としてるってわけじゃないだろうし、かといってお前に使い道があるとは思えないんだが?」
「ああ、それですか。簡単ですよ。単に帝国にこの秘宝を渡したくはなかった……それだけのことです」
「…………そうか。引き留めて悪かったな。気をつけて帰るといい」
「ご心配いただきありがとうございます。では、失礼致します」
最後に深々と一礼すると、ニックは王の小部屋を後にする。その背を見送り扉が閉まったことを確認してから――
「帝国に、ねぇ……ハッ! そういうことなら、完全に俺の勝ちだ、ジュバン卿」
マールゴットはそう独り言を呟き、勝利の余韻に浸っていた。
「戻ったぞ」
「おかえりなさいですぅ!」
マールゴットとの謁見を終えて宿に戻ったニックを、パクリットが凄い勢いで出迎える。心配と好奇心がない交ぜになったその赤い目はニックのことを捕らえて離さない。
「それで? 王様との話はどうなったですか!?」
「うむ。それなのだが、まずはこれを見てくれ」
そう言ってニックが取り出したのは、マールゴットから買い取った「秘宝」だ。だがそれを見せられたパクリットは、不思議そうな顔をして首を傾げる。
「何ですかこれ? 色つきの魔石なんて始めて見ましたけど」
「……やはり『赤い月』ではないか」
パクリットの言葉に、ニックは苦笑しながらそう答える。だがそれに驚いたのはパクリットだ。
「えっ!? ひょっとしてニックさん騙されたんですか!? あー、もう! だから私を一緒に連れていってくれればよかったんですぅ! そうしたらこんなもの一発で偽物だって見抜けたのに!」
「ははは、それはそうだろうが、そうもいかん理由があってな。それにどのみちあそこで『これは偽物だ』と主張したところで意味などなかったのだ」
「その言葉の意味がわからないですぅ……」
軽く笑いながら言うニックに、パクリットはぺたんと耳を折りたたむ。実際あの場にパクリットを連れていったり、あるいは秘宝の場所を探知できるという魔法道具の存在を明かせばこれが偽物だと糾弾することはできただろう。
が、できるのはあくまで糾弾することだけ。マールゴットが「知らない。これが本物だ」と強弁すれば、ニックにはそれを覆す術がない。あの部屋を出て公然と城内を探し回ったりすれば捕縛され間諜容疑辺りで処刑されるのが目に見えているのだから、マールゴットが自ら持ってきたもの以外を手に入れる方法はどうやってもなかったのだ。
「それになパクリットよ。あの王が小物でなかったからこそ、お主の出番がやってきたぞ?」
「え? それってどういうことですか?」
ニヤリと笑う筋肉親父に、パクリットが問う。
「決まっておるではないか。せっかく儂が穏便に済ませようとしたのに、それをあざ笑うような態度に出たのだ。相手がそう来るのであれば、こちらも遠慮する必要はない。
そうだな、少しばかり準備を整え、最後の決戦は三日後の夜辺りにするか」
「あの、ニックさん? 何だか凄ーく悪い顔をしてるですよ?」
「ふっふっふ、そうか? 確かに少し前に海賊の演技をしたことがあったが、あれはなかなか楽しかったからな。今回も存分に楽しめそうだ」
「海賊!? え、じゃあまさか夜に決戦って……!?」
己の予想を確かめるべく、スピスピと鼻を鳴らして興奮するパクリットに、ニックは改心の笑みで答える。
「ゴーダッツ城に殴り込む! 儂とお主で兎人族の秘宝『赤い月』を奪い取るぞ!」
「うぉぉ、燃える! それは燃える展開ですぅ!」
『そんなに楽しげに犯罪の宣言をせずともよいだろうに……まあ確かに我としても少しだけ楽しみ……ち、違う! 我はもっと良識派なのだ。楽しみなどということがあるはずがないのだ!』
気炎を上げる二人を前に、オーゼンは肉色に染まりつつある自分の思考を強く戒めるのだった。